完璧主義の盲点
edit2018.10.17 2,152
突然ですが、私は完璧主義者です。
なんていきなり、「知らんがな!」って話ですが、自分が完璧主義者だなんて、私にとっては「知っとるがな!」ってくらい、分かりきったことでした。
最近、気づいてないこと、なんでずーっとしんどかったか分からなかったけど、それも「完璧主義」の性格のせいだと気付きました。
そう、『全部、完璧主義のせいだ』
話、続けますw
別に、決して悪ではない「完璧主義」。
私はこの性格が、邪魔で邪魔でしょーがないと、度々思ってました。
スポーツジムでは、エアロビで出来なかった振り付けがあると、無理矢理自分でやり直して、益々先生に遅れてしまう→完璧に振りが出来ないことが、許せない
自分が昔書いていた漫画では、主人公は背が高くて細くて目が大きくて美人。勉強が出来てスポーツ万能で、彼氏がいて、友達が多い→漫画の世界では、自分の中の理想を主人公にしていた
更に最近気づいたのは、
ポジティブ思考だと、良いことが起こるし、ポジティブな人や良い人が寄ってくる→なので、ネガティブな人が周りにいると、自分の何がいけないのか?まだ昔から持っていた、最近まで棄てられなかったネガティブな自分を、自分の中に探しては、自責に駆られていた。
ネガティブな出来事を肯定したり、ポジティブに置き換えることは、何となく慣れてきていました。
でも、例えば職場の人間関係って、いつも一緒じゃないですか?基本。
自己嫌悪に陥ってる人とか、無理して頑張る人とか、自分の気に入らない人や、イラっとくる人、ムカつく人とかに出会うと、「自分のどこが引き寄せたんだろう?」とか思ってて…
通常、引き寄せとか、ポジティブに考えることって、自分を幸せにする為とか、周りを幸せにする為とか、そーゆー良い意味で活用するものだと思うんです。
でも私は、この考え方に『完璧であるべきだ』という思想を取り入れてしまった。
こういう考え方が出来た自分の周りに、嫌な人やムカつく人、過去のネガティブだったり自己嫌悪する自分がいてはならなかった。
引き寄せをうまくやってる私は、幸せでポジティブでありたかった、そうなることが、成功だと思った。
生まれ変わった私の周りに、もう嫌な人は現れない。100パーセントの自分でいたいと思った。
コーチングを2年前くらいに受けてた時もそうだったけど、「これだ!」と思った人の話は、全部本当だと思おうとしたし、本などで得た考え方も全部その通りになるべき、するべきだと自分で思い込んでいた。
別に完璧に全部そうじゃなくても良いしその通り出なくても良いし、ならなくても良いのに…ひたすら「全て」を無意識に追いかけて、そうなるわけないから、そうならないことが本当にストレスだった。
ベストって何だろう?といつも探してた。ベスト=100パーセントってこと。
正解をどこかまだ探していた。正解ではなく、自分の居心地の良さを重視していたつもりだったけど、やっぱり正解が何か?どこか求めていた。
だから、もし周りに、まだネガティブな人とかいたりしたら、それは私がまだ不十分であるということ。
体調を崩すのもそうで、体調不良の私は、ポジティブで元気じゃないから、ダメ。
ベストなら、私にとっての正解なら、体調は悪くならないはずだと思い込んでいた。
元気でポジティブで、居心地の良い人が周りを囲んでいて…
なんかそんな、天国みたいな、ユートピアみたいな環境とか、人間関係とか、とにかくうまく言えないけど、『完璧な自分、それと完璧な環境』みたいなものをイメージしてて、目指してて、それがある種の成功とか、凄く良い状態だと思ってました。
でもね、そんないつもうまくいくわけじゃないし、嫌な人はいるもんだし、環境だって案件でコロコロ変わるのに、そんなに良い感じに常に回るわきゃないw
大切なのは、「程々に」ってこと。
体調悪くてもいいじゃない。
嫌な人いても、私のせいじゃないし、責めることはないし、そんな時もあるじゃない。何ならその人と一緒に良くなる道を探したって良い。
嫌だってことは、もしかしたら同じものを持ってる人なのかもしれないし。
