普通って何?自分って何だろう?

「オハナって変わってるよね~」

これは、よく私が友人から言われる言葉。

私の友人は、みんな中学、高校、大学と進んで、就職し、結婚したり、子供を産んだりしている。

鬱っぽくなっている子は周りには少なくて、病んでも休職したりがほぼ、私みたいにニートはいなくて…

尚且つ、ニートじゃなくても、私は「変わり者」だった。

個性的、と言ってもいい。別に「変わっている」という発言をそんなに意識した事はなかった。

ココトモに出会い、苦しんでいる人と接し、自分も苦しみ、思う事がある。

「普通って何だろう?」

「普通に戻りたい」「友達のように普通になりたい」「体が早く普通になれば…」「普通に生活したい」…

みーんな、「普通」って言いますよね?

「付き合うなら普通のほうがいい」って。自分も相手も「普通」を求めますよね。

この「普通」が、実は一番高い理想なんだ、なんて雑誌の特集もある位。

普通は、常識とも似ています。

あの人普通じゃない、非常識だ、なんて言葉もありますよね。

常識が、実は個人の価値観の塊だったりする、これは前に述べた気がします。

じゃあ、普通ってのも、結局は人の主観でしかないって事。

学校だって、「普通」を目指す場所ですよね。普通じゃない人を「イジメ」たりもありますよね。

そう、「普通」って、本当はあるかもしれないけど、ないかもしれない。

個人の思い込みで価値観で主観で、勝手な判断。

それが普通、なんだと。

普通、も変わるもので、ここ数年友人の中では、転職回数やら体壊すやらで自分を普通だと思わない事が多かった私。

自分が「異端だ、違うんだ、異常なんだ」という事を、自分の個性や強みとして捉えられるようになった。

経験は、糧に出来る。異常だと思っている転職回数だの体が「普通」じゃなかった事だって、共感してくれる人、もっと大変な人だっている。

そうそう、「私より、あの人のほうが普通じゃないよね。おかしいよね。」なんて、比較して安心する事もあるよね。

人間、辛い時は誰かと比較して安心する事もあるよ。

でもね、それもあまり好きではない。

キリがないし、比較してる人に失礼だと思う。

私は、例えば、転職回数が2回の人に「私は5回だから、あなたはまだマシですよ~」と自虐的にネタにして励ます事は出来る。

自分でやる分には良い。

でも陰口のように、「オハナさんの回数に比べたら、私はマシだから~」と言われたら、誰だって嫌なわけで…

誰が普通で、誰のほうがマシな普通で、普通具合を比較する必要はない。

あなたはあなただけの魅力があり、私は私の魅力がある。

「普通」を目指す必要はなくて、あなたなりの個性を気持ちよく発揮出来る環境、居心地のいい環境、納得の出来る生き方が出来ているか?

それが大切なんだなぁ、と、「普通」を追い求めて苦しんだ私が、最近感じた事です。

あと、前回も書いた、「自分の確立」「自分の見つけ方」

自分なりに思った事がある。

「自分が解らない」とか、「自分って何だろう?」とか、「自分の良いところなんて」とか、色々あるけれど、

そう思っている時点で、そこがあなたの長所ではないか?と言いたい。

「は?何言ってんの?」と思われそうだけど、そもそも自分が何者なのかとか、自分が解らないとか、考えない事が当たり前でいる人間もいる訳で、気にしないで生活してる人だって沢山いると思う。

自分について、考えている時点で、既に素晴らしくて、やっぱり何かしら病気になったり、生きにくくなって変えようとしているから、それに悩んでいる訳であった、既にスタートして走っている、考えている、ゴールを探して走っている自分を、その時点で褒めたら良いし、むしろ長所がないと思うなら、今それについて正に悩んでいる事を長所にしたらいい。

人って難しくて、大きく変化が無ければ「進んでいる」とか「良い方向に向かっている」とか思えない。

「去年と自分は何も変わっていない」とか、「全く前進していない」とか、自分を責める。

でも、どんな状況にいても、全く同じ日なんてないし、全く同じ自分でいる訳がない。

誰も気づかなくても、何かしらの変化はあるはず…

少しの変化がある事を自分に信じてあげて(本当は誰か指摘してくれたら一番いいけど)

自分がない、のは、「自分がない」自分を自覚しているって自分がいる長所であること、

そこを気付いて褒められたらなぁ、なんて、難しいだろうけどそう思う。

自分探し、自分が解らない、自分が認められない、苦しい人へ。うまく生きられない、上手にいかない人へ。

大丈夫、そこに気付いてるってことは既に走っているという事。疲れて止まっても、ずっとそのままって事は望んでも望まなくてもない。

普通とか平均とか、異常とか異端とか、比較とか妬み、みんなうまーく、最後は乗り切れたらいいなぁ…

私もまだ途中だからね。

 

 

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全4件のコメント

  1. オハナ 2015/10/18 19:00

    ぬいさん☆
    とても共感しました。
    確かに、心が落ち着いてる時に、『自分が普通かどうか』って気にしないですよね。
    心が不安定だからこそ、『自分が普通じゃない』と不安を抱き、普通である事に憧れを抱くかもしれません。
    コメントありがとうございます(^^)

  2. ぬい 2015/10/18 14:46

    自分は“普通じゃない”と感じる感覚
    それが人を不安にさせるのかもしれませんね
    普通というものがあるのかないのかそれは別として
    普通じゃないという感覚を抱いてしまうと普通というものに憧れてしまう
    きっと心が不安定になったときの症状のような気が私はします
    心が落ち着いているときは案外“普通”なんてこと意識せず、自分の生き方ができているような気が私はします

  3. オハナ 2015/10/18 01:05

    匿名さん
    アイデンティティの欠如って、聞いた事はあるけど、習った事もあるけど、そもそも何だろうかな?って思ってます。目に見えるものじゃないなら、『あーこれこれ!見つけた!』って簡単になるものではない気がします。
    アイデンティティとかではなくて、解決策だとハッキリ言えなくても、自分の良いところを自分で理解するだけで、心が軽くなる人がいるんじゃないか?って思ったんです。全てに当てはまる治療法ではなくても。

  4. 匿名 2015/10/18 00:56

    自己の確立がなされていないということは、アイデンティティーの欠如のことじゃないですか?

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