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悩み続ける心

閲覧数822 コメント数2 person退会したユーザー edit2018.04.19


久しぶりに投稿させていただきます。質問形式ではないのと支離滅裂な文のため非常に読みにくいとは思います。気持ちを吐き出し整理する場のようになってしまうと思います。

まず、前回のトピックに回答していただいた皆様、大変ありがとうございました。
あれから踏み出したことはしんどいながらも1年間続けることができました。ただ、様々な事情からここに居続けても果たして自分のためになるのかと疑念を抱き、昨年度の終わりにやめる決意をしました。
背中を押していただいたことが本当に励みになりました。

ここからが今回の悩みです。とうとう大学3回生になってしまいました。もうそろそろ今後の進路について考えなければならない時期なのですが、情けないことに私にはまだ「これが私の1番頑張ったことです」と胸を張って言える何かがありません。面接で聞かれる質問第1位であるにも関わらず、私にはそれがないのです。
しかしそれを作るために、今年も様々な場所へ足を運ぶように心がけています。新しいことに挑戦することは私にとって非常に勇気のいることですが、それ以上に何もない空っぽな自分への焦りを感じ、今からでも自分を歓迎してくれるような場所を探しています。
そこで始めた1つのことで、まず1つ目の悩みを抱えています。その始めたことというのが特定のテーマに対し学生が課題を見つけその解決を目指すという新しい形の授業です。問題はここからで先日役職決めの際リーダーを任せていただくことになったのですが、その日の夜から早速仕事や気を回さないといけないことがたくさんあると知り、そのうえ私も自身のほかの授業の忙しさに不安を抱えていたため、その2つのことで心と頭がいっぱいになり食事が気持ち悪くなり涙があふれ、「私にリーダーは無理です」と授業の先生に勢いで言ってしまいました。本当にこんな歳をして決定したことを覆して申し訳ないと同時に情けないです。ありがたいことにその要求を受け入れてくださり、リーダーを別の方にお願いすることとなったのですが、しかし私はこんな状況であるにもかかわらず、「本当にやめてしまってよかったのか、折角の機械なのに」「少しくらい無理がなければ頑張ったなんて自信をもって言えないのではないか」と自分の下した選択に対しまた悩みを抱えています。「リーダーという折角の成長するチャンスを手放してしまってよかったのか、もう少ししてから判断を下してもよかったのではないか、でも当時は本当に不安が募って1人泣いてしまったし変わってもらうなら早いうちじゃないとますます迷惑をかけるからこれでよかったのではないか」と、他にも様々な考えが頭に浮かんでは消えを繰り返し、頭がそれでいっぱいで大変苦しい状況です。
サークルやほかの活動で大学生活を謳歌している他の人よりも圧倒的に遅れをとっているのだから人一倍頑張らないとと思った矢先躓きました。本当に、人に迷惑をかけることしかできない自分が嫌になります。迷惑をかけた後も「本当にこれでよかったのか」と考える自分の思考の自分本位さや図々しさにぞっとします。自分で自分が本当に理解できません。自分の下した決断に不安を覚え生活や心に支障をきたし人に迷惑をかけるという悪循環を何度か繰り返しているのですが、私はどこか普通とは違っているのでしょうか。。適応障害というものによく似ているなと調べていて思ったのですが、何か病名がついて、私もそれを「ああ私病気なんだ」と意識して就業に支障をきたしてしまうのと、至って普通に親切にここまで育ててくれた親に申し訳なくて行こうと思いません。(そもそもそういうものは自分で気付いている時点で可能性は低いとも耳にしました)
本当にまとまりがない文で申し訳ありませんが、私のこのような心理状態になにか思うところがあればコメントいただきたく思います。またリーダーじゃなくてもチームの共同作業で自分の頑張りしだいで面接に活かすような何かを得ることはできるのでしょうか。。そんなの知るかよって感じですよね。ほかのメンバーや先生方にも失礼だと感じます。すみません。

他にも挑戦しようと、以前見学に行って楽しかったサークルに加入するつもりです。でも地域活動をしている大学外の学生団体にも関心があります。上の授業に加え学生団体にサークルも、また3年なので就業体験にも行かないといけない、じゃあ何を優先順位1番にすればよいのか、何をあきらめるべきなのか、以前選んだもので失敗をしたのでもう失敗したくない、それ以前に失敗したらもう4年なので後がない、私は何を選んで何を捨てるべきですか?もう自分の選択で失敗ばかりしてきたので自分が信用できません。ほかの人に決めてもらいたいです。。何の取り柄もエピソードも自分、就活が怖いです。こんなのなので人より大変な思いをするであろうに、人よりも頑張らないでいけないのに、すごいエピソードがなければならないのに、

