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もう誰にも迷惑かけたくない

閲覧数1439 コメント数1 person退会したユーザー edit2020.03.16

十月、仕事を辞めた。ブラックだった。友人の店だったからと信用したのがいけなかった。
我慢して、退職届を出して一年付き合ってやめた。

それから再就職しようと活動しつつ、日雇い派遣で働いた。
貯金がほぼなかったからだ。計画性がないと言われても仕方ないとは思うが、毎日暴言を吐かれて物を投げつけられるような生活はもう嫌だったのだ。

派遣は楽しかった。
その内一週間から二週間続きの案件も増えて、年末はかなり稼げた。
楽しかった。働いて、その分お金になるという感覚が久しぶりで、とても楽しかった。

だから、別にこのままでもいいのではないのだろうか、という甘えも出てきていた。

元より私は自分に甘い。
楽な方、楽な方へと逃げようとする。
友人の店を辞めなかったのも、新しい仕事を探して新天地に行くことを考えたり、その後の人間関係を考えたりすると憂鬱になったからだ。
そうして先延ばしにした結果、一番よくない結果になっているのだから目も当てられない。
更にこのパターンが人生で初めてではないとくれば、もはや目をくりぬいてしまうのが一番楽なのではと思ってしまうほどだ。

一月、派遣が閑散期に入った。
案件がとにかく減って、長期の仕事も男性向けの力仕事ばかりで任せてもらえない。
それでも入れる案件で頑張った。

二月、派遣会社を変えた。
長期の仕事を紹介してくれるところで、事務系も取り扱っている。
長期なら派遣ではなく、正社員なりアルバイトなりがよかったのだが、背に腹は代えられない。

そして派遣会社を変えた翌週の土曜。
足を怪我した。
左立方骨不全骨折…つまり、骨にヒビが入って、更に靭帯もボロボロらしい。
転んだのは、仕事中ではなく、何でもない土曜日のことだ。

当初はただの捻挫だと思っていた。
数日じっとしていれば治ると。
病院に行けと妹には言われたが、たかが捻挫に治療費を出すのは嫌だった。

しかし、たかが捻挫と侮るのはよくなかったらしい。
まったく歩けない。ずっとじんじん痛むし、這いずることしかできなかった。

それでも病院には行きたくなかった。
絶対安静なんて言われたら安静にするしかない。私はその週の水曜日に長期派遣の面接予定だったのだ。
工場内事務の現場で、派遣会社からほぼ確定といわれている案件で、面接も顔合わせに近い意味合いのものだった。
今断るようなことになれば、派遣会社にも取引先にも迷惑をかける。
それしか頭になかった。
それに歩けない。足がないのに病院に行きようがない。そんな言い訳で現実逃避をしていた。数日たてば、面接までには必ず治る。治らなくても引きずってでも行ってやる、と、言い聞かせて。

面接を翌々日に控えた月曜日。
車で三十分ほどの距離に住んでいる祖父がいきなりやってきた。
「病院に連れていく」という祖父に驚く。
私は、足を怪我したことを、妹にしか言っていなかったのだ。
同じ屋根のしたで暮らす父にさえ言っていない。
当然、離婚して祖父と共に暮らしている母にもだ。

祖父に、母づてで言ったのは妹だった。
捻挫でも歩けないほどなら病院に行った方がいいだろうということらしい。当たり前だ。
不便そうにしているのが目について不愉快だとも言われた。申し訳ない気持ちでいっぱいになった。私はダメな姉だ。ダメじゃなかったことがないけれど。

祖父に連れていかれた病院で受けた診断は、上記の通り。捻挫でおまけに骨にヒビ入っていますね、だ。
当然、工場内勤務などできるはずもない。
更に医者から、完治には三か月かかる。歩くのは一か月から一か月半かかるだろう、と言われてしまった。

死刑宣告に近かった。

私は派遣会社に連絡をした。
派遣会社の人にはかなり苦言を呈された。当たり前である。私も向こうの立場なら言う。
そして、会社のルールで、一回でも長期の案件を私用で断った人間には、案件を紹介しづらい(=しない)らしい。つまり、二度と関わってくれるなドタキャンクソ野郎ということである。
因みにこの時、引きずってでもいきたいと言ったところ、「病院に行っちゃったんでしょ?じゃあ無理ですよ」と言われた。つまり病院は悪手という予想は合っていた。嫌なことに。


