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コミュニケーション能力がないがために自分の居場所がなかったんでしょうか

閲覧数1212 コメント数20 person退会したユーザー edit2017.05.04

切実に意見を聞きたいです
自分は学生時代のサークルで存在感がないと思っています。
先日大学時代のサークルの同窓会のようなものがありました。

自分は大学時代、大人数のサークルに所属していましたが、友達や仲のいい先輩後輩と呼べる人は数人でした。
自分は、みんなと積極的に話したり、みんなの会話に入っていけるタイプではなく、自分と仲のいい人も集団の中心的な人物ではなく、自分と同じようにパッとしない子たちでした。
先輩や後輩にも仲のいい人はいましたが、その人たちだって色々な人と仲がよかったのですが、自分はその人たちが自分とあまり親しくない人といる時は話に入れませんでした。入らなかったのではなく、その場にいることはできても会話に参加することができなかったんです。

過去に何度かサークルの集まりに参加したことがありますが、誰か来た時にすごくみんなから「おー!」とか反応される人もいますが、自分は大して反応されませんでしたし、仲がいいと思っている人でも、その人にとっての優先順位があるのかなんなのかはわかりませんが、こちらから声をかけてもあまり好反応は見られなかったりして、いかに自分は周りから重要視されてないのかということを思い知ったことがあります。

先日の同窓会でも同様です。
それどころかもっと強固なものに感じました。
学生時代から仲のよかった人たちは再会を懐かしみ、僕のような人はその人たちからしたら、再会を懐かしむような人でもなく、自分はいつも通り、同じような境遇にある友達と話し、仲のいいと思っている人は色々な人と話し、ようやく少し僕に声をかけてくるぐらいです。
それも僕がいけないのですが大して話も盛り上がらずすぐに他のところへ行ってしまいました…

結局自分の人間性やコミュニケーション能力がないばかりにそういうことになってしまっているんでしょうか…?
自分の中では精一杯人間関係を作ってきたつもりですが、このようなことになっていますと、どうしたらいいのかわかりません。
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コメント一覧

  • refresh約7年前
    退会したユーザー
    それにアドバイスしても何も実行もせずに机上の空論で全否定なら、せっかく作った料理を箸もつけずに文句を言っているのと同じ状態です。おそらく、あなたにとって何を出されても私のアドバイスは口に合わないと思います。
    今までも話した通り、あなたが敬遠されていた理由はそこにあるのではないかと思います。
    考えるだけでは何も変わりません。行動して初めて変わると思いますよ。

  • refresh約7年前
    退会したユーザー
    自分では分かっていると言う言葉が分からないとありましたので、それについて答えようと思います。

    実践してみようと思ってとありますが、やらない理由探しとやりたくない理由の方が先に出てしまうのは何故でしょう。本気で自分が変わりたいと思うなら、嘘くさいや気恥ずかしいよりもまずなんでもやって見ると思います。

    だけど、まず、やりたくない理由ばかりになってしまうのは、おそらく変わりたい思いよりも変わらないで良いと言う強い肯定感が欲しいんだろうなと思いました。なので、私にはどこか変われないよりも変わりたくないという思いが強いように感じました。

    だから、あなたは自分では答えが分かっていると私は思いました。だから、これ以上、アドバイスはできないと感じました。
  • refresh約7年前
    退会したユーザー
    ハイディさん

    もうアドバイスはいただけないとのことなので、もしかしたらご覧にもなってくれないかもしれませんが、一応自分の思うことを伝えます

    後輩の話については先輩風あったと思います。
    と言うのも、自分がやはり同輩や先輩との繋がりが薄いと感じていて不安になっていた時期だったので、後輩との交流に対して積極的になり過ぎていたんだと今では思っています。

