Singer

「絶対的他者性」ということ

112 4 personSinger refresh1日、2時間前

わたしはこれまで自分に似た人をひとりも見たことがありません。

主治医はわたしと話しが合うのは千人にひとりだろうといいます。しかしその見方はちょっと甘いと思っています。それだと、1万人に10人も話の合う人が出来ることになります。それはちょと想像し難い。

わたしは孤独がとても苦手です。一方で、自分の価値観・自分の本能・自分の美意識をなによりも大事にしたいと考えています。それに何らかの価値があるわけではなく、それが他ならぬ、「わたし」の「本能」であり「美意識」であり「価値観」だからという理由からです。

ですがそのことが、耐え難い孤独・孤立を意味することは、これまで50年以上の人生で知り尽くしています。

これまで生きてきた経験から導き出されたわたしのモットーは、「人に嫌われるのは簡単なことだ。ありのままの自分でいればいい」というものです。これはモットーというよりも最早揺ぎ無い確信と言ったほうがいいでしょう。

皆さんは、「世界にたった一人遺棄されたもの」になることと、「自己の本質を改変すること」の二択を迫られたとき、どのように考えまた行動されますか?

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コメント一覧

4件の投稿を表示中 - 1 - 4件目 (全4件中)
  • bottuさん。

    早速のコメントをありがとうございました。

    >ありのままの自分でいても一緒にいてくれる相手が大切にするべき
    人間というのが私の考え方ですが、

    ありのままのわたしを、それでも見放さずにいてくれるのは母親のみです。
    つまり、母親以外は、全て、赤の他人ということです。

    けれども母親はあくまでも家族であって、友人でも恋人でもありません。もちろん上述した理由から、母の存在なくしてわたしの存在は考えられませんが、家族だけでは不十分なのです。

    友達、仲間、そんな関係が欲しいのですが、それも質問文中に記したような事情から、できたことがありません。

    >0か100か?では無く部分的に合う人や、興味がある相手へは多少なり好意的に
    接して信頼関係を高めることで良い人間関係が出来ると思います。

    おっしゃることは良くわかります。けれども、7割方理解、或いは「かなりの部分で言葉が通じる相手」という人が、現実にどういう存在なのかがわかりません。

    高校を卒業して18歳。それ以降のわたしの40年間の人間関係は、時折のごく短い期間を除き、対立か、でなければ赤の他人でした。

    わたしはほどほどの関係というものを知らないのです。

    そしてまた「現代社会と折り合う」ということも良くわかりません。

    つまり優先順位という点で、「スマホを持った人と友達になれるのか?」という大きな疑問があります。

    何故わたしはこうまでスマホを敵視するのか?その深層心理のメカニズムまではわかりませんが、強いて言えば、何か「全体主義」的なものを感じるのです。
    全体主義とは、言うまでもなく「例外のないこと」「例外を排除すること」です。

    それ以前に、生理的な次元で、みなが同じ動作をしている光景というものにどうしても耐えられないのです。

    まとまりのない文章ですみません。

    お読みくださってありがとうございました。

  • himawari2020さん。

    ご回答ありがとうございました。
    わたしの質問が舌足らずだったかもしれません。

    >自分の自由にありのままで生きていてください。

    人はいつ、いかなる時代、いかなる状況下でも、自分に忠実に生きられるとは思えないのです。例えば先の大日本帝国時代、ヨーロッパではナチの時代、仮にユダヤ人でなくとも、人は自由にものが言えたでしょうか?堂々とヒトラーの批判をすることができたでしょうか?更に遡って、中世の魔女狩り、異端審問のときに、「自己の信念を貫く」ということは、とりもなおさず、「死」を意味します。

    それと今現在とどういう関係が?と思われるかもしれません。

    わたしは今の時代に非常な不自由さ、窮屈さを感じています。
    例えばわたしは、スマホとかタブレットというものが非常に嫌いです。
    現にわたしが持っているIT機器といえば、このふるいパソコン一台です。(これをIT機器と呼べるのなら、ですが)

    持つ持たないはもちろん個人の自由ですが、それに対する忌避感を表明したり、批判することすら許されない緊迫感を常に感じています。

    これはあくまで個人的な考えですが、「自分の自由にありのままで生き」られるのは、時代が許す範囲においてのみだと感じるのです。

    つまり、しばしば個人の自由と、社会性とは背反するということです。

    どうもわたしは場違いなようです。直に消えます。

    改めてご意見をありがとうございました。

  • himawari2020
    2021/02/24 14:02

    人に好かれるために、自分の本質を変えたり、自分の意見を変えたりすることはないと思います。自分の自由にありのままで生きていてください。
    でも、世の中には色々な価値観があって、色々な人がいて、あなたと意見が違ったとしても、それを受け入れて仲良くすることは出来ると思います。仲良くなるのが、あなたと同じ価値観の人でなくてもいいわけです。自分と違う価値観だったとしても、そういう考え方もあるんだ。その人の考え方なんだと思えばいいです。別に一緒である必要もないし、価値観が違っても、仲良くなったり交流を楽しむことは出来ると思いますよ。何も孤独を選択しなくていいです。

  • bottu
    2021/02/24 09:41

    孤独であることが辛いということも自分の価値観・本能といったものに
    含まれていますよね。

    >「人に嫌われるのは簡単なことだ。ありのままの自分でいればいい」
    ありのままの自分でいても一緒にいてくれる相手が大切にするべき
    人間というのが私の考え方ですが、それで一人もいないのであれば
    自分が大切にするべき中に他者に対するものや共同体感覚といったものが
    一切なく更には他者を苦しめたり攻撃してしまうものが含まれているのですかね?
    0か100か?では無く部分的に合う人や、興味がある相手へは多少なり好意的に
    接して信頼関係を高めることで良い人間関係が出来ると思います。

    一先ず、「孤独が嫌」も「価値観」の中にあるものなので矛盾部分を言語化して
    優先順位を改めて考えみてはいかがでしょうか。

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