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専門の技術を持った信頼出来る師匠に付いて、住み込みで働きます。そうすると心も生きる職も身につけます。
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専門の技術を持った信頼出来る師匠に付いて、住み込みで働きます。そうすると心も生きる職も身につけます。
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こんにちは。
もうコメントが不要だったらごめんなさい。
難しいように考えるとキリがないかもしれませんね。
でも、よく考えるのが好きだという自分の個性はとても素敵だと思いますよ。
哲学とは、自分の中にあるバイブルかな、と私は思います。
ブレないあなたの指針であるのだと思います。
色んな話をする事で気付きがあり、学びもある。
そういう工程が好きならば、カウンセラーを目指してみてはどうでしょうか?
変わりたい気持ちを消さないで、どうか歩き出してみて下さい。
ココトモ代表のゾノさんという方のブログに良い記事がありましたよ。
是非読まれてみると良いと思います。
(ここのブログでも取り上げられれば良いなと思います!)
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共に生きるとは
妥協なのかもしれません
我々は同じ地球の上で生活しながら
なかなかお互いを理解しえないことも多いんだと思います
だからお互いに理解ができないと感じたとき
妥協していくことでなんとかうまくいっているのかもしれません
もちろん理解する努力を辞めてしまうのはよくないと思います
けれど、いきなり全てを分かる または自分を理解してもらうのはなかなか難しいので
妥協しながらお互いのことを少しずつ分かっていくことなんじゃないかなと私は思います
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ぬい様
この話は、もう、打ち切りましょう。
生きてく上が、哲学かも知れません。
優れた作品は、哲学と思います。
世の中が、正しいとは、思えない。
ここまで、治安が、悪かったりするとか・・・。
あるべき世界では、無いような気がします。
人と話し事で、自分が、何を、考えてるとか・・・。
1人で、生きてけないのが、人間です。
共に、生きるとは?
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私は大学生ではありません
kunoyoukoさんは
哲学は生きるヒントみたいなものであると考えていらっしゃる
学問としての哲学としては生きるためのヒントを目的としている学問ではないので
生きるヒントを学問の哲学に求めようとしてもそこに答えがあるかどうか分かりません
それでもゲームや漫画を含む文学作品には非常に深い考察がなされた主題が込められており
それを一種の哲学であると考えることもできます
ただしその場合、学問としての哲学と文学のなかに現れる哲学的主題を同じものと考えてよいわけではないように思います
文学作品は哲学以外にも様々な思想や学問が含まれるので純粋な哲学であるとはいえない場合もあるということです
まあ学問的な意味でなくて世間一般でつかわれる哲学という言葉は上記全てを内包した概念だったりするのですが
kunoyoukoさんが考えている“哲学で仕事をする”ということ
私が今まで伺った内容で考えますと
今まで出会った文学作品(アニメやゲームを含む)から得たいろんな考え方や知識、提言などをさらに考察することで悩んでいる人に生きるヒントを与える仕事という意味なんじゃないかなと推察します
それはとても素敵な考え方だと私は思います
世の中が間違っていると感じる
世の中が間違っている、世の中が病んでいると感じる
実はそう感じる人がいるのは現代日本に限った話ではないんじゃないかなと私は思います
それぞれの場所や時代を生きた人間が世の中の不条理を感じたり、世の中に漂う寂しさを感じたり
世の中を憂いたりしていたりすることは
歴史的な文学や海外の文学にも現れていたりするのです
もちろん時代や場所によって状況は全く違うのですが
現代日本を取り巻く現状の場合は何が世の中を病んでいる状態にしているのか
もしそれに対して何か行動を起こしたいと考えているのなら
漫画やアニメで得たものを糧に少し専門的な分野に踏み入れてもいいのかもしれません
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ぬい様
ぬい様は、大学生でしょうか?
哲学とは、生きるヒントみたいなものです。
漫画やゲームすると、上手く作られてるなと思います。
そこまで、主張したいなら、作家になれば良いかも知れません。
オタクでも、世の中が、間違ってると思うとか・・・。
話は聞くことで、閃きや気付きがあるのでしょう。
確かに、私は、素人ですが・・・。
深く考えることが、嫌じゃないです。
そいういう体質かも知れません。
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人々が病んでいる
これも範囲が限定されていないのでどこのどのような人々が病んでいるのかはっきりしないし
社会のシステムが原因ではないか
これもどこの社会のシステムなのかはっきりしないので
そのあたりをさらに考えていくことで感じている問題の核心にさらに迫ることができるんじゃないかなと私は思います
漫画は哲学か
漫画で描かれる主題や展開の中に多くの哲学的な示唆があるのは事実だと思います
ただし哲学は学問なので漫画を読むことと学問を研究することでは意味合いは違ってくると思います
哲学の専門家は専門的な思考をされるので
素人があれこれ考えることを哲学と呼んでいいのかは私にはわかりません
けれど物事について深く深く考えていくことはとても大切なことだと思います
相手についてああでもないこうでもないといろんな考えを巡らせることは
相手にとってはとても大切なことだと私は思います
それは相手の話を聴くためにはとても大事なことだと思います
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ぬい様
世の中が、病んでるのは、人間が、病んでるとか・・・。
社会のシステムが、可笑しいんじゃないか? と思うのです。
大学で習ってるような哲学じゃないのでしょう。
漫画も、教養や哲学では?