    自信以外のことも必要だとわかっているとおっしゃってくださりましたが正直言ってよくわかっていません。それ以外の問題があることはわかっていますが…
    自分自身変わろうと思っても変われませんでした…
    コミュニケーションがうまくなるためにはこうするといいといった内容のコラムや本は読んだことがありますし、自分ができる限りで実践してみようと思ったこともありますが、どこか嘘くさくなってしまいます。それは自分であって自分の内面にはないことと言いますか…その自分に冷めてしまうし気恥ずかしさを覚えてしまうんです。
    きっと人付き合いのうまい人はそういうことをうまく演じるか、素でやれてる人なんじゃないかっね思いました。
    そう考えたとき自分はもしかしたらうまくやれない人なんじゃないかって思いました。だから、いつまでもうまくやれなくてこうして悩んでるのかなって…
    そう思ったらどうしていいかわからなくなりました。
    きっと
  • refresh約7年前
    退会したユーザー
    後輩についてはみんながみんなそうとは限りませんが、ただ、最初は親しくしてくれていたけれどの原因を探ると私の経験上からそこに行き着きました。
    私の先輩で私もはじめは昼食を一緒に行ったりなどを共に行動していましたが、一緒にいると先輩風が強くとても疲れる人だったので、半年くらいで私は理由をつけて他の子と食事に行くようになりました。それと同じ事だと思います。

    社会人で人気者になりたいとか目立ちたいとか思うと、そういう人を嫌う人も中にはいます。
    特に上に立つ先輩は厳しかったりします。よほど仕事が出来ないと寛容に受け止めてくれない傾向にありますよ。
    初めの一年間に自分が職場の人とどんな話をしてきたかよるのではないでしょうか?
    承認欲求が強かったり、嫉妬の目を向けられたり、あるいは否定的な物言いはやはり疲れます。

    他人と比較しないのが一番ですが、上手にお付き合いされている人に対して嫉妬の目を向けたり、自分と他人を比較して落胆する前にその人の付き合い方を見るために観察したり、人付き合いが上手な人と仲良くなる事で色々と気がつく事もあると思いますよ。
    私もそれほど、人付き合いが上手ではなかったのですが、自分が観察した人付き合いが上手な人は、相手の言ったことをよく覚えていて聞き上手だったり、相手が困っている時に声を自分からかけてあげられる人だったり、ほめる事が上手な人でした。凄いなと尊敬出来る人です。素敵な人だったので、嫉妬よりも何よりも自分もこんな人を目標にしたい。真似したいと思いました。
    相手の凄いなと思うところはきちんと「凄いなぁ。自分も真似したくてもなかなかできない尊敬するよ」と口に出して発言するようにしました。先輩ですがその人とはお友達になれましたよ。
    まず、相手をほめるところからはじめてみてはどうですか?
    意外とコミュニケーションが上手な人に仲良くなるきっかけとして、先輩は「人付き合いが上手なので、相談に乗って欲しいんですけど」とここでお話したみたい事を相談すれば面倒見のいい先輩なら、意外と気にかけてくれたり可愛がってくれたりすると思いますよ。相手に受け入れて欲しいなら自分がまず受け入れないと相手も警戒するので、思った事を正直にそのまま話すことで、私よりずっと上手にアドバイスくれる人もいると思いますよ。
    実際、自信だけではないと自分でわかっているのですから、自分の中で答えや原因だったりというものが殆どご自身がもう分かっていると思うので、私はアドバイスをするのはやめようとおもいます。
    頑張ってくださいね。
  • refresh約7年前
    退会したユーザー
    ハイディさん

    そう言われてしまいますと、歳下と話す際に、穿った見方をしてしまいそうですけどね…それが真実なんでしょうね。

    自分は音楽が好きでギターを弾いたりライブに行くのが趣味です。大して上達はしませんが唯一長いこと続けていることです。
    これをもっと極めるか、他の何かを始めるかですかね。

    実際自分の自信ってだけの話でもなくなってきている気もします。
    自分は今社会人2年目ですが、職場の人とあまり交流もなく、居場所がないと感じています。
    同期は僕の他に2人いますが、僕以外の2人は仲良いですが、僕はそこまで仲良くありません。その2人は先輩たちにも親しい人がいるようですが、僕はあまりです。仲のいい先輩がいたことはいたのですが外に出てしまってます。

    僕が口下手でコミュ力が低いので、先輩たちがいるところでも会話に参加できず、エレベーターを待っている時などもこちらからは話を振れず相手に話しかけられるの待ちだったりしたから、いけなかったのかなと思っています。
    業務上先輩と話す時でも「わかりました」「そうですね」「なるほど」「そうなんですか」とかありきたりなことしか言えなくて、正直コミュニケーションとしては絶対充分じゃないよなあと思いつつ、それしかできないのでそんな風にやってきてしまっていました。

