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死のうと思っています

閲覧数708 コメント数4 person退会したユーザー edit2018.10.29

疲れました
まともに人間生活を送れないこの体に疲れました
人と1度も分かり合えないことに疲れました

心残りは母です
家は母子家庭で、1人で私と弟を育ててくれました、弟はあまりしっかりしておらず、2人にするのかと思うと少し心配です
死のうと思った時、本心からスっと腑に落ちて、「ああ、これだったのか」と思いました
今月の頭に祖母が亡くなって、皆悲しいのにまた葬式か、可哀想だなあと思います
きちんと育てようとしてくれたのに当たり前の事すら薬がないとまともにできない自分が情けないです
この前ネットで「普通の人は死にたいなとか辛いとか毎日思わない」って見て羨ましいって思いました、ずるいなぁ、私も1日でいいからそんな日が来て欲しかったなあ。

別に引き止めて欲しいとか、慰めてほしいとか、そういう事で書いたのではなく
ただ、私には誰にも辛いんだーとか悲しいーとか、そういう話をできる相手が居ないので、というかしたくないので。こういう事を書き残さず死んだ方が皆悲しまないというか、「悩んでたのになんで言ってくれなかったの」とか「話聞いてあげれば」とか思わなくてすむんじゃないなと思って、じゃあ私のこの気持ちはどうすればいいのか、誰にも知られずにただ消えるのかと思って、じゃあ書き残せばいいじゃないかと思って、それで、ただ書いています
今すぐは死にません、弟が大学に合格して、身の回りが片付いて、ネットとかでお世話になった人に当たり障りなくお礼言って、そうしたらもういいかなと思っています
私の死体を見せるのは可哀想なので山とか、いいなあと思っています、それか最悪浴室、このマンションもうすぐ建て壊しなんでいいかなって、あんまり迷惑かけたくないなあ、昔皆で行った川もいいなあ、楽しかったなあ
私は本が好きで、結構本があるんだけど、これも処分しなきゃなあ、とかジョジョの8部が完結する所見れないのか、とかGUCCIの可愛いバックとかかけて街を歩いてみたかったなあとか、絵を書くのも好きだったから少しだけ絵があって、自分の絵が少し好きで、でもすてなきゃなあ、とか、そんな事考えて、でもまあ、いいかみたいな、どこか他人事のような
生まれてから自分の事なのに他人のようにして生きてきました
年に何度か高熱が出るんですが、その度に精神と肉体がさらに乖離していくような感覚があり、もう、私と私は他人になってしまっている感覚があります
今までそこそこ頑張ったんじゃないかな、と思っているんですけど、どうなんでしょう

遺書にはなんて書こう、ごめんなさいと、皆大好きと、父親は葬儀に呼ばないでと、それくらい、葬儀も面倒だからやって欲しくないけどやるんだろうなあ
死ぬ時は苦しいのかな、ずっとブスでデブで生きてきたのに、死ぬ時もブスな顔のまま死にたくないから化粧しよう、めちゃくちゃ気合い入れて最高の出来でやろう、どうせ全部落とされてつまんない死化粧とかされるのめちゃくちゃ嫌だな、もっと派手なメイクが好きなのに、まあそれもいいか
人生辛いことがあれば幸せなこともあるって言われるけど、もう待つのもしんどいんですよ、それっていつ来るの、って、その為に動くのも、疲れてるのに出来ないよって
つまんない人間だから特にやりたい事なくて、なのに最近はそのやりたかった事すらどうでもよくて、もういいかみたいな
死ぬのは負けだと思ってたけど最後くらい負けを認めてもいいかと思って
辛かったけどいい人生だったんじゃないかなって思います、あ、別に未練とかでなく、自分の中の他人からの視点というか、中々濃密だったし、多分
甘えてるんですかね、人生舐めてるんですかね、そこを他人と比較してもしょうがないし、生きたい人がいると言われても、ここに死にたい人もいるわけで、まあそれも、いいんじゃないですかね。

長々と失礼しました。ありがとうございます。
以上です。
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コメント一覧

