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半年分の本音です

閲覧数669 コメント数2 person退会したユーザー edit2018.09.18

半年溜め込んでたものを文字にしたら、原稿用紙8枚分くらいになってしまいました。お時間のある方だけでも結構ですので、読んでコメントなりアドバイスなりして頂けたら幸いです。




最近、生きる気力を失いつつある。頑張りたくない。というか、何もしたくない。人生此の先楽しいことも辛いこともたくさんあるのだろうけど、その度に一つ一つ乗り越えていかなければならないのが面倒くさい。「生き甲斐を見つけろ。」とか、「生きていれば、そのうちいいことある。」とか、「その面倒くさいことが人生を彩る。」とか、そんなこと言われても、いいこと悪いこと全部含めて面倒くさいし、どうでもよく感じる。「そう感じるは心が疲れてるから。あなたには休憩が必要。」それもちょっと違う。そもそも休憩してたせいで、面倒ごとが毎分毎秒増えていく様な気がする。自分が嫌になる。そんなことを考えてても、ロクな答えなんかでやしないし、より生きていくのが面倒くさく感じる。人生、生きていくのはそうやって面倒くさいことばかりだろうし、親に聞いても、「何でも面倒くさいよ。そう言うもんだって。私だって仕事で○○が...............。」「それ言い出したら私だって、どうする?お母さん明日からいなくなったら?」「一緒に消える?」って返される。甘えなのかな。別に甘で大いに結構だけども。たとえ今頑張ったとして、次の壁もまた同じくらい苦しい思いをして乗り越えてを繰り返して行くのが、心の底から面倒くさい。「それが人生だ。」と言うのなら、私はそんなモノ必要だとは思わない。早く死んで、楽になりたい。生きることにメリットが感じられない。いや、きっと色々メリットはあるのだろうけど、それと同じくらい、私にとって堪え難いデメリットもたくさんあるだろう。面倒くさい。死んで楽になりたいけど、これもこれで、デメリットがなかなかに多いし大きい。それでも、「楽になれる」「何も考えなくて済む。」「何も感じなくて、思わなくて済む。」ってことが、何よりも魅力的で、何よりも欲してる。もし、過去に跳べるなら、過去の自分をぶん殴って、言って聞かせたい。「人生なんて、面倒くさいことばっかりだ。悪い事は言わないから、さっさと死んでくれ。お前は、決して特別でも何でもない、一介の屑でしかないのだから。死ぬのが怖いって言うのなら、この手でぶっ殺してあげるから。」って。そうしたら、今の自分の存在なんてなかったことにならないかな。水蒸気みたいに霧散して、空虚の中に消え入ってしまわないのかな。そうなれたら、どんなに素晴らしいことだろうって、自分が消えて無くなることをよく考える。或いは、どうしようもない事故で死んでしまうこと。こっちの方が、よりリアルで、妄想が捗る。「歩いていたら、酔っ払いのトラックが自分に突っ込んで来ないかな。」とか、「駅のホームで立ってたら、線路に突き飛ばされないかな。」とか、「こんにゃくゼリー噛まずに飲み込んだら、自殺か事故か分からなくていいんじゃないかな。」とか、「私はここだぞって語りかけたら、私めがけて隕石が降って来ないかな。」とか、色々考えてしまう。「人類滅びないかな。」、東北の方々とかには悪けど、震災を心待ちにしている自分がいる。「南海トラフおきないかな。」って。もうすぐ学校も始まるけど、すごく面倒くさい。宿題もあるし、文化祭のゲートの準備もしなくちゃいけない。前期に落とした成績にもご対面しなくちゃいけないし、単位を落としたりしてるかもしれない。来年には進学するかも決めないといけないし、その前にインターンでどこにいくかも決めなくちゃいけない。そもそも、それを決める前に、将来何になりたいかも決めなくちゃいけないのかな。半年ぐらい前までは、ただただ建築家になりたいと思っていたし、そのためにクソくだらない学校の勉強だって頑張ってた。コンペだって挑戦して、高校生コンペだけど佳作に入った。学校の設計の課題だって評価は良かったし、楽しかった。自分は設計が向いてると、その頃は本気で思ってた。それが狂った。たぶん文化祭のゲートの設計と展示代表を引き受けてからだと思う。今思えば、その前から徐々におかしくなっていた様な気もするけど、明確におかしくなったのはその時からだ。上手く行かない。他人と関わりながら何かを作り、それの責任を持つ、大金を動かすっていうのが自分にとって、途方もないストレスだった。それが致命的に、自分が設計屋には向いてないと、思わせてきた。期日に色々間に合わない。焦って適当な企画にして、それでやることになった。スランプなのかな。自分が元々設計が好きなのかどうかも分からなくなっていった。同時期にやった初めての共同設計も全く上手くいかない。やる気も自信も無くなって、トドメは学科長に言われた「君は設計に向いてないな。よく今まで設計で単位落とさなかったね。あ、あの先生(前に私に良い評価をくれた人)は言う通りにやってたらA +くれる人だもんな。」って言葉。泣きそうになった。先生の部屋から出てる時、「身投げすんなよ。めんどくさいから。」って言われた。自分の部屋でメソメソと泣いた。今まで自分が立っていた足元が、がらがらと音を立てて崩れ落ちた様な気がした。こんなことになるならゲートなんて引き受けなきゃ良かったって、本気で後悔したし、今でもしてる。正直投げ出したいけど、ここで投げ出したら時間を無駄にしてしまった前期が本当に無駄になってしまう。それも身から出た錆だけど。ゲートが気にかかったり、将来の夢や姿を見失ったりして、勉強に集中出来ず、定期テストで成績をガクンと落とした。それを引きずって投げやりな気持ちで、自由に過ごせる最後の夏休みも、無為にダラダラと過ごしてしまった。コンペもバイトやらずダラダラした。夏休み明けの試験で挽回するつもりだったけど、今じゃそんな気持ちは一片もない。夏休み中もゲートのことで学科長のとこに度々行った。面倒見はいい人だけど、また心にグサって来ることを言われるのが嫌で、足取りは重りでもつけてるんじゃないかってぐらい重かった。学校に行くだけ行って、結局先生の所に行けずに無意味に終わった日もある。クラスメイトにであって、ゲートで頑張っていると思われ、そのあるか無いかも分からない期待が、私の撫で肩にのしかかってくるのを感じた。或いは錯覚した。いっそのことズリ落ちてしまえばいいのに、しつこく私の肩に重くのしかかってる様な気がする。呪いの類かと思いたくなる。重い腰と足を引きずって、学科長のとこに行けば行ったで「君は楽しくなさそうだね。」って言われて、より自分は設計が向いてないと思わされた。同時に、まだ設計にこだわってる自分が居るのもわかった。嫌になる。「君は」っていうフレーズも結構効いた。歴代のゲート担当の先輩方は楽しそうだったのか。聞けなかったけど、ゲートは自分ごときがやるべきじゃなかったて、やんわりと気付かされた気がする。計画通りやれば楽しかったのか。文化祭のイベントリーダーをやってるクラスメイトや、それに協力してる連中も、それなりに計画通りやって楽しそうにしている。自分がどんどん嫌いになって行く。劣等感に押し潰されそうだった。休み前にふと見たクラスメイトの夏休みの手帳に、夏休みの予定がびっしり書かれていて、真っ白な自分の手帳を鞄の奥に突っ込んだときにも感じた、どうしようもない劣等感。それと、自分は自由に振舞って生きてきたつもりで、どこかで生き方を決定的に間違えたまま、ここまで来てしまったのではないかという恐怖に襲われて、何もやりたくなくなった。全てが無駄で面倒に感じる。そして、あらゆることが怖くて動けない。一生寝てたいって本気で思ってる。寝てる間は本当に幸せだ。寝てる間に消えてしまったらどんなに幸せかって思う。毎晩毎朝、このまま消えて無くなることを願いながら、目と今日を閉じている。私は一体どうしたらいい?
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コメント一覧