    社会に出て2年で、仕事もそこまで自分にとって興味のある仕事していないかもしれませんが、うまくコミュニケーションが取れていないことが何より苦痛です。自分には誰も味方がいないような気持ちになります。
    しっかりコミュニケーションを取って、周りからも話しかけようと思ってもらえる存在になろうと思えば思うほど、自分のできなさにうんざりします。
    自分はおかしいんじゃないかとすら思えてきます
  • refresh約7年前
    退会したユーザー
    お返事は気にしなくていいですよ。
    実は私の母が承認欲求が強い人なので、似てるかもと話し方の癖に気がつきました。
    yuuunさんの言葉の癖に気がついた時、傷つけるかもしれないので伝えようかどうか迷いました。でも、yuuunさんの過去の質問を見てたら、何度か似たような問題の質問をされていたので、気休めな励ましの言葉よりも本気で悩まれているなら伝えた方がいいと思って文句言われるのを覚悟で書き込みさせていただきました。私の母なら伝えた時点で文句を言っているだろうと思います。それほどまでに承認欲求は本人が納得して向き合おうとしない限り、自分の意見と異なる意見に対しては柔軟性が悪く否定的です。
    私もおそらくyuuunさんも否定的な発言に対してはあまり良い印象は抱かないと思います。
    yuuunさんも色んな人と仲良くしたいと思っていると思いますが、それは後輩も同じだと思います。
    それと後輩は相手が先輩だから失礼な事ができないから、敢えて仲良くしている可能性もあります。後輩としては自分が仲良くしてあげているという感覚かもしれないという事です。時間が経てば色んな事も分かって行きますし、一緒にいて心地よいと思う人へ流れていきます。両者の認識の違いでどうしてもこうした思いの差が生まれます。さらに悩ましいもので他人の思いによって築き上げられた立場は恒久的に続くわけではありません。
    だから、これをやったから人気者になるとかこのテクニックを磨けば友達や後輩から注目できるというようなものはないと思って下さいね。ただ、特定の技術というのは自分が周りの評価を気にしなくて済むように自己評価を出来るように、自信をつける事ができるという事です。
    特定の技術と言いましたが大袈裟なものではないんです。なんでも良いんです。自分の興味がある事を更に勉強してこれは誰にも負けないという自信をつけてみる事が大事だろうと思います。資格を取ってみるとか興味がある習い事を始めてみるとかです。
    例えば英語が得意ならTOEiC600点以上目指してみたり、洋書を丸々一冊翻訳したり、趣味の音楽に興味があるなら何か珍しい楽器を習ったり、電気関係に詳しいなら電気工事士の資格を取ってみるとか、ジョギングなどを初めて大会に向けて頑張るとかでも良いと思うんです。
    いろいろあると思います。どれが自分に合うかは自分でしかわからないのでそこは自分で探してみてくださいね。
  • refresh約7年前
    退会したユーザー
    ハイディさん

    コメントありがとうございます。
    お返事遅くなりすみません。

    他の方から紹介していただいた本を読んだり、ハイディさんのコメントなどで自分のことをいろいろ考えてました。

    確かにおっしゃるように話し方の癖あるかもしれないです。
    結局認められたいがために、自分のキャラを、この人と仲良くなりたいと思ってもらえるように、必死になってしまっているところがあったなって思いました。
    大学時代、自分はサークルの中で後輩との方が一番交流がありました。自分が一番仲良くしていたと自負している後輩が何人もいて、その後輩達も自分を一番仲のいい先輩としてくれているという自惚がありました。でも、後輩は後輩で他にも色々な先輩から可愛がられていて、それに嫉妬してしまったり、後輩が自分とそんに絡んでくれなかったりするとガッカリしてしまったりしました。
    ハイディさんのおっしゃっていたことと関係があるのかはわかりませんが、もしかしたら最初はいい先輩だなと思ってもらえてたとしても、押し付けがましく感じて少し距離を置いてきた後輩もいると思いました。

    特定の技術というのは、趣味などということでしょうか?それとも、自分にしかないような個性や人間性を出していけるようなテクニックのようなものということでしょうか?
  • refresh約7年前
    退会したユーザー
    それから、自分を自分を認めあげられないから、自分の評価を他人に委ねてしまいます。
    自己承認ができる人は他人の評価を気にしません。
    自分に自信がないから自分を認めてあげられないんです。まず、自分に自信をつけることからやってみたらどうですか?という意味で特定の技術を磨いたらどうですかと言いました。
  • refresh約7年前
    退会したユーザー

