いい子って?

こんにちは、中間テストが色々な意味で終わり、期末に向けて(少しだけ)勉強しているkuaです。

さて、今回は「いい子」って何なんだろう?というテーマでブログを書かせていただきます。

 

 

親に、先生に、「いい子」と言われる人たち。先生が「いい子」と言うのは、成績が良く明るい性格である人や、いつも笑顔の人、そして、“普通”の子。親が「いい子」と言うのは、親の言うことをよく聞く素直な子。そんな感じがします。

私はいつもニコニコしている人ですが、残念なことに親さんへの反抗が激しいので、学校では「いい子」ですが家ではへそ曲がりの困ったちゃんであって、決して「いい子」ではありません。

 

お気付きでしょうが、私は裏表があります。心と言葉、行動が一致していないことが多いのです。

学校では、表の常にニコニコしている部分しか出しません。表が良く、裏を隠してしまえば「いい子」になれてしまうのです。

今、家では表も裏も出すので、感情の起伏が激しい裏の私は「いい子」とは程遠い人間です。

 

 

「表裏がない」

それは、今の日本で褒め言葉として使われています。

「素直」

これも、同じです。

まとめると、「表裏がない素直な子」が、イコール「いい子」。そして学校では、場合によっては家でも、「みんなと同じ」人が好まれやすいと思います。

 

では裏表はなぜ、あってはならないのか?そもそも裏表とは?

私は今、人間の分際という本を読んでいます。その本によると、裏表のない人間という言葉は、本来は宗教に起因した美学から出たものだそうです。心と言葉、心と行為とが全く同じ、というのとは違うのだと。

ただし、今「裏表のない人」と言うと、ほとんどの人は心と言葉、心と行為とが同じ人だ、と思うのではないでしょうか。感情の変化が分かりやすく、感情を素直に表現できる人。

そしてここでもまた、素直という言葉が出てきました。

若干逸れた話を戻して..

裏表のある人というのは分かりづらく、たくさんの人を欺いているのかもしれません。実際、私は面倒なことに巻き込まれるのが嫌なので、苦手な人とも笑顔で話しますし、正直嫌いだという感情は誰にも見せません。これはきっと、私が苦手とするその人を欺いているのでしょう。

こう見てみると、裏表のある人は悪い。そう言い切れそうです。しかし、裏表がないというのも、何だか悲しい気がするのです。面倒事に巻き込まれやすく、単純。でも、薄暗い裏というものがないので接しやすい人であるとも言えると思います。

裏表がある人にもない人にも、良いところと悪いところがある。だから、裏表なんか、「いい子」の基準にはならない。そう思います。

 

素直になりたい、けど無理だった。あれ、何で素直になりたいって思ったんだっけ?

素直。 性質・態度などが、穏やかでひねくれていないさま。従順。

…。

私は親さんに、素直になりなさいと言われてきました。◯◯ちゃんは、お母さんにこれしなさい、と言われるとアンタみたいに反抗しないでちゃんと従うんだって。よくそう言われたものです。(今も..?)

しかし素直ってそんなに美徳じゃない気が…。まあ、私が素直とは正反対なのでそう信じたいだけなのかもしれませんが。

やっぱり、素直な人は他人を気持ち良くさせますし、素直ではない人は他人を不快にさせることが多いでしょう。

でも従順ということは、自分の意見をどこかに押しやってまでして他人の意見を受け入れる、あまり良くない言い方をすれば鵜呑みにするということなのかな、と…。自分の意見なんかそのうち消えていってしまいそうです。

素直でも素直じゃなくても、それぞれ良いところと悪いところがあるので「いい子」の基準にはならないと思うのです。

 

あれ、裏表があるかないか。素直か素直じゃないか。どちらも「いい子」の基準にはならない?

もしかしたら、子供を「いい子」と「悪い子」に分けること自体、おかしいのかもしれないなと思いました。

 

一般的に「いい子」と言われる人は、接しやすく他人を良い気持ちにさせます。いっぽう、「いい子」ではない人は、他人に不快な思いをさせやすいのでしょう。いい子ではない私は、親さんに不快な思いをたくさんさせてきてしまいました。それでも、親さんがだんだんそれを受け入れてくれるようになったお陰で、国語や理科、そして学校外での討論に多少強くなっています。いい子じゃなくても、良いところはあるのです。

 

 

一般的に好まれる、いい子じゃなくていい。いい子といい子じゃない、の境目なんてないし、いい子だからって将来成功するとかそういうわけでもないと思っています。

 

周りの評価は自分そのものなんかじゃない。自分は、自分として生きればいいと思うのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

中2のガキンチョが失礼致しました。ここまで読んでくださった方、ありがとうございました!

 

 

 

 

 

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コメント一覧

全3件
  1. schedule2015.11.01

    ぬい

    だれかに“いいこ”って思われるのが嬉しくて
    というか、相手さんが喜んでる顔が嬉しくて
    いいこになっちゃう
    それはそれでいいんじゃないかなと思います
    それは相手を喜ばせるのが好きなだけなんだと思います

  2. schedule2015.10.25

    匿名

    幼い頃は「いい子」になる事が私のすべてでした。でも、大人になると、頑張って「いい子」になんかなろうとしなくても、自分を受け入れてくれる場所があることに気づきました。

    私には反抗期がありませんでした。従順で素直で、何でも親の言う通りにするよう頑張りました。親に逆らうのが怖くてたまらなかった。でも、その結果、大人になってから親とうまく接することが出来なくなりました。
    私の周りでは、子供の頃に親を信頼して思い切り反抗できた子ほど、大人になってから親との関係がうまくいっているように見えます。反抗期は悪いことじゃないですよ。むしろ成長の過程で、必要な事です。自己主張の練習にもなります。

    大切なのは「いい子」になることではなく、数年間関係がこじれたとしても、そのあと本音が言える関係になることだったなと、大人になった今ひしひしと感じています。

  3. schedule2015.10.25

    あさ子

    いい子って人によって基準が違うんですよね。第一、いい子って何やねん(笑)ってツッコミ入れたくなります。子どもが言うこと聞かないと悪い子だとかわがままな子って言われるけど、そもそも言うこと聞かすこと自体も正しいの?って思います。本当に言うこと聞きたく時だってあるだろうし、子どもの言い分も受け止めてあげないと。子どもも小さな大人なんだし。表裏あってもいいと思いますよ。それが自分なんですから。自分をわかっているだけですごいと思います。

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