愛情とは、一方的なもの。

誰かに愛情を、注ぐと言う。

誰かを、好きだと思う。

愛してる、と言う。

誰もが抱くこの想い。

それは、親に対して、友達に対して、恋人、夫、子供…等々。。。

割と長めの片思いをして、片思いに慣れた?私にとって、ここ最近は、『愛情』というものが一方的に思えてならない。

例えば告白して、相手からも『好きだよ』と言われれば、2人は相思相愛となる。

愛することもすれば、愛されることも出来るだろう。

でも、片思いは、一方的だ。

でも実は、全てにおいて『愛は一方的』だと、ここ最近思う。

だって、相手も自分みたいに愛してくれるとか、想いをくれるって、言葉や行動を信じて初めて『相思相愛』だと分かる。

そもそも、お互い通じ合いなんて、恋愛チキンという才能を持つ私にとっては、奇跡的。アメイジング。

好きな人に好かれる能力とか持ってる人もいるけど、その才能を私は勝手に超人的能力だと思ってる。

凄くないか?相手に気がなくても好きになってもらうテクとか、なんかネットに書いてあったりもするけど、かなり積極的なやり方で、勇気かなんかでないw

話を戻すけど、自分が相手に愛情を注いでるとか、想いを向けてることは、確実に確信持てるのは、『自分』しかいない。

他の感情もそうだけど、自分の感情しか、自分には確実には見えないから。

分かりやすい人もいるけどねw

そんな人は、とても愛らしく、正直で素直な人だと思う。

だから、『私が一方的に好きなんです』とか『片思いなんです』って言うのは、別におかしくもなんともなくて、世の中実はほとんどそうなのかも。

ある意味で、だけど。

一方的なのは、当たり前で、一方的だと思うと、ある意味楽になれることに最近気付いた。

私が勝手に好きなんだから、見返りとか求めてもしょーがないし、相思相愛になれれば、相手も想ってくれていると分かればそりゃあ嬉しいし素晴らしいし素敵だけれど、1番大切なのは、相手の気持ちがどうこうじゃなくて、自分が好きかどうか?

誰かに好きになってもらうことも尊いことだけれど、相手がどうとか関係なく、自分が好きになった記憶や経験は、死ぬ時まで宝物になる。

好きになった相手が、友達からディスられるような男でも、思い出したくないような友人でも、酷いことを言った親でも。

嫌いな記憶を残せ、なんて言わないけど、好きになった人間の記憶なら、是非ステキな思い出として、記憶に刻みたい。

思うと、心地よくなるでしょう?

一方的に、あなたが好きなだけで良い。

愛は、好きとか、そういうのは、一方通行で良い。返ってきたら、ラッキーって感じ。

返ってきても来なくても、自分の中にある何かを『好き』っていうのは、それだけで凄く大事な経験をしているんだと思って欲しい。

今年ある人に聞いた言葉で、『愛している』という言葉の不思議を聞いた。

アイラブユーは、『愛してる』と訳される。

でも、ラブって言葉は、例えばお寿司とか食べ物、その他色んな場面に使われるし、『お寿司を愛してる』って訳には、違和感も感じる。

そもそも『愛してる』って、『愛』って感情を『してる』って何?

そんな問いを、今まで考えたことなかったけど、言われてみれば不思議だなぁと思った。

そこで、思った。アイラブユー、私なら、なんて訳すかな?

これを読んでるあなたは、どう訳しますか?