    同じことをいいますが他人と自分を比べるから、外にいると思ってしまうんです。人と比べないのが一番だろうと思います。
    学校自体がスクールカーストがあったわけでなく、スクールカーストの被害を直接受けてないなら、あまり意識しない方がいいと思います。本当はスクールカーストの被害に遭っていることに悩み、そうした上下関係が無くなって欲しいと思っている人も多いからです。

    ちょっときついこと言いますね。でも、悩んでいらっしゃるのではっきり言いたいと思います。

    やりとりしていて分かったのは、貴方自身の話し方の癖もあるんじゃないかな?とおもってます。
    承認欲求が強い人は無意識で会話の中にそうした欲求を織り交ぜてしまう傾向にあると思います。
    例えば共感して欲しい。同意して欲しいという思いの言葉が含まれてしまったり、悪意がなくても言葉のマウンティングで上位をとろうとみたいな事も起きたりもします。
    だから、繰り返し相手を否定する言葉「でも」「だけど」という言葉を使いがちで、自分で感じた事が全てだと思う観念が強いので、自分と違う意見に対して柔軟性が足りないように感じます。
    だから、人のアドバイスもまず実行ではなくて、懐疑から入ってしまうんだろうなと思います。おそらくはこうして自分が他人を受け入れていないだろうとおもいます。
    まず否定から入ってしまうと人は疲弊します。そういう人にお願いするなら自分でやった方がいいと思うこともあるんだろうと思います。だから、頼まれなかったというのもあるかもしれません。
  • refresh約7年前
    退会したユーザー
    スクールカーストというものが実際僕のいたところにあったのかは、わからないですけどね…何か言われたりえげつない扱いをされたというわけではないので。
    ただ、学生時代、新入生歓迎の時に、花見をやることがあったんです。その場所取りを夜中に何日か僕らの代の人たちで交代交代でやらなきゃいけないということがあり、ほとんどの人はどこかで1日やるようにシフトが組まれたのに、僕とその他あまり目立たない何人かの人は入っていなかったりしたことがあります。
    また、先輩が卒業するときに追い出しコンパというのをやるのですが、その時に先輩たちに花束を渡す役割を一個上の先輩が卒業するときはやるのですが、一個上より僕らの方が多いのもあり、やらない人が出てくるのですが、僕はそれでした。
    そういうものを経験したり、何度も言っていますが仲良いと思ってる人の反応とか、他人の反応を見るたび、それを存在感のない自分の裏付けにしてしまってます。
    自分の価値を自分で見出し自信がついたら変わっていけるんでしょうか…?積み重ねた自信もなければ、ただ自信がついても、おそらく僕の人間関係はあまりよくならない気がして…ただ話しかけづらい雰囲気を纏って、僕のことを周りがそのように見ていることが気にならなくなるだけなのではないでしょうか?
  • refresh約7年前
    退会したユーザー
    広い視野を持って社会を見て欲しいと思います。スクールカーストの下層にいるのはあなたが悪いわけではありません。
    それだけは伝えたいと思います。
  • refresh約7年前
    退会したユーザー
    親からきちんと愛情もらっているのは、良かったです。
    スクールカーストの影響とかトラウマは大きいです。大学もスクールカーストがある場所とそうでない場所があると思いますが、今の学校はどうですか?
    スクールカーストが存在する場所なら下層側にいる人間は上にに立ちたい思っているはずです。
    みんなが操舵師になりたいと動けばその統制は失われると思います。
    だから、リーダーになれる人は少数ですし、思春期のように序列が上下することはあまりないと思います。
    人間は類人猿と同じで集団を作り、安全に行動するためその和を乱さないように行動するためにカーストを作るといいます。

    自分の安心や安定感はあくまでも自分自身によってもたらされるものです。
    自分の考え方を変えて、安定感や価値観ををそこに見いださないというのも大事だと思います。
    おそらく、自信のなさがスクールカースト依存したい、自分の価値を自分で見いださない状態をまねいているのではないでしょうか?
    それだったら、今から自分にしかできない技術や勉強をして自分を磨いたりして自分で自信をつけていく事が大事だと思います。
    スクールカーストはずっと続くわけではありません。社会に出たら社会のルールがありますし、スクールカーストの上にいた人が必ずしも上位に来るとは限りません。仕事が出来る人、特定の技術を持っている人など色々価値が変わると思います。
  • refresh約7年前
    退会したユーザー
    ハイディさん