ただ、私の趣味が、オタクなので・・・。
1人の限界は、感じました。
聞くことが、哲学じゃ無いのかも知れません。
表現の場があれば、書くことも、自由なのでしょう。
考察も、大事と思います。
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哲学が活かせる仕事
哲学と一口にいえど非常その幅は広いので
どのような哲学を意味しているのかによって活かし方も変わってこようかと思います
ただ哲学と人の話を聞くこととは多分違うように思います
哲学にはそもそも人を救うという目的はないので
人間に生きる価値がないという結論に至ったとしても
哲学としてはなんら間違いではなかったりします
そういう哲学の無機質的な部分を理解しつつ
哲学を通して世の中を考えていくことで
生きる意味について考察していくことはできるとは思います
世の中が病んでいるように思う
世の中が病んでいるという状態があると仮定するならば
世の中が健康である状態が存在するということです
なにをもって健康だといえるのか病んでいるといえるのか
世の中というのはどの位の範囲を想定して用いられているのか
世の中が健康であった時代や地域が存在するのかどうか
このあたりを考察していくことが哲学としては必要なんじゃないかなと私は思います
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ぬい様
哲学が、生かせる仕事って、無いでしょうか?
ちなみに、家事手伝いです。
聞き上手になることが、大事なのでしょう。
そう難しい話じゃないとか・・・。
世の中は、病んでると思います。
何のために、生きてるのか?
現代人が、忘れてるのかも知れません。
独りよがりでなりやすいのは、欠点でした。
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否定される人間とはどんな人か
理解されない部分をもつという意味でいえば全ての人間が当てはまるのではないだろうかと私は思います
偏屈な考えが損なのか
それも一概に結論をつけることはできないと思います
深く考えることがうまくいく場合もあれば
逆に自分を苦しめることにもなるので
ただ考え方の幅や深さを広げていくことはいろんな意味でその人間に深みを与えるものだと思います
人に愛されたい
人に愛されるために自分の趣味や考え方を否定する
これは矛盾している気がします
自分のありのまま全てを受け止めてほしい
それが愛されたいという欲求であって
自分の好きだと思うことを捨てた自分を愛されたとして
それは相手が自分を愛し受け入れてくれたことになるのかどうか私には分かりません
自分自身の理解されない部分
それとどう付き合っていくか
それも人類共通のテーマとしてそれは存在するんじゃないかなと私は思ってます
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ぬい様
返事、有り難うございます。
成長できるのが、人間かも知れません。
相手から見た自分の姿とか・・・。
偏屈な考えは、損を、するのでしょう。
ただのオタクでは、ないです。
理解されたいより、愛されたいのが、人間では?
漫画ばかり読んでるので、哲学が、好きでした。
否定される人は、どんな人なのでしょうか?
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趣味を他人に理解してもらう必要性ってあるのかなと私は思います
確かに自分の好きなものを否定されるのはとても辛いです
けれど、分からない人には分からないことはあるんじゃないかなと私は思います
けれど、その趣味を愛する人も世の中にはたくさんいるわけで
その趣味が間違ってるわけではないし
その趣味をもつ人が否定される理由でもないんだと思います
ただ理解を得られないだけで
それはどんな趣味にもあることだと思います
自分を変えることと趣味を捨てること
それは全く別のことだと思います
趣味を捨てたところで何かを得るわけでもなく
趣味を続けながら成長することもできるわけで
他人に理解されない部分をもつことを恥じる必要もないですし
他人に理解されない部分のない人間もみたことないので
他人に理解されないからと言って
自分で自分を否定することもないんじゃないかなと私は思います
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ぬい様
コメント、有り難うございます。
理解されない趣味でしょうか。
卑屈になることは、無いかも知れません。
好きな物を、否定されるのが、悲しいです。
一般とオタクの差は、あると思います。
自分自身が、変わりたいとか・・・。
生きていく上で、大事なこととは?