私は『一緒に幸せになろう』でした。

一緒に、と言われると、『自分と共に生きる』というニュアンスを受け取る。

一緒に歩いてくれる人の存在は、お金より何より大きな生きる力になるから。

幸せ、という言葉は漠然としているけど、人によって違う『幸せ』という言葉は、漠然だからこそ誰かと分かち合えるなら分かち合って生きていきたいと思った。

アイラブユーの訳。何人かに今年聞いてみて、凄く面白い質問だと思いました。

その人の価値観とか、思考、性格が出る質問だなぁと。。。

この問いを教えてくれた人に、まだこの訳は聞いてないので、機会があればご本人にも聞いてみたいなぁと思いました。

言葉の受け取り方や捉え方は人それぞれ。

普段気づかない、通り過ぎてしまうような不思議を、意識させてもらえるのは、人と関わることで得られる有難い事の一つだと思っています。

アイラブユー、この言葉の自分なりの意味を、自分が大好きな人に面と向かって伝えるような瞬間が、訪れれば良いなぁなんて思ってます。

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コメント一覧

全5件
  1. schedule2018.12.26

    ohana

    ぬいさん⭐️
    なるほど…動詞か…。
    そうかもしれませんね…。
    そういった意味では、深い意味は実はないかもしれないけれど、幅広く考えさせられたり、色んな解釈がある言葉なのかもしれませんね。

    相手がありきだけれども、想いが必ずしも通じる訳でもなくて、それが全てでもない。
    特に『愛』って恋愛に限った言葉である訳でもないから。。。
    愛を信じる勇気。すごーく心に突き刺さりました笑
    中々その勇気を信じられる人はきっと少ない。傷つくのが恐かったりもする。信じられる勇気がある人を、私は尊敬していしまいます。
    全ての人に、愛って物は注がれているんでしょうね。それを実感する事は例え滅多になくても…。
    無宗教が多い日本は尚更難しいのだろうなぁ…。
    キリスト…クリスマスだった昨日とかを思い出しますね苦笑
    沢山の人が、誰かを信じて、誰かに愛をあげていたらいいなぁなんて、漠然と思います。

  2. schedule2018.12.22

    ぬい

    I love you.
    英語だとloveは名詞だったり動詞だったりしますね
    なので動詞的な訳を与えると愛していますになるのかななんて思います
    けれど日本語的に愛を動詞的に訳すのはすこし不自然なことなのかもしれません
    キリスト教圏の人間にとっては神の愛はすべての人に注がれるので
    愛という言葉はすごく身近な言葉で感覚的に理解しやすいものなのかもしれません
    しかし現代日本において愛という言葉は頻繁に使われるのですが
    明治維新より昔の日本においてはあまり愛という言葉はなじみの薄いものだったのかもしれません
    なので日本語の愛と英語のloveは必ずしも同じ言葉ではないんじゃないかなと思います
    I love you という言葉に日本人はとても深い意味を求めるのかもしれませんが
    そんなに深い意味だけで使われる言葉でもないのかなと私は思います
    私はあなたのことが大好きです
    それくらいの意味が適当なんじゃないかなと私は思います
    愛はどこまでいっても一方的
    まったくその通りなのかもしれません
    しかし相手のない愛もないわけで
    相手の心の内を知ることはどうやってもできないことです
    しかし人はそのわからない相手の心を信じながら生きていくしかないように思います
    自分のことを大切に思ってくれている人がいること
    それを信じる勇気がもしかしたら愛には必要なのかもしれません

  3. schedule2018.12.21

    ohana

    cameoさん☆
    コメントありがとうございます!
    アイラブユーへの意見、他の人に聞いてみたかったので、嬉しいです(^^)

    深く長く、コメントくださり、ありがとうございました。
    読ませて頂きましたが、ヒルクライムをやる事の楽しさ?みたいな、意味みたいな、魅力。何となく、分かるような気がします。私も、他の人から見ても無意味に思われたり、明らかに辛いだけのように見える物事に、なぜか突っ込んでいって、やり続ける事ってあります。
    私の感覚では、ジムで行うハードなエアロビや、筋トレを『もう無理!』ってくらい追い込みながらやるのに、イメージが近いかもしれません(なんかズレてたらごめんなさい)

    一方通行だと手放すことと、何か『ギフト』を貰えるまで、愛されるまで愛されることを目指す…それも1つの正解だと思います。

    人それぞれ『ありのまま』が違うように、私は『手放す』ことが、自分の人生のミッションって位重要なことなので、この考えに至りました。
    特に恋愛においては、『相思相愛』や『両思い』になるべきという思考が自分も周りも強いので…それが当たり前かもしれないけど、しんどかったんです。
    ゴールや目標、夢とか、成功とか…そういった類は、最終的に糧ではなく、『それがない自分、ダメよね』という所にたどり着いてしまう自分自身に気づいたのは、つい最近のことです。