    ご返信ありがとうございます。

    そうですよね。そればっかりは難しいですよね。だから「人は鏡」というのは、まさにその通りだなって思うんです。自分の行いの結果が今なんじゃないのかなって…他の人にはもっと好意的に接する後輩が僕にはよそよそしかったりとか、仲がいいと思ってる人が、向こうからは案外話しかけてくることは少なかったりするのは自分に人間的な魅力を感じないからなのかなって考えてしまいます。どうしてもそういう場面を目にしてきたことがあるので…どんだけいい人でも合う合わないはあると思いますが、何か自分にとってそういう人って結構いる気がしてて、そうなるとそれは、自分が周りとは少し違っているんじゃないかと思えてきます。
    こういう人間関係の悩みに対する意識があるからなのか、そもそもその集団にあってなかったからなのかは、わかりませんが、もしそうならば自分の居場所ではなかったのかもしれません…それを受け入れ難くて、何とかしたくて4年間続けてきたのかもと思うと寂しいです。

    うちは、幸せなことにちゃんと親の愛情を受けて育ててもらっていました。ですから、承認欲求は自身の中に芽生えてきたことだと思います。多分小学校の頃は全く気にしてなかったと思います。悩みとは無縁な子でした。中学に入って、グループができたりして、何となくスクールカーストみたいなものを感じ始めたぐらいからぐらいですかね…
    確かに、僕は自分の価値を自分で見いだせてないんだと思います。それは言われてハッとしました。他人の評価が積み重なりそれが自信になると思っているので。
    人の顔色を伺わない生きかたになると、一匹狼のような生き方になるんじゃないかなと思います。それこそ周りを寄せないし、変な人だとも思われそうです。自分は人見知りであまり自分からいけないのですが、出会って日が浅い人から見ると結構、人見知りでいけないというよりは一匹狼で話しかけづらい印象を持つそうです。

  • refresh約7年前
    退会したユーザー
    ご連絡ありがとうございます。
    他人は自分にはなりかわれないのですし、他人と自分を比べないことも大事だと思います。
    所属感って本当は人から与えられるものじゃないと思います。
    そこにいて自分が楽しめれば自然にまたそこにいたいって思うと思います。
    自分の立ち位置とかあまり気にしないでいられる場所が居場所なんじゃないかな?と私は思うのですが。

    確かに承認欲求が強いのは他人への評価を気にしやすい傾向にあるようですね。
    承認欲求が強いのは実は幼い頃自分が育ってきた環境が影響させている可能性があります。
    アダルトチルドレンがそういう傾向にあると言われてますが、yuuunさんのご家庭ではどうでしたか?

    あくまでもアダルトチルドレンだった場合を過程してお話しますね。
    アダルトチルドレンは子供の頃に親から認められず、褒められることもなく、甘えさせてもらったり、ありのままで愛された経験がないからずっと心が満たされた気がしないからだといわれています。
    親から無条件の愛情受けてなければ自信は培われないので、自分に自信がなかったり、自己評価も低くなります。
    そうなると、自分の評価が低いためにそれを補うようにして相手に評価を求めがちになります。
    それが原因で承認欲求が強くなるらしいのです。
    承認欲求は本来自分自身の価値を見いだせることが見出せなかったために相手にそれを評価を委ねる事です。
    それ自体を克服するには自分がまず自分を認めてあげることから始まり、他人の評価に頼らないことだと思います
    自己評価が低ければ、おそらくずっと自分の評価を他人に預けることにますから、常に人の顔色を伺っていないと気が済まなくなってしまうと思います。おそらくそれはそれできっと苦しいんじゃないかな?って私は思います。