  • refresh約5年前
    退会したユーザー

    私も死にたいと何度も思って生きてきました。それから、
    祖母が自分の身体が弱い事、思うように育児や家事が出来ない事を思い煩って私の母が1年生の時に自殺しました。
     私も自分の子供が1年生になった時に、なぜか死にたいと考えていたのは偶然か、祖母の思いか・・・私の母も、死のうと本気で考えた時があり、わざわざ薬を手に入れるのにニューヨークまで行ったそうです。その時に、ふと通りかかった寺院の吸い寄せられて、本堂に入った時に、
    亡くなった母親の声が「死んではいけない」と聞こえて、やめたそうです。

     私は子供の時から、親の言いつけ通りに出来ないダメな子だったので、厳しくというか虐待されて育ちました。自殺しようとした実母は、私が1年生の時に離婚していて、それもシンクロですが、私に会わせてもらえないし、新しく父が結婚してしまったしということで、自殺を考えたそうです。 父も厳しく、継母は異常に虐待する人で、殴る蹴る、食事もまともに与えてもらえなくなり、友達も一切おつきあい禁止の生活で、死にたいと何度も考えました。
     
     自分が悪いからそうなった・・・という思いが大人になってからもあって、親から離れてからも、何かというと自分をひどく責めるようになり、結婚しても、子供が出来ても、心底幸せを感じたことはなく、理想通りの姿になれない、良い母や、良い妻でないという思いが強く、
    子供の時からよく風邪をひく子でしたが、大人になっても毎月のように体調を崩していました。

     先に夫が鬱病みたいになって、睡眠薬など飲むようになりました。私は普通の薬は胃が痛くなって合わないので、漢方薬を何年も飲む日々でした。
    そんなあるとき、片っ端から読んでいたスピリチュアル系の本から知ったオーラ治療というのを
    受けることが出来ました。
     
     数回目の時に、次の患者さんがやってきた際に治療師が、ちょっと受けをしてもらっていい?
    とその方に頼んでくれて、私の手の平をその患者さんの手のひらの上にかざして、私に付いている霊をその人が受け取ってくれたのです。

     その患者さんもまだオーラ療法に来て数回だと言う事でしたが、直ぐに簡単に反応しました。
    「熱い!熱い!」と床を転げ回っていました。
    治療師が「まず直ぐ出てくるものは、身近な親族が多いです。心当たりは?」と聞きました。
    私の頭に、寝たばこで死んでしまった実母の弟である、叔父さんが浮かびました。
    名前を聞くと、そうだと答えてくれました。

     もう死んでいることに、死者が気が付いていない状態でした。火事の状態のままでしたが、
    治療師がもうそれは既に終わっていることを分からせて、光に上げてくれました。
    私はその叔父さんが出せるなら、自殺してしまった叔父さんの母親である祖母も救ってあげられるのでは?と考えて、出してもらうようにお願いしました。
     すると今度は眠った人の状態が出てきました。その患者さんとは初対面。治療師にもそんな親戚の話はしたことが無いのに、的確な状況が現されたのに驚きました。更には、
    祖母に話しかけると、ちゃんとその田舎の方言を喋るのです。
     祖母は、自分が死んでも死にきれず、寂しくて息子をあの世に呼んでしまったようなことを言いました。母の事を心配していました。悪いことをしたと謝っていました。生きているのが辛かったのだと言いました。もう大丈夫だからと話して、光に行ってもらいました。
     その治療の日の朝に、私はとっても腰が痛かったのですが、次の日は嘘のように無痛でした。
    ずっと毎日、寝ていると朝方、腰が痛くて布団の上でもがいている日々でした。

     要するに、言いたいことは、死んでも終わらないと言うことです。

     苦しいまま死んだら、それが死後もずっとずっと続いてしまうということです。

     それから死んだ人の思いは、生きている人に影響を及ぼすと言うことです。

     生きている人の思いも、飛んできます。

     私は今は離婚して全くの一人ものです。ですが今でも時々寝ている時だけ、異常に腰が痛かったり、寝起きだけ足が痛くて、老人のようにイタタ!とヨボヨボ歩きます。数分たつと嘘のように痛く無い。また、風邪のように喉が異常に痛くなるものの、熱が出ない。
    それらは、別れた夫や、子供達や、いまでも私を苛めたい、継母や、自分の介護をして欲しいという勝手な両親の思いとして飛んできて私の身体に付きまとっているからなのです。