    執着も何もなくて、棄てる。手放す。だから、愛に関しても、この感覚が私にはしっくりきました。
    昔、友人に『片思い』は最高の愛だ、みたいなことを言われて、なるほどな、と思いました。
    見返りもご褒美もなく、ただただ愛を向けるのは辛いけど尊いことで凄いことだと思ってます。
    いろんな意見もあると思いますが…。
    cameoさんの、アイラブユーの訳、素敵だと思いました。
    一緒に成長しよう、comeoさんと成長する人が、1人でも複数でもどちらでも…いてくれると良いなぁと、心から思います。

  4. schedule2018.12.21

    cameo

    自転車でひたすら坂道(山)を登るヒルクライムというアクティビティがありまして、僕はある時からそれに挑戦するようになったのですが、これについて人に話をしても全く理解されないんです。

    「なんでそんなことをするの?楽しいの?」
    って聞かれたときに、全く答えられないんですよ。

    しゃれにならないほど辛いからです。楽しくないですよ。
    10Km以上続く坂道を人が歩くような速さで、息も絶え絶え何時間もかけて、じりじりじりじり登っていくのは、例えるならば「腕立て伏せやって。5000回」と言われているのとほとんど同じで、耐えていればいつか終わるけど、耐えられるはずないだろってくらい一瞬一瞬が辛いんです。

    でも、その一瞬一瞬(とにかく長い一瞬)で、色々なことが頭を巡ります。クラレのCMでアルパカが喋る「ミラバケッソ!!」って奇声が脳内で鳴り始めて、自分でも、みら……ばけ……そ……とか言いながらペダルを漕ぐこともあれば、大学時代にサークルの仲間とバカやったときの記憶が不意に蘇ってきて笑い出してしまうこともあります。

    長野県は美ヶ原高原という名前のとおり美しい高原に登りに行ったとき、そこは標高2000mくらいあって国内でも有数の難所なのですが、登りながら、なんでこんなしんどいことやってんだって、ついに考えました。もちろん登頂したときの達成感や、そこからの風景も動機だと言えます。でも根っこではない。それは腕立て伏せ5000回という代償に釣り合わないと分かっていたんです。

    じゃあどうしてやるのか。

    その時に初めて、ヒルクライム大好きなんだ、って認めたんです。好きだからやってんだって。思えば、しんどいことに頭から突っ込んでいく動機なんて「好き」以外にないですよね。

    だから、オハナさんが言う「愛は一方通行でもいいんだ」に対して、一つだけ言いたいことがあります。

    それは、「愛は一方通行でもいいけど、それでも愛されることを目指さなきゃいけない」ということです。

    「僕は登ることが好きなんだから、それでいいんだ」というだけでは、僕は登りきれないと感じたからです。僕は、この山を登るという行為自体にも愛されたいです。なにか報われたい。登るためにとった有給休暇の日が晴天に恵まれるんでもいいです。事故なくダウンヒルできるんでもいいです。山頂で希に見る美しい景色を見せてくれるのでも、面白い人との出会いをもたらしてくれるんでもいいんです。とにかく、そう願うから(そう願える相手がいるから)僕は耐えられる、ような、そんな気がします。

    オハナさんの考え方、僕は大賛成です。一方通行にできているし、そうだと理解しているだけで強くなれます。ただ「(一方通行の愛情が)返ってきたらラッキー」と手放してしまうのか、「どうせ一方通行なんだから、報われるまで注いでやろう」と大目に背負うのとでは、きっと違いが出てくると思うんです。

    その違いこそが、『そのままの自分』との違いであり、愛するということが僕らにくれるギフトだと信じています。

    そうして受け取ったギフトの分だけ人として成長できるとすれば、アイラブユーの訳は「一緒に成長しよう」になるのかな、と思いました。

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