他にも悩みは常に尽きないです。私はコンサートに行くことが好きなので就業は地元じゃなく進学で出てきた都市部で行いたい、しかしこのような状態で親に相談することも多く、また親も私が今後1人で働いていくことに(主に私の心理的な弱さを心配し)帰ってこいと言う、でももし帰るとしても地元は本当にど田舎で働くところといえば公務員か地方銀行しかない、銀行員の姉が毎日大変そうにしているのを見ると私には耐えられると思えない、でも公務員はあの倍率の中合格するようなエピソードが私には無いそうなると勉強も不安また地元に帰ると再び都市部に出るのが大変困難になると聞く、折角の若い時期をこれ以上棒に振りたくない、しかしこんなすぐに不安でいっぱいになる私にできる仕事なんて存在するのだろうか、もうまたすぐに不安を感じて人に迷惑をかけるのではないか、うんと悩みます。
果ては自分の全選択、および生まれた土地等の運命といったもう自分のこれまでの人生に嫌気が差してくるのです。人がうらやましいです。1人暮らしになれるまで精いっぱいで、これ以上をくだらないことですみません。でもこの脳みそは何かしら悩んで自分を苦しめないと気が済まないようです。

私でもなんだか意味が分からなくなりました。読んでくださった方は時間をとってしまい申し訳ありません。楽しいことを知らなくてもいいから、その分苦しいことがなくなってほしいです。生きていなければ楽しいことを知ることもなかったでしょう?ってよく聞きますが、それ以上に苦しいことつらいことのほうが多くないですか
?私は後者が圧倒的に多いですし無くても脳があれも悩んでみたらどうだというようにホイホイ作り出します。でももう脳の構造がこうなってしまっているのならこのまま苦しむしかないのでしょうか、人から見たらくだらないことに心をいっぱいにされてそれがこれからもずっと続いて、私の人生って何なんでしょうかね、もっと普通に楽しくて、普通程度に苦しんで、それでいいのに、それができる能力が私には備わっていないようで、どこで間違えたのか毎日毎日考えていて、もういっそ何か消えてしまえたらと思いました。極度の不安を感じているときに心臓が早くなっているのが分かります。克服すべきなのかそもそも克服できるのか、それとも波風立てないように過ごすのが良いのか、この無力な虚しさはいったいどうしたらいいのか、地元に帰って若さがただ枯れていく自分を想像するとこれからの生きる意味目標が分からないです。早く楽になりたいです。来週カウンセリングを受けることになっているのですが、団体への加入申し込み等がそれまでに来てしまうので気持ちを吐き出したいと思い残しました。偶然見てしまった方は気持ち悪い文章で申し訳ありませんでした。
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コメント一覧

  • refresh約6年前
    退会したユーザー
    ヨガ教室へ通ったり、座禅をしたり、呼吸を整えて、深い瞑想が出来ると悩まないです。
  • refresh約6年前
    cameo 30代 男性
    はじめまして。
    まず、授業におけるリーダー選出の件からコメントしますね。

    人が他人に迷惑をかけるというのは実は、とても当たり前のことなんじゃないでしょうか。

    僕は昔、回転寿司に行くのが嫌いでした。というのも、ワサビが駄目だったんです。だもんで、職人さんに毎回声をかけて「サビ抜きで」と注文をしなければいけませんでした。小心者だった当時の僕にとってこれは、ほとんど無理なことで「店員さんに迷惑をかけちゃう」と感じて苦痛だったんですね。寿司職人にとって子供のためにサビ抜きを握ることは果たして迷惑だろうか?なんていうことは考えもしませんでした。

    本当に迷惑なことといえば、例えば10皿を一度に注文する、とかでしょうね。他のお客さんのお寿司が握れなくなりますから、迷惑です。ですが、おそらく職人さんは何も言わずに作ってくれると思います。小皿に分けずに大皿に一緒盛りにする、一貫一貫をなるベくスピーディに握る、そういう工夫でもって、こちらがかけた迷惑を何とかやりすごしてくれるわけです。