ここまでで吐きそうなくらい自己嫌悪をしているが、まだ終わらない。

私は、派遣以外にも、以前から細々とデータ入力の内職をしていた。
元よりタイピングは早い方だったから、苦ではないものの、時間効率の悪さにげんなりするのであまり本腰ではやっていなかった。
だが、足が使えないのなら、本腰をいれてやるしかない。
いつもなら案件もそこそこあるし、寝ないでやればそこそこの収入になると思った矢先。

新型コロナ(による集団ヒステリック)が本気を出してきた。

増えた内職需要により案件は激減。
細々以上に稼げない。何故なら案件がないから。
大手の内職サイトも見たが、良さそうな案件は一切見つからない。

そんなこんなで手をこまねいているうちに、残金が千円になった。

今週の中頃にはネットが止まる。
父と妹と暮らしているとはいえ、食費は自分持ちだ。片栗粉をお湯で溶いて飲む生活に何日耐えられるだろう。
以前に治療費がないから病院にもいけない。
即金で稼ごうにも松葉杖が手放せない。
片道500メートルもないコンビニに行くのに一時間以上かかるのだ。笑えない。
風俗も視野に入れているが、やはり松葉杖。どうしようもない。どうしようも、ない。

一日おきの超音波治療の為に祖父は往復一時間の道のりを毎回車で来てくれる。
本当に申し訳ない。笑っているけど、申し訳なくて、本当に不幸もので申し訳ない。
歩いていけると言っても、親切にしないと自分を責めるタイプの祖父は、笑っていいから送っていくと言う。だから知られたくなかったのに。

土日休みの父とは昔から反りが合わない…というよりお互い関わり方がわからない。
なので私は土日家にいないようにしていた。
しかし、今は家にいるしかない。足が動かないのだから。

父にも足にヒビが入って歩けないことは伝えた。
「あっそ」の一言で終わり、とくに心配する様子もない。というか目も合わない。父の目が細いせいか、私の親譲りの目が細いせいだろう。そういうことにしておこう。
父はもとより妹の方が可愛いらしく(というより何の期待もしていない次女の方が心理的に扱いやすいのだろう)、妹には明るく接することが多い。

対する私は、不良債権だ。
父の期待に応えることができず、ずるずると社会のレールから外れた大バカ者だ。
因みに不良債権と言ったのは父である。私はきちんと処理しろと言った。勿論お前が言うなというツッコミありきのジョークである。

正直、父からの期待に応えられなかったことは、私の学歴コンプレックスにひどく影響していると言わざるを得ない。
簡単に言ってしまえば、妊娠、自主退、流産。終わり。
因みにこのことは父に知られていない。知られたら最後、当時の相手は海の藻屑と消えるだろう。そして私も縁を切られる。誰も得しないことはさっさと忘れるに限るのだ。

話が逸れた。
ともかく、私と父は会話をしない。
しても、「腹をくだした」「トイレはあいています」この程度だ。英会話の例文だってもっと会話するだろうに。
そんな父が、土日必ず私に言う言葉がある。

「まだ治らないの?」だ。

ニュアンスだけなら心配しているように聞こえるだろう。
肝心なのは、“土日”というところだ。
平日にも家にいるのに、言われるのは土日だけ。

答えは簡単。
私のいない生活を楽しみたいのに、私がいるから迷惑なのだ。
私も土日に言うことができた。

「治るのは五月」と。

だが、つい昨日、やらかした。
「まだ治らないの?」と言われて、つい、つい、面接を断られ、履歴書で落とされ、案件はない、面接に行ったら「そんな姿で何で来られたの?」と言われ、貯金が底をついたストレスで、つい。

「私が一番いつ治るのか知りたいよ。面接落ちるし断られるし、私だってはやく歩けるようになりたいんだよ」

とかなんとか。字にすると何だか子供の駄々みたいでかわいいが、言っているのは二十代後半の女で、おまけにドスをきかせていた気がする。興奮してあまり覚えていない。
父は「は?」と心底理解できないものを見る目でこちらを見ていた。

その時ふと、これは父なりのコミュニケーションだったのでは、と思いついた。
大丈夫?とか言えない父は、いつ治るのかと繰り返し聞くことで、私とのコミュニケーションを図っていたのではないのだろうか、と。

