悪口と執着と愛情と。

こんばんは、オハナです。

ブログは久々。なんせ半年近く、シティハンターという存在に心を奪われていて、今も毎日pixivとお友達なんです。

さて、そんな私は今日対面相談キャンペーンを終えてきました。

お金という報酬をガン無視して、お金という存在が嫌いで、でもなきゃ生きていけない現実も嫌という程知っている私が始めたこのイベント。

いろーんな人に支えられて、もう何回目かのこのイベントで、私はいつも私自身と対峙させられます。

今回深く考えさせられた、「親」というテーマ。

私、最近職場で出会った人が、とても深い話が出来るお姉さんみたいな存在で。

親から容姿について散々に言われたりしたこと。お金に対しての価値観がハチャメチャだったことなど、まぁ簡単に言えば悪口ばかり言ってたんですよ。

もっと容姿を褒めてくれていたら…私は女性としてもう少し自信が持てたんじゃないか?結婚とかにこんなに悩んだりせずに、もう結婚とかしてたんじゃないか?

転職を繰り返す自分をもっと受け容れてくれていたら、私はこんなに病んだりしなかったんじゃないか…?

こんな想いは、憎しみだったり、怨念だったりして…でもそんな裏に「愛情」があることも、薄々気付いていました。

だって、どうでもいい相手に、怒ったりするでしょうか?

『親と仲良くしなきゃいけない常識』みたいなものって、ほとんどの人が持っていて。

親と仲が悪いとか、兄弟仲良くないとか、いけないことで、うまくやっていって、お互い好き合ってることがステキなこと。

友達とウマが合わなきゃ離れてもいいという人はいるのに、親はダメ。血の繋がっている人とはダメ。

なぜ?

答えがありそうで、実は答えがない疑問。

だからこそ、この常識に縛られる必要はない、と私はよく思います。極論どちらでもいい。

この常識に縛られる必要はなくて。その人がジャッジすればいい。自分のしたい方向へ。周りの意見なんか聞かずに。自分の判断に責任を持ち、後で後悔しない選択をしたら良いと思う。

でも血の繋がった存在からの嫌な言葉や、された行動は忘れられないし、未だに憎しみを抱く。

その裏には「その人が好きだから」という理由がちゃんと隠れていて、もっと深く言えば、『あなたはちゃんと人を愛する愛情を持っている』という事実が見えてくる。

あなたを好きなのに、あなたはなぜ私を理解してくれないの?なぜ同じものを返してくれないの?

自分を認めて欲しかった。あなたと似てる私の姿を、同じ姿をするあなたが貶すなんて。

本当は、初めは、相手も私も、誰も嫌いではなかったはず。

私は人を愛せるから、親を愛した。でも親からは、愛する人には言わないようなことを言われた。

それが許せなかった。それが無ければ、私はもっと幸せだったのに。

でも、わだかまりや執着は、その人への愛情がなければ決して生まれないから。

どうでも良くないから、私は今も、数年前に言われた酷い言葉を、人にボヤく。

それは、まだ自分が親をどこか好きでいて、認めてくれなかったことに執着があるから。

相手へ関心があるから、ボヤく。

それが良いことだとか悪いことだとか、どうでも良くて。

それを例え消せなくても、このままやっぱり親が好きになれなくて、この先会った時に何度ムカついても。

どこかで例え縁を切るとしても。

それが私の判断であり、私の人生だから。

この悪口が、執着で醜いものでも良い。

それでも、自分が持ってる愛情がいつか誰かにまた向いて、誰かとその愛情を育むことだって、いつか出来るかもしれない。

親との関係が、昔どうだろうと、未来にどうしようと、何も変わらない。私が持ってる愛情は、きっと永遠に持ち続けられる。だから、親との関係や自分の生き方に罪悪感や後ろめたさを持たずに、「親に執着しているのは、私は愛情深いからだ!」と開き直るように生きることは、きっととても大切なのだ。

それにね、愛情を持ってる人は、ちゃんと愛情を持ってる人と、ちゃんと惹かれ合うんだって。

類は友を呼ぶって、本当だと思う。

それを信じるかどうかは、きっと自分次第なんだろうな。

私は数ヶ月に一度、親の元へ帰る。あまり楽しみではない。でも、人はいつ死ぬか分からないと実体験したことがあるから、帰る。もしものことがあった時に、私は悲しむことが分かっているから。多少嫌でも、やっぱり帰る。

そのタイミングは大抵親で。「帰ってこないの?」の言葉で、帰る。その言葉に、仕方ないから帰ってやるか…という諦めのような愛情が湧いてくるような感覚を時たま感じる。

嬉しいと感じる。でも帰った時に不快な言葉で「帰らなきゃよかった」と思うことも多い。

でも、帰らずに後悔するよりは、帰って後悔したほうがマシなのだ。

親からのラブコールに応えるべく、再来月に私はまた実家に帰る。その想いに、愛情が乗っていることを私は気づいてるけど気づいていないフリをしているから。

不快な言葉、帰ってこいの都合のいいラブコール、そんなもの全部ひっくるめて愛せれば、もっと楽になるかもしれないけれど、多分私はそんな大きな器になることは一生なさそうだ。

帰る時の往復交通費をまた気にしながら、多分次も実家に帰るんだろうと思う。

そんな自分自身は、ずーっと変わらずに何も成長出来てない感じもする。

でも、悩んでいる事象は例えは同じでも、その中身はしっかり成長していて、進んでるからこその悩みに実は日々変化していることは、誰かと接して話して、そこで初めて教えてもらえる。

私にとって、はたまた相手にとっても?色んな発見や気づきがあった、

そんな1日でした。

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コメント一覧

全2件
  1. schedule2019.07.04

    ohana

    ぬいさん☆
    お久しぶりです。
    そうです、2月に映画が20年ぶりで、4D含めて2回鑑賞に行って、現在製作者の意図通り、ズブズブ水深100キロ位までハマったこの私がいますw
    今も絶賛沈み続けています。。。

    良い親子関係、か…。
    どうなんでしょうね?時代によって働き方が変わるように、きっとそれも変わっているんでしょうね…。
    何が正解かとじゃなくて、極論は本人同士が良ければ良いって世界なのかもしれません。
    今の時代に沿っていると言うより、自分の心地いい関係性を意識することが大切なのかもしれない…。
    親子が大きく影響し合っている事実。知られているようで知られていなくて、意識されているようでされていないのかもしれない。
    それを意識するだけで「良い関係」ではなくても、何か違うのかもしれませんね。
    あとは、何が「良い」のか、自分の気持ちに目を向けておくのも、重要なのかな?

  2. schedule2019.07.04

    ぬい

    シティハンター
    最近新作の映画があったような
    しかもキャッツアイがゲスト出演してるとかなんとか
    親に認められなかった気持ち
    認めてほしい気持ち
    その特別な感情は実は誰しも持ちうるものなんじゃないかなと思います
    その感情を肯定するも否定するも割り切ってしまうもそれはその人によって違うのかもしれませんが
    自分の子どもの頃の親(親に当たる存在)に向ける感情というのは人によって変わるものでもない気がします
    それは心身が子どもから大人になっていく発達の過程において親(のような存在)がとても大きな影響を与えるからでその影響は大人になっても続いていくのだと思います
    だからこそ親子関係というものの大事さが社会で共有されているのかもしれません
    もちろん表面的な親子の仲の良さはあまり意味のないものだと思います
    現在、多様化する価値観と核家族化の影響は親子関係にも大きな変化が生じているのかもしれません
    “良い親子関係とは?”
    その問いを考え追求していくことにはとても重要な意味があるんじゃないかと
    私は思います

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