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オタクであることが世間に受け入れられない
実は本当はそうでもないんじゃないかなと私は思ってます
今の日本でアニメ、漫画、ゲームに触れたことのない人間のほうがきっと少ないと思うので
ただ“他人に理解されにくい趣味”と“他人には分かりにくい趣味”がこの世に存在するんだと思います
例えばアニメを例に挙げるなら、ドラえもんが好きな人、ジブリ映画が好きな人、最近だと「君の名は」の大ヒット
どれも多くの人が知っているアニメ作品で他人からみても分かりやすい“他人に理解されやすい趣味”であるといえるのではないでしょうか
反対にあまり知られていないアニメが好きだったり、エロティックなアニメだったり、前衛的なアニメだったり
そういう作品は視聴する対象をある程度しぼって制作されるため“他人にはわかりにくい趣味”になってしまうのだろうと私は思ってします
ただ、これはアニメオタクに限った話でなく
映画オタクだろうが車オタクだろうかアイドルオタクだろうが歴史オタクだろうが骨董品オタクだろうが
どの分野のオタクにも言えることだと私は思います
“他人に分かりにくい”のであれば
無理に他人に理解してもらう必要もないんじゃないかなと思います
それを好きだと思うことを卑屈になる必要もないんじゃないかなと思います
ただ“他人にわかりにくい”ので
その部分を他人と関わっていく中でどう表現していくかの工夫は必要だと思います
人間には“自分では理解できないもの”に対してネガティブな感情を抱く性質が誰にも備わっているんだと私は思っています
だからこそどうその趣味を人に見せていくかはとても難しい気がします
けれどどんな趣味をもっていても人間の価値は趣味だけでは決まらないので
自分自身のことをちゃんと分かってくれる相手ならば趣味が理解されなくとも軽蔑されるなんてことはないと私は思ってます
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返事、有り難うございます。
好きなものは、好きなものと割り切ってました。
否定されるのが、悲しいです。
変わることは、難しいのでしょう。
欠点だけ見た生き方が、どうなのでしょう?
長所も、短所も、あってその人かも知れません。
前向きで、考えます。
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こちらこそ、たくさんお話しをしてくれて
ありがとうございます。^^
変わることとか、前向きになることとか、
自分を受け入れてみることも
口で言うよりもずっと難しいですよね。
でも、私も悩み、相談し、
たくさんの方からアドバイスを頂き
何年も前から「変わりたい」と思い続けて
少しでも、「ちょっと変われたかも」と思えた瞬間、毎日が辛くなくなりました。
全てを変えるのはやっぱり難しいし、
一番苦戦してるのは「自分を受け入れること」なんだですけど、
周りの目が気になるし、「変わり者」って思われるのが悲しいし、
でも、「好きなものは好き」って思っていたいし...と、
葛藤することも少なくはありません。(^_^;)
だけど、少しでも考え方は変えることはできる、
自分を変えることは、時間がかかるだけで
できないわけじゃないということ、
身を持って知ることができたので、
kunoyoukoさんも、何か変化が訪れたとき、
前向きに考えてみてくださいね。♪
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oAoV様
お話に付き合って下さって、有り難うございます。
人間性とは、外見も含めてだと思います。
自分を好きになるのは、大事です。
どう見られてるか? とか気になります。
オタクな自分も、自分なのでしょう。
変化が、訪れるかも知れません。
前向きになりたいとか。
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中身も見た目も、ある程度は大事なことです。
ただ、これも人それぞれの考えではあると思います。
どんなに性格が悪くても、だらしなくても
彼氏の見た目が良ければそれで良い!という女性も知っていますし、その反対、
どんなに見た目がだらしなくても、清潔感に欠ける人でも、中身が良いからそれで良い!という人も知っています。
プレゼントで例えてみたり、
散々コメントしてきましたが、
一概に、「これだったら良い」という答えは
無いのだと思います。
でもただ1つ、これだけは誰にでもあてはまることは、
「自分自身を好きでいること」です。
自分を上手に愛せるようになると、
人は自然とついてくるんです。不思議と。
これこそ、見た目は関係ない...というよりも、
自分をちゃんと愛せているからこそ、
見た目も雰囲気も勝手によくなり、もちろん、
中身も素敵になるのだと思います。
周りに迷惑をかけるような自己中心的な
自己愛ではなく、
自分の長所を、長所として認めてあげたり
努力を認めてあげたり、
自分の好きなところを、目一杯「好きだ!」と思うことです。
マイナスな部分があっても構わないのです。
変わる努力をすることは生きている限り
いつでもできることで、不可能ではないし、
もしくは、自分の長所で補えることなら
無理して直さなくたって良いのです。
今すぐに、前向きになれなくても
大丈夫です。
ゆっくり、自分と向き合ってみてくださいね^^
お返事する度に、長くまとまりのない文章を読んで頂き、本当にありがとうございます。