  • refresh約7年前
    退会したユーザー
    ハイディさん

    コメントありがとうございます。

    好かれたいからなんですかね…と言うよりはその集団の一員としての所属感が欲しいってことだと思います。承認欲求が強いのかもしれないですね。
    中心的な人は少数で、その周りにいる人がいて、さらにその外側に僕はいる感覚なんですよね。きっとその辺りの人と繋がりが持ててれば、ここまで悩まなかったかもしれません。
    仲良くなろうと頑張りすぎて疲れたというよりは、他の人を見ていて自分に足りないものが頭ではわかっていて、でもうまく振る舞うことができず、結局うまくいかない状況に悩んでました。全力を出し切ってもうまくいかなかったとも捉えられますし、僕にそういう社交的な能力が不足しているからこのようなことになったとも、捉えられる気がします。
    その場所が合わなかったのかもしれませんが、そのようなことっていつもではありませんが過去に何度も経験したことがあります。今回はたまたまならそれで済ませられますが、何度もあるなら、自分の人間的な問題なのかな…とも考えてしまいます。自閉的な症状とかもあるのではないかとか、少数派な人間なのかもとか考えてしまいます。
  • refresh約7年前
    退会したユーザー
    まず、どうして自分が相手の反応を気にしているんだろうに焦点をあてて考えていくといいとおもいます。
    華やかで魅力的な自分になりたいと思っても万人がそうなれるとは限りません。
    そう言う人はごく限られた人なのでないかな?とおもいます。私も自分の事を人間的に魅力的だとは思いませんし、面白いとか楽しい人だとは思いません。

    因みに私は会話に対する心構えを書いたつもりはないですが、もし、そう言う風捉えてしまってたらごめんなさい。

    自分の居場所は心地よいものでなければ、自分の居場所ではなくなるのではないでしょうか?
    もし、仲良くなろうと頑張りすぎて疲れているのなら、それは貴方が無理をしすぎていると言う事だと思います。
    家族間でも友人間でも自分の居場所はどこでもあるわけではないと私は思います。
    居場所は自分が自然体でいてこそ心地よいものなのではないでしょうか?
    も無理をされているから、居心地が良くないと感じられているのかな?とおもったので、敢えて無理に合わせる必要はないんじゃないかな?と思ったんです。無理しているとどこかで破綻すると思います。
    たまたまそこで自分の居場所が見つけられなかっただけだと思うので、それに疲れたら無理しないでいいとおもいますよ。私もあくまでも自然体で自分の出来る事をしていたら、いつの間にか人と仲良くなったので。
    声に強弱つける言葉のテクニックは私は仕事などでしか使ってませんが、面接の時や初対面の人と話す時に人の印象に残るるために遣うテクニックで学校の先生から教えて貰った方法です。強制でもありませんし、毎回使って下さいとは言いません。ご自身でこの方法が合うようだったらこの方法もありますよ。というあくまでも選択肢ですので、試して下さいねと言いました。合わなければ合わないで無理に使わないくていいと思います。
    私自身は自分にできる事をして、別に一人でもいいや思って自然体で接してたら、 自然と仲良くなれる友達ができた ので、ご自身の合うようになされたらいいと思います
  • refresh約7年前
    退会したユーザー
    davidさん

    コメントありがとうございます。

    紹介してくださった本読んでみます!
  • refresh約7年前
    退会したユーザー
    コメントありがとうございます。

    「何を話したらいいんだろう」とか「どう返したらいいのか」「どうしたら会話が盛り上がるか」とかは考えてしまいます。
    でもその根底に「嫌われたくない」とか「相手の気持ちを優先している」とかというのがあるのかはわかりません。
    コミュニケーション能力の高い人って、普通に人間として魅力があって、面白い、楽しい人なんじゃないかと思っているんです。
    発する言葉に、人を惹きつける力があるというか。
    でも、僕は元々そういうのがなくて、ないがゆえに自分の中で上記のような会話における心構えのようなものを意識するようになって、それでも結局どうすることもできていないというのが現状です。
    自分と仲のいい人が参加している会話にも入ることができないのは、ノリについていけないとか、自分にはわからない話をしてる、とかそういった時に興味を持って話を合わせにいったりもできず、コミュニケーション能力が高い人に比べて自分は華がないしとにかく能力が低いのかなと劣等感を感じてしまいます。
  • refresh約7年前
    退会したユーザー
    Yuuunさん、はじめまして。
    人間関係は難しいですよね。自分自身がコミュニケーション能力が低いと思っている人は「自分が相手をどう思うか」よりも「相手が自分をどう思っているか」の方が重きを置いています。加えて「自分が話しかける事で変な人に思われないか?」とか「何か自分が発言した事で相手を不愉快にさせたりしないか」等の負の思いが巡って気になってコミュニケーションが思うように取れなくなっている傾向にあるんだろうと思います。
    そう言う方に限って優しくてなんでもよく気がつく方だったりします。ただ、自分より他人に意識が向きすぎて自身が気疲れしやすい傾向にあります。期待に応えたいばかりに相手の顔色や反応を自分自身の気持ちよりも優先にしすぎてしまっているからだろうと思います。ですから、もしかしたら気を遣う場所を間違えてしまっているのかもしれません。
    周りの方が貴方のようによく気がつく方だったら、相手の反応まで気にする訳ですからなるべく期待に応えようとしてしまうはずです。相手の方はそう言う反応をしないのは自分の気持ちを優先にしているからだろうと思います。相手の気持ちを考える事は大事な事ですが、自分の気持ちを犠牲にしすぎず自分の気持ちをまず優先にした上で、何より他人と自分を比べない事も大事だと思います。
    相手の気持ちを考えられる人は本当はすごく優しい方です。でも、相手の顔色や反応まで気になると言うのは、実は自分が嫌われたくないと言う思いが隠れています。
    相手の気持ちをどこまで考えていいかわからないと思ったら、まずは嫌われたくないと恐れがそこには隠れてないかで判断するいいと思います。
    相手に嫌われたくないと思うあまり自分が良いと思う事が思うように言葉や行動に出せないのだとしたら、「自分の気持ち<相手の気持ち<嫌われたくない」という気持ちが最優先になっています。
    他人や自分の気持ちよりも恐れが先になる図式が誰も得をしないのはわかると思います。
    しかし、嫌われたくないと言う気持ちは誰でも持っているエゴです。

