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抱きしめられたい

閲覧数7364 コメント数2 person退会したユーザー edit2018.04.07

23歳の女性です。
誰かに抱きしめられたくて、抱きしめられたくて、苦しいです。
性的な欲求ではなく、単純に抱きしめられることにこの上なく飢えています。

何年も前から誰かに抱きしめられたい願望があったのですが、
そう簡単に叶う願いではないことを知りました。
日本で抱きしめてもらえる場所は数少ないことを知りました。

それからもずーっと毎日「寂しい。誰かに抱きしめられたい」と泣き続け、
思いは消えるどころか蓄積され募っていくばかりです。

フリーハグ、レンタル友達、果てはレズ風俗に至るまで、
抱きしめてもらえる場所を探しました。
男性でも女性でも、おじさんでもおばさんでもおじいさんでもおばあさんでも構わない。
抱きしめてもらえるならお金を払っても構わないと本気で思っています。
でも私は現在引きこもりで収入が無く、高価なお金は払えません‥。
家族とは関係が近すぎてできません。
何で、と言われると難しいですが、この年になってお願いするなんて‥相手も嫌がって、
どうしても‥なかなか身内とはできないのです。

それでも毎日ネットで抱きしめてもらえる人や場所を探しています。
(家族からは危ないからやめなさいと言われますが‥。)

どうしたら誰かに抱きしめてもらえるでしょうか。
どこに行けば抱きしめてもらえるでしょうか。
友達も恋人もいないので頼める人がいません。
ぬいぐるみをいっぱい集めましたが抱きしめても満たされません。
寂しくて寂しくて耐えられません。
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コメント一覧

  • refresh約6年前
    退会したユーザー
    警察官にお願いしますと満足して貰えます。
  • refresh約6年前
    退会したユーザー
    はじめまして。こんにちは。


    とてもお辛い状況ですね。
    こんなに飢えに飢えていらっしゃるのに、どうしてもそれを満たすことができるものが見つからない、手に入らないという感じでしょうか。


    実は、私も同じような経験があります。
    あなたと同じようにずっとずっと長い年月、誰かに抱きしめられたくて、何かに抱きしめられたくて、必死に色々なところを探して回っていました。

    支援団体や自助グループ、フリーハグも、癒しの場やヒーリング的なもの、風俗など、あなたと同じように満たされようと、必死にいろいろなところをさまよってきました。


    私の場合は、結果的に抱きしめてくれる存在に出会うことができました。

    恋愛相手や知人、両親からも抱きしめてもらえる経験はありました。


    そういう出来事で満たされていく人も中にはいるのだと思いますが、私の場合は誰に抱きしめられても満たされることはありませんでした。


    そんな私ですが、あることをきっかけに誰かに抱きしめられたいという思いがあまり湧いてこなくなりました。

    それはどういうことだったかというと、自分で自分のことを受け入れ、大切にしていくということでした。


    私の持っていた誰かに抱きしめられたいという願望は、自己否定からくるものでした。

    私の中にはたくさんの固定観念が存在していました。

    ああしてはいけない、ああしなきゃいけない、これは正しい、これは間違っている、、、そういう固定観念が沢山ありました。

    その固定観念から外れている自分自身を、ダメな奴、悪い奴、くだらない人間、自由にしてはいけない人間、、、、そのように自己否定していました。


    自分の名前を自分でただただ呼んであげる。

    自分のやることなすこと、自分の思うこと、考えることをただただ「そうなんだね」「そう思うんだね」「そうしたんだね」と受け入れてあげる。

    私は発達障害なので、脳の機能や神経系、消化器系、運動機能、全てにおいて弱いのでその対策を取りました。それも自分自身の体を大切に扱うという訓練になりました。

    そういう具合に、少しずつ自分自身の心と体を大切に扱い、受け入れていくことを繰り返していくうちに、だんだんと「誰かに抱きしめられたい」という思いは薄くなっていきました。


    私の場合は、誰かに抱きしめられたいという思いは、自分自身の存在を無条件に受け入れて欲しいという願望からきていました。

    たとえ実際に誰かに抱きしめられようとも、その時に自分自身の存在を同時に自分が抱きしめられていなければ、満たされることはないのかもしれません。

    私が今のような状態になるまでには、本当にたくさんの時間と経験を費やしました。ここまでくるのに、いろいろなものに依存し、それを一時的に利用しながら、そして手放しながらやってきました。


    あなたの場合、本当に心を込めて誰かに抱きしめられる経験に出会えば、飢えは乾いていくのかもしれませんし、そうでないのかもしれませんし、どうなのかは分かりません。

    あなたにとって何かのヒントになるのかならないのか分かりませんが、私の経験をお伝えしてみました。


    それから、人はどのような人でも、無条件に受け入れられ、受け入れられるべき存在なのです。
    誰がどのように考えようとも、今の時代にどういう常識があったとしても。


    それから依存することについてですが、誰かや何かに依存してみても、それらの依存先はいずれも必ず消えてしまうものです。

    ですが、自分自身のことを自分自身で大切にしてあげるようになれれば、何ものにも依存的にならずに、飢えることなく人生を進んでいけます。


    依存することが悪いことなのではありません、その時々に色々な人やものに頼りながらすすんでいくこともとても大切になってくる時もたくさんあります。

    ですが、危ない橋を渡るまえに、今一度、ご自身がご自身を大切にしていくことを見つめなおして見られてはと思います。

    どういう進み方をしてもよいので、一人で抱え込み過ぎず、いろいろな人に頼りながら、ご自身なりの丁度よい進み方を見つけていけるといいですね。
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