結果論として人生を考えた時、やっぱりここまで生きてみて良かったと思った
edit2020.04.28 1,927
昨年秋からココトモに登録させていただいた、いちりえです。
初めての投稿です。
少し、私ごとを書かせていただきながら、初めてのご挨拶にさせていただこうと思い、書き始めました。少しのお時間、お付き合いいただけたらうれしいです。
私のからだには、脳性まひという、障がいがあります。
生まれた直後の酸欠が原因だそうです。
脳性まひにはいくつかの型がありますが、私は「アテトーゼ型」です。
アテトーゼとは「不随意運動」のことを指します。
簡単にいうと、手足が自分の意思と関係なく動いてしまう、そんな状態です。脳からの信号をうまく制御できないのだそうです。
障がいがある人生はどうだったか
私の人生は、半世紀を過ぎました。
今思い返すと、それなりにいろんなことがありました。
ただ不思議なことに、今はどの出来事も通り過ぎてしまって、何を悩んでいたのか、どんな感情の波があったのか、正確に思い出せないのです。
その時々はほんとうにどうしていいかといつも悩んでいました。それは覚えています。でも、今考えると、なぜか、「あまり苦労はなかった」とさえ思うのです。そして、もっと荒波に出ていく努力をした方が良かったのではないか、もしかしたら何かサボってしまったのではないか、とさえ感じてくるのです。
そんなこんなの最近、お世話になっている人が、私に伝えてくれました。
「いや、その時その時、確かに感情の波はあったろうし、それなりに大変だったと思うよ。障がいは一生治らないものだったしね。今はここまで来たから、大したことではなかったと思えるだけだよ」
確かに、いつも私は悩んでいました。
いろんな選択肢の中で、そして制約の中で。
社会の仕組みの中で、人々の意識を感じる中で。
その、いっぱいあった悩みは、どこに行ったのか。
あくまで結果論ですが…
今も私は日々悩んでいます。
からだのことで派生することに戸惑い、悩むこともあります。
それは仕方ありません。このからだが私だから、一緒に悩むしかないですものね。
でも、本当にあくまで結果論ですが、
この人生、生き続けてみてよかったです。
私はむかし、とても短気でした。すぐ腹が立ちました。
辛抱が苦手でした。目の前の人にいつも何かを感じ、いかっていました。いつも誰かが悪いと思っていました。
そんな自分にもいつも腹を立てていました。
それがいつの間にか、変化したようです。
自分で言うのもなんですが、少しずつ、自分が望んでいた方に歩いていけた気がします。
人生、捨てなくて良かった、流されないで、いや、結構流された時もあったと思うけれど、自分で歩いてみて、良かった、月並みだけれど今はそう思います。
そう思いながら、今日の日常の、この心の奥のモヤモヤをどう整理するか、今日の悩みに踊らされているのですが…。
あくまで本当に結果論ですが、今までの悩みがそうであったように、今日の悩みも、真剣に(深刻に、ではありません)悩んでいるうちに、いつか気がついたら、何か血肉になってくれるのでしょう。
そうあって欲しいです。今日までの経験からは、そうに違いないと思えます。
人生何があるかわかりませんね…少し弱気になりそうになったら、結果論を思い出してみようと考えています。
まあ、やってみるだけですね。
読んでくださって、ありがとうございました。
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