完璧じゃなくても良い。新しい捉え方や価値観始めたって、全部まっさら天国になるわけじゃない。
多分、そんな風に過ごしてる人は「そう見える」だけであって、私が思ってるほど完璧でもないし、ユートピアでもないんだと思う。
気にしなかったり、程々にしてるだけ。
昔からね『程々に』が出来ないんですよ。
最近意識するようになって、『こんなに頑張ったのに!』とイラつかないように、仕事する、物事こなす。くらいには、何とかやれるようになってきたけど。
いつも全力。で、すんごい疲れる。
完璧を求める。下手すると相手に腹をたてる。
人に言われても治らない。
こんな感じでした。
こんなこともあるよ、力抜きなよ、80パーセントくらいで。
80パーセントって、どんくらい?笑
どんくらいですか?80パーセントって。
50パーセントも分からない。
0か、100。
でっどおああらいぶ笑笑
生きるか死ぬか。
完璧か、ダメか。
どこかいつも、完璧か、そうじゃないか?で判断していて、せっかくの良い考え方も、本来の方向じゃないように捉えていた気がします。
私、大変wwwwww
こんな考え方してたら、自分超疲れるな…と思いました。
諦められなかった。
友達みたいに可愛くなりたかったけど、完璧になれなくて、そんなにモテなかった。
友達みたいに、仕事バリバリこなして上に上がりたかったけど、すぐに仕事は辞めてしまって、それを繰り返していた。
でもね、本当に、目指していた、理想のように見えていた姿は、そんな風に見えた人は、そんな人だったのでしょうか?
あなたが思うほど、完璧でも理想でもなかったのかもよ?
そんな風に、最近思うようになりました。
ガラっと何かが変わる。目に見える結果が出る。人に話したり自慢出来るように何か変わる。
そんな風に、完璧変わったと思える効果や結果が欲しい。
自分が、完璧だと思うボーダーラインや理想像、イメージが、とにかく高かった。
疲れましたwwww本当にwwwwww
それを目指すことが自分の為ではなくなったら、そもそももう目指す意味はなくて。
それが無くて死にたいと思うくらいなら、そんなもの持ってる意味も目指す理由もない。
もう、いいかな?と。。。
完璧を求めてやることで、誰かに認めてもらうことがあるでしょう。
信頼されることもあるでしょう。
でもね、自分が1番苦しかったら意味ないんです。
自分が、そうして完璧を求めることが、楽しくなかったら、幸せでなかったら、とっくにゲームオーバーなんだと。
それに気付くまで、本当に31年と半年以上、かかったんじゃないかと思います。
全てにおいて、『完璧』をひたすら求めている。
こうして、休む機会がないと、分からなかったような気がします。
立ち止まらないと、完璧ループからは抜けられない。
染み付いたなら、気付いて意識しないと、多分剥がれないでしょう。
でもね、気付けて良かった。
完璧でなくても良いし、怖くても良いんだけど、人を頼って不安なことは聞きにくくても聞くことを始めてから、誰かに心配されることや、気遣ってもらえることを、すごくありがたいと、感謝するようになりました。
完璧じゃない私をさらけ出す行為を、頼るという行為を、私は恐いと思う性質があるのかなぁ?
今は、仕事なくてもお金なくても、孤独じゃないって、本当に幸せでありがたい。
誰かが助けてくれるって、例えお金とか生活はどーにかしてくれないとしても、仕事とか抱えている悩みや不安とか、何か一部だけでも、いつでもサポートしてもらえるのは、幸せだと思うんです。
その誰かには、私は『完璧』を見せる必要はないから。
なんなら、お金がないっていうのも、完璧を求めた私の幻想なのかもしれない。(このベストタイミングに、税金の書類来てて実際は恐いけど苦笑)
完璧主義、こうして改めて考える機会に恵まれて、改めて『自分の性格、こわっ(めんどくさ!w)』と痛感しました。
とりあえず明日はなんにもなーい(多分)
マックのてりやきマックが久々に美味しかったので、これに浸りながら、家帰ろうと思います。
おしまい。
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