そして日曜日、何も言われなかった。
言われたいわけではないが、これでまた一つ、父との距離があいた。

別に元々アメリカのハイウェイ並みに距離があいていた。今更一メートルくらいあいたところで何ともない。

何ともないのだが、ともかくなんだかもうこれでとどめを刺された気分なのだ。

祖父に迷惑をかけ、父にも迷惑をかけ、妹にも母にも心労をかけた。
そんな自分が不甲斐ないし、貯金がない現実をこまねいた自分にも腹がたつ。そしてこちらは本当に甲斐性という意味での甲斐がない。
友人からは、オンラインで遊ぼうとラインをもらったりもしたが、正直もうそんな気力ない。
足は一度良好になったものの、ここ数日でパンパンに腫れだした。
むくみだと言われたので骨の心配はしていないが、これまた痛くて歩けない。もう一か月たつというのに、だ。

はやく歩けるようになりたい。
でも、もう無理な気がしてきた。
金もないし、気力も体力も最早底をついた。坊さんが食事したあとの皿なみにつるつるだ。
このまま周りに迷惑をかけ続けるのだろう。
会う約束をしていた友人たちは暖かい言葉をくれたが、一部には罵倒された。自己管理、確かに、なっていない。なにもいえない。正論には、屈するしかない。別に反論したいわけでもない。ただどこか言い訳したいという自己中心的な理由からくる甘えだ。

友人たちにも迷惑をかけて、私はあと何人に迷惑をかけるのだろう。
正直これ以上はもう耐えられる気がしない。
楽しいことを考えろというが、そういうことではないのだ。親類や友人たちに迷惑をかけている現状が許せないのだ。

理路整然と話せるうちは大丈夫とかいうので、長々と書いてみた。本当に長々だ。そのうえ理路整然かどうかは疑わしいところだ。そんなものに、ここまで目を通していただけたことには感謝の念しかない。ありがとうございます。

私はまだ耐えなければならないのだろうか。
本当につらい。
つらさというのは、一度ピークをこえると何も感じないものだが、ピークは一度こした。
今、そのピークの無感すらすぎて、胃痛と頭痛がする。梅毒かよ。

何か、このつらさを紛らわせるものはないだろうか。
もう何もかもが痛くてたまらないのである。
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コメント一覧

  • refresh約4年前
    退会したユーザー
    はじめまして

    確かになかなかしんどい環境ですね。
    辛さの想像はできませんが、何かの参考になればとコメントさせてもらいます。

    ここは一つ新しい考え方を試してみてはいかがですか。
    お爺さんと妹に助けて貰うのです。
    これ以上迷惑かけたくないと思うかも知れませんが、半年間助けて貰うかわりに、半年後にはちゃんと働き出して、1年後には今回の借りをちゃんと返す、という考え方です。

    なぜそうするかと言うと、今の食事もままならなく治療もしていない状態では、今後迷惑をかけないような改善が訪れるイメージは難しいかと思います。
    であればまずはちゃんとした健康な身体と正常な思考が行える精神に持っていくことから始める必要があり、そのためには今は他者の助けが必要です。
    ※ネガティブな状況の人がなかなか改善に至らないのは、1人では解決できない状況であるのに、他人の助けを求められない為だと思います。
    ※正直、お爺さんも妹さんも今後も前向きになれそうにないあなたを見続けるより、1年後に借りを返してくれるかも知れないあなたと接する方が良いと思う気はします。

    具体的には、
    ・お爺さんには、お金を借ります。食費と治療費です。1年後から毎月いくら稼いでそのうちの幾らを返すという計画も含めてお願いしましょう。計画にはお爺さんの意見があれば反映しましょう、お金より旅行が良いと、計画がまだ甘いとかあれば。
    ・妹には話し相手、相談相手になってもらいます。誰とも話さないと感覚が鈍くなりますし、1人で物事を上手くやるのは普通の人でも難しいです。相談などは一定の時間に区切って行いましょう。1週間で1時間、1日は最大でも10分など。そうすれば妹さんにも過度な負担は無いはずです。借りの返し方は一年後にプレゼントとなり相手の喜ぶ物を聞いて約束しましょう。ただし、借りを返すのは1年は先にして貰うのが良いと思います、借りを返すのよりあなたの回復と前進が直近の思考を割り振れるように。
    ・あなた自身は、内職するなり、本を読んで勉強するなりです。まずは回復、そして職探しの順番にしましょう。両方を同時期にやるのは焦るだけなのでオススメしません。完治の一月前ぐらいから職探ししましょう。それまでは面談の練習や仕事の勉強しながら回復に専念します。

    いかがでしょうか。
    なかなか、はい分かりました、とはいかないかも知れませんが、それを行うことで前進しそうなら、気持ちが嫌がっても是非行ってみてください。
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