こころの『余白』について。

僕がまだ学生の頃、とある先輩に、

「きみは、おぼっちゃまくんちのトイレを知っているかい?」

と聞かれたことがあります。

ジェネレーションギャップを無視して書きますが(笑)、

『おぼっちゃまくん』は、僕が小学生くらいの頃、流行っていたギャグ漫画で、

とってもお金持ちの、その名も、おぼっちゃまくんが主人公のお話です。

おぼっちゃまくんは、大豪邸に住んでいて、

トイレもすごく大きく(確か100畳くらい!?)、

便器に座るとトイレットペーパーに手が届かないくらい、広いんです。

お金持ちを皮肉った一場面ですが、

僕の先輩は、「これくらい広いと、トイレ以外にも、何かに使えそうでしょ?

この+αの空間が余白だよ。」と話しておられました。

 

建築の『余白』のはなし

僕は、建築の設計の仕事をしておりますが、

それは建築を通して、

『ひとが幸せになるのをお手伝いしたい』という想いがあるからです。

その場所でどんな楽しいことが起こるのか。

その場所でどんな人たちが出会うのか。

なんて想像して、「ひと」や「こと」を大事にしながら、

「もの」や「かたち」をつくっていきたいと思っています。

でも、こちらが想像していた以上に、

もっともっと、使う人たち・住む人たちが楽しいことを思い付ける場所、

そんな場所ができると、とっても素敵だと思っています。

その「想像以上」を生む一つの仕掛け(きっかけ)が『余白』ではないかと、

先輩は話しておられました。

 

こころの『余白』のはなし

こころにも『余白』ってのがあると思っています。

楽しい思い出や、素敵な出来事を置いておける場所です。

でも、悲しい思い出や、つらい出来事でも、そこは埋まっていきます。

いっぱいになる前に、捨てたり、整理したりしないといけないんですが、

自分の手には負えないときもあります。

そんな人が近くにいたら、少しだけでも、

整理するのを手伝ってあげたり、

一緒に持ってあげたり、

自分の『余白』で預かってあげたり、したいなと思っています。

逆に、誰かの『余白』を頼ることも、もちろんあります。

 

『余白』が少ない、今

今って、建築にも、こころにも、

『余白』が少なくなってしまってる気がするんです。

自分で抱え込んで、パンク状態になってしまう。

楽しいことも、辛いことも受け入れられる、

そんな『余白』となる場所をつくること、

さらには、『余白』を分け合える関係をつくることが大切だと考えています。

 

 

最後まで読んで頂いてありがとうございます☆

ここも、そういう場所ですよね。

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コメント一覧

全2件
  1. schedule2014.08.30

    いだっち

    マイケルさん
    コメントありがとうございます。
    こころの『余白』、足りなくなることありますよね。
    僕は相談を聞く側となることが多いので、
    聞くために自分の『余白』をつくっておくことを意識しています。
    色々やり方はありますが、基本的には「出す」ことが大切だと思っています。
    誰かに話をすることで想いを出す、
    涙を出す、声を出す。。。
    今の自分に合いそうな「出す」を試してみて下さい☆

  2. schedule2014.08.29

    マイケル

    ふと目にとまって読ませて頂きました。

    余白…。今完全になくなっています。こころも、そしてまわりをみてみると自分の部屋も、職場での居場所も。

    苦しくて。

    そんな中、温かい気持ちを感じれました。ありがとう。

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