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自傷がやめられない
898 edit2018.02.19
自傷行為がやめられないんです。はじめては中2。やらなかった期間も少しありましたが、なんやかんや5年続けています。
頭を力一杯殴ったり壁やタンスの角にぶつけたり、腕をカッターで切ったり太ももを切ったり殴ったり、舌や口内を噛み続けて血を流したりしています。
原因はほぼほぼわかってます。
父と母の不仲。父はパワハラ気味でヒステリックなので、自分の思い通りにならないと役立たず!と暴れまくる人です。手こそあげないものの、言葉での精神攻撃が目立ち、母も私も理不尽なことでばかり怒られてうんざりしていました。
中3頃から母の体調が優れず、呼吸もままならなくなり救急車で運ばれました。難病。
ここから高2までの話は長くなるので割愛しますが、母が薬の副作用で感情的になりすぐ泣くようになったこと。自分だけでは動けない体になったことなどいろいろありました。
それでも父の性格は変わらずよく喧嘩し、ある日、父が出かけてていなかった時に母が泣きながらもう薬飲むのやめようかな死にたいと私に言ってきました。私は喉に何か詰まったみたいでうまくしゃべれなかった。何言ってんの〜みたいなこといったっけな。
母にとって私の存在は大きかったと思います。父の愚痴を言い合えたし、絵を描くのが好きでかわいいものが好きな共通点があったから。よく母はネットでかわいい画像を探してはファイルにまとめて私に見せてくれました。
私は学校でうまくいかなかったりバイトのいざこざがあり、せっかく母が集めたファイルを「疲れてるから反応出来ないよ。ああ可愛いね」とろくに見ませんでした。
高2の冬、母は亡くなりました。
タイミングよく親戚みんなに見守られながらでした。心拍数が0になったとき母は涙を流していました。今でも忘れられません。
死にたいと言われたとき抱きしめればよかったんじゃないか。大好きって言えたんじゃないか。
あの時のファイルもっとちゃんと見ればよかった。笑えばよかった。きっとお母さん怒ってる。悲しんでる。本当に死にたいわけないのに私しか頼れなかったのに、どうして私は何も出来なかったんだろう。
実は亡くなる2週間前までは割と体調は良かったんです。ただ免疫力はとても下がるから家族のみんなも気をつけてねと言われていました。
けど父は風邪をひいていて手を添えずに咳をしまくっていました。私も特別気にかけるようなことはしてませんでした。殺したのは私たち家族といっても過言ではありません。母は外に出られないのだから。
罪悪感。押しつぶされそうです。こんなに時間が戻って欲しいと願ったことはありません。母の死にたいという言葉と最期に流した涙が忘れられません。このことを思い出すたび自分を痛めなきゃ気が済まなくなります。なんで母が死んで私が生きてるんだろう。私だけ死ねばよかったのに。
けど怖くて死ねません。自分で自分を傷つけている、という事実が少しだけ私を楽にさせています。母の苦しみはきっとこの程度じゃなかったのに。母が亡くなって数年経ちますが毎日毎日謝っています。そしてまた今日も血を見て安心します。ごめんなさい。こんなこと言うのは間違ってるかもしれないけど、すごく、辛いんです。死にたくないけど生きるのが怖い明日が怖い。また明日も生きている自分が怖い。助けてください。大丈夫って言ってくれるだけでいいんです。死にたい。助けてください。
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