  • refresh約6年前
    退会したユーザー
    一度に背負い過ぎてしまったから、上手く行かなくなってしまったんだと思います。
    誰かに助けを求める事が大事だったのではないでしょうか。

    その挫折がお先真っ暗にさせている、やる気も無くならせている。
    学科長は、教える人間としてどうかと思う言葉でしたね。
    でも自分の全力の評価ではない事は分かっていますよね。

    一度躓いたのなら、底まで落ち込んだのなら、もう後は上を向いて上がるだけですよ。
    躓かなければわからなかった事だってある筈です。
    自分で思っているより周りを頼りに出来なくて抱え込みやすいのです。
    それを自分で理解し反省したのなら、後は進むだけではありませんか。

    一人の思い遣りの無い教師の言葉をいつまでも引き摺るのは勿体無い事です。
    まだ向いている、向いていないを判断するのも勿体無い事です。

    腹を決めて、やるべき事に一つずつ取り組む。
    その繰り返しで自信だって付いてくるものだと思います。
    夢を無理して諦めようとするから何もしたくなくなるんです。
    まだ諦めたくない自分の気持ちを見つけてみて下さい。
  • refresh約6年前
    cameo 30代 男性
    どうしたらいい?
    進化したらいい。その点について、君は全く理解していない。とにかく進化すればいいだけだ。進化した結果、何が悪化しようとも一向に構わない。

    そもそも、本当はなにが一番面倒臭いのか。
    『選ぶ』のが面倒臭い。違うかな?

    自分に向いてるか向いてないか、やるのかやらないのか、進路は?
    どっちが良いのか、その良さの重みを量ってまわるのは確かに面倒。だから、選ぶことなんてやめてしまえ。その結果、人と違くなったり、手間が増えたからといってなんだというんだ。

    「頑張りたくない」「何もしたくない」というわりに君は、見栄、プライド、体裁、評価、成績……そんなものを大事そうに抱えているから、選ぶのがしんどい。学校の成績が落ちたら死ぬのかな?南海トラフを故意に発震させようとしているのに?

    そんなものはさっさと手放して、自分自身の何かを進めることだけに集中すればよろしい。どうしても選ばなきゃいけないなら、サイコロでも買ってくればいい。

    結局、いま『選ぶこと』が面倒に思えるのは停滞しているからに過ぎない。腕力がないから重いものが持てない、筋トレしたら楽に持てるようになる、これはそういう単純なこと。進化すればいいっていうのもそういうことだ。進化を繰り返すうちに、次第に何もかもがスムーズになっていく。

    一体何をもって自分の進化とするのか、そんなのは自分で勝手に定義したらいい。新しい何かを始めるのでもいいし、知らぬ間に進んできた道を振り返って名前を付けてやるんでもいい。

    「クソくだらない学校の勉強だって頑張って高校生コンペの佳作に入った」のも進化だし、「現在位置を語りかけるだけで自分専用の隕石を召喚可能にしようとした自分」に成った日があったんだろう? 小惑星に語りかけようなんて夢にも思わなかった自分からすれば、それだって立派な進化だ。

    夏は終わったんだし、腐るのはここまでにしたらどうかな。
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