    僕が言いたいことは、ある程度の迷惑はかけても変なことではないということ。そしてもう一つは、本当の意味で他人に迷惑をかけないのはpostさんのような人である、ということです。実際に見たことはないかも知れませんが、想像はできますよね?本当にいるんですよ、悪びれもせずに一度に沢山注文する人。そういう人と比べたら、迷惑をかけることに怯えるくらいの人の方が良いですよね。

    大学の教授も、授業1コマの1つの課題の1人のリーダーを変更することにそれほどの苦労をされてはいないでしょう。postさんが仰るとおり、後々になってから変更を頼まれるという「本当の迷惑」は見事に回避されているからです。

    postさん自身が新しいことにチャレンジするチャンスを逃したということは、なるほどそうだったかもしれません。ですがこれも、無理をしなかっただけ、ということにして良さそうです。別にリーダーになれば成長できるわけでもなければ、リーダー以外では成長できないというわけでもありません。すべてはこれから先の事にかかっているハズです。

    さて、この話で一つだけ懸念すべきなのは、社会に持っていったときのことです。

    現場が学校から社会に変わってしまうと、とたんに「迷惑をかけることに怯えるくらいの人」では不十分になります。多くの企業で「ミスは悪」「迷惑は悪」「失礼は悪」とされているからです。不安かと思いますが、こればかりは不安でいるしかないと思いますし、実際誰もが不安を感じています。学生と社会人とでは常識という土台から違っているので、「中学校のサッカー部員が大学サッカー部の合宿に混ざってみたらランニングについて行けなかった」と同じくらいの話です。社会人になってから叱られつつ身につけていきましょう。

    「大学生のうちにできる限りの準備をしなくちゃ」と感じる気持ちもわかりますが、はっきりと申し上げると、先述のとおり土台から違っているので、学生の頭で思い当たる「準備」ではどのみち不十分です。それについて今、悩んでいても仕方ないかな、と僕は思います。

    すでに長くなっていますが、相談文のなかに気になった言葉があるので、それについてもコメントさせてください。「すごいエピソード」についてです。

    postさんにとってのそれがどのようなエピソードなのかがイマイチわかりませんでしたが、もしかして企業面接の場面で言う「大学三年生の夏から3か月かけて地球一周の旅をしました」とかでしょうか。

    違っていたらごめんなさい。でも本当にそうならば、少し落ち着いた方がいいかもしれません。
    というのも、エピソードの出来栄えは「語る」というところで結実するからです。

    地球一周の旅を経験したとしても、それをきちんと解釈して、どれほど有意義なことかを語ることができなければ、すごいエピソードにはなり得ません。

    逆に、人事部の人に印象に残った面接でのエピソードはないかと聞いてみたときに、こんな話を聞かせてもらいました。

    ある日、公園で骨董市がやっていて、覗いてみると、ものすごい数の茶碗が並べられた店があったと。茶碗には全く興味がなかったけれども、なんとなく見ていると急に「走ったら速そうな茶碗」と「走ったら遅そうな茶碗」に二分できることに気がついて、その視点で見てみると、さっきまで興味のなかった茶碗たちに対して、ものすごい興味を抱くことができましたと。

    エピソード自体は骨董市にたまたま通りかかっただけですが、語っていることはとても面白いので担当者の記憶に強く残ったそうです(ちなみにこう語った人は合格したみたいです)。

    つまり、就活のために何か新しい劇的なエピソードを急造するよりも、今postさんが持っているものを真正面から語ってみる方がよいのではないか、という提案だと思ってください。

    相談文を読むだけでも、僕にはpostさんが「からっぽ」ではないことがわかります。人に語るに足るエピソードも起承転結の起承まで達しているのかもしれません(実際起承までできていれば全体の8割が完成しています)。人にとって悩むこと、苦しむことがどれほど価値あることかを自覚するべきです。その途中で「決意したこと」があるということを思い出すべきですし、しんどいながらも継続したという事実を思い出すべきです。そこに背中を押した存在がいたことも忘れてはいけません。

    それらを語らずに、就活への焦りから拵えた「良さげなエピソード」をいくら語ったところで人の心には残らないんじゃないかな、と僕は思います。

    長くなってしまって申し訳ありません。答えられていない部分もあれば、的外れな内容もあるかと思いますが、なにかの参考になれば幸いです。
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