     オーラ治療で、足などに治療師が触れると、出てきて分かるのです。自分でもその思いを感じ取ることが出来るようになってきました。一人では出来ないのですが、整体を受けている時、
    痛いと、その「いたーい」と一緒に、他の言葉が出てくる時が有ります。それに治療師が答えてくれると、その次の言葉が出てきます。「痛い」=「居たい」なんです。

     ですから、人というのは肉体だけで出来ているのではなくて、魂があって、それは永遠に続く
    そして、いつか帰るべきところは光だ、そこから自分は自ら分かれてきた魂なのだと分かって、
    帰るまで続くのだと、私は15年かけてオーラで色々なものを体験して学びました。

     だから今は死ななくて良かった!と思っています。
    今でも早く死にたい、人間業を卒業したいと思っています。毎日体しんどいし。
    でも自分を創造してくれた源に帰る日まで、頑張ろうと思っています。
    二度と輪廻転生しないように、
    本当に卒業できるように、頑張って生きぬきます。
    3年前にはとっても落ち込む出来事があって、死にたいと思いました。
    遺書も書こうとしました。
    でも、死んでも終われないことを知ってしまったので困りました。
    どうか消滅させてくれー!と思いました。富士の樹海にでも行こうと毎日考えました。
    自分は生きている価値が無いと思っていました。
    ですが、私を創造した源、天地創造の神は「愛」であり「光」であると勉強していましたので、
    きっとこんなダメな私でも、消えたいと、死にたいと思ったら、神様は悲しい?と
    15年かけて思えるようになっていたのです。
    だから再び立ち上がることが出来ました。

     今は、このようなことを悟るために生まれてきたことを確信できます。
    前世で私が、両親にも夫にも子供にも、すごく厳しい事をしたことが分かって、その業を清算したいと強く自ら願ってこの世に再び生まれたことも先週の治療で分かりました。

     因果応報  自分で蒔いた種は自分で刈り取る
     
     宇宙の法則だから仕方ありません

     そして、霊的に成長して輝く光に帰るのです!





  • refresh約5年前
    退会したユーザー
    どうせ近々死ぬのであれば、せめてその間くらい何かしてみるってのはどうでしょう。例えば、行ったことない場所に行ってみるとか、知らない景色を見に行ってみるとか、食べたことないものを食べに行ってみるとか。最後の晩餐がてらに。
    幸いなことに動く足や見える目はあるんですよね?

    わざわざ死のうと決めなくても皆いつかは必ず死にます。例外なく。早い人は明日、いや、今日かもしれない。

    死ぬまでの自由時間どうしようかな。これしてみようかな。その程度でいいんですよ、人生なんて。

    まともな人生生活?まともとは?
    もはや死さえ意識したあなたなら気づけるはずです。本当は何も意味なんてなくて、全て自分で決めてるってこと。悩みの種である自分(私)すら自分(私)が定義してるってこと。

    何の悩みもなく、欲しいものを得て、ヘラヘラしてる人なんかよりよっぽどあなたの方が大切なことに気付き、向き合おうとしてると思いますよ。
    生っていうのは死を意識すればするほど輝くんですよ。ちょうど闇に光る星みたいに。いつも真っ昼間みたいに明るい中じゃ見えないものに気づいてください。
  • refresh約5年前
    退会したユーザー
    本当に死のうとした事なんて何度だってありますよ。
    でも、生き延びました。何故でしょうね。

    死にたいと思った事のない人の人生が羨ましいですか?
    私はもうおばさんなので、若かった頃の苦悩が今の肥やしになっていると思えます。
    痛みを多く知る分、あなたは優しくなれるんですよ。

    ギリギリで良いから生き延びて欲しいと思います。
  • refresh約5年前
    退会したユーザー
    おはようございます。

    人間関係や色々な問題が重なって、何もかも嫌になって死にたいと思っているのですね。
    ストレスを抱えていると、精神的にもどんどん悪い方向にいってしまうので、たまには息抜きも必要だと思います。

    自分がリラックスできるようなことをしてみてはいかがですか。
    今は、難しいこと考えずに、自分の駄目な所や人のことも気にせずに、ゆっくり自分のためになる時間を過ごしてください。
    生きている限り誰にでも変化はありますし希望があります。
    気楽にいきましょう。

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