    社会的ルールやマナーを最低限守った上で自分に出来るだけの事をしたのに嫌われてしまったり、自分の思いが相手思いとそぐわない場合は、相手や貴方が悪いわけではなく単純に合わないだけなのです。
    子供の頃、大人達にみんなと仲良くしましょう、嫌われないようにしようと努力し、そう言う教育受けてきたと思います。だけど、世の中には自分と合う人ばかりでなく、万人に好かれる必要はないのです。


    だから、無理に人と仲良くしようとは思わず、自然体でいられる人と仲良くする事も一つの方法ですし、
    でも、色んな人と仲良くなりたいと言うなら、あくまでも嫌われたくないという気持ちに蓋をした上で、自分がやってもらったら嬉しいと思う事をしてみるといいと思います。
    相手の話をよく聞き、話した事をよく覚えている事も必要ですし、周りがやりたがらない事でも率先して手伝ったり、相手が何か自分にしてくれたら、お礼を言葉にした上でその感想も伝える事で相手に自分の仲良くしたいという気持ちは届きやすくなると思います
    よく分からない相手には警戒しても、一生懸命に頑張っている人には心を許して打ち解ける事もあるとおもいます。一生懸命頑張っている人をよく見ている人は必ずいると思います。

    それから、これは話し方のテクニックですが、印象に残る話し方というのがあります。わざとゆっくり話したり時には早口で話したり、大きな声で話したり小さな声で話したりと声に強弱をつける事で相手の注意を引きつける効果があるそうです。
    朗読で昔話を読む時に淡々と「むかし、むかし、あるところに」と読むよりも「むかーし、むかし。あるところに、、、」と強弱つけて読む方が印象に残るのと同じ原理です。
    もし、よかったら試してみて下さいね。
  • refresh約7年前
    退会したユーザー
    yuuunさん
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    お悩み拝見しました。「隣の芝は青く見える」という諺があります。何か、自分のやってきたことが、的外れだったのではないか、骨折り損だったのではないかと打ちのめされる日というのは、誰しもあると思います。
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    友がみな我より偉く見ゆる日よ花を買ひきて妻と親しむ 石川啄木
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    こういう歌を作ってる人がいるくらいです。啄木は短歌の世界では有名人ですが、たとえば、同窓会なんかに参加して、すごい人脈力のある友とか、また、高級官僚になってたりとか、そういう何か、啄木にはないものを持っている友達を見て、自分の短歌の才能なんか金にもならないし、今でこそけっこう有名歌人ですが、生きているときはそれほど有名でもなかったようですから。
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    さて、対応策としては、水島広子さんの『「自分の居場所がない」と感じたときに読む本』はおすすめです。私はその本は読んだことがないのですが、水島先生の他の本は読んでいて、「イライラ」「トラウマ」「他人の目が気になる」とかいうテーマの本を読み、それらの悩みが軽くなりました。ですから、おすすめします。紹介した本が書店で見つからないなど、手に入りにくいようでしたら、他の本でもいいです。一読をおすすめします。
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