返信先: 寂しい

  • youyuさん、おはようございます
    youyuさんがいうようにね、仮面は他者を安心させるためでもあり、自分の安全を確保するためでもあるというか、言い換えれば「生き抜く術」でもあるのかもしれません。だとしたらこれを外せというのは、心をむき出しにし、キケンにさらすことと同等になりますから。それはそれは勇気のいることでした。。し、何よりとても葛藤しましたよ。自分をそのまま見て欲しい気持ちもある、でも隠してまでも安全を確保したい気持ちもある。両方かなえたい、それにはどうしたら。。て。そう考え、まず本心を吐ける場所だけでも欲しいと思い、無料のブログ、Yahooブログだったかな?そこに独り言として、誰かに拾ってもらうこととかは考えず思うままの正直な心を文字にしはじめました。吐き出すうちに落ち着いていく。。カタルシス効果っていうらしいですが、そんな自分がいましたね。そのうちポツポツとコメントがあったり、またリンクがついたりして。。そこでのやりとりはとても自由で生まれて初めて誰かにむきあって貰えたような喜びがありました。顔が見えないので取り繕う必要もないですし、何より本音にたいして誰かが応えてくれることがただ嬉しかったのです。大げさですが、初めて誰かと話が出来たような気持ちでした。この体験があって現実でも誰かとちゃんと話したい、自分の素のままに。そんな気持ちになっていき、いよいよ本丸とでもいうのでしょうかね。現実の人とどうむきあうか?の問題に直面しました。でもいきなり無防備。。。なんてやっぱりできません。怖いし何より周りもびっくりするでしょう?そこで考えたのが、仮面をもう一つ用意すること、でした。理想と素(弱点ともいいますかね)、二つの要素を組み合わせたような、どっちでもないしどっちでもあるような仮面。両方叶えたい私にとってそれは都合がいいもので、また結果的に周りにとっても良かったように思います。どちらからもかけ離れすぎていず、またウソでもないから。少しずつ、時間をかけてそんな風に、人と接し続けていきました。そんなある時ですね、長い知り合いの人からこんな事をいわれたのです「恭子さんに自分は必要ないとずっと思っていた」って。その時初めて、理想の自分・完璧な自分に求めて固執すると誰かを、その人の好意までも、意図せずに遠ざけてしまうことがあるんだなと認識したのでした。。。それ以来ですね、少しダメな自分を2~3割を心がけるようになりましたね。あえて誰かのための心のパブリックスペースって言うのかな?そのダメなとこに誰かが自分の居場所をみつけ、安心してくれるならそれでいいかなって思いました。だけどですね、ただやみくもに全ての人にそれが出来るわけではなく、人は選ぶ。。。といいますか、必ず自分に問いかけます。私にとってその人が必要なのかどうか?答えがイエスならば、その人に傷つけられるのも、なぜか受け入れられみたいです。逆にノーの場合、完璧な仮面は外しません絶対(笑)私にとっての近しい存在は、まだまだ全然少ないのですが、なかなか逢うこと自体、忙しくてままならないけれど、ふと過ぎる寂しさ。。は感じることがほぼなくなったように思いますよ。長々とお話してしまいましたが、youyuさんにとって何か僅かでもヒントになれば幸い。。。と願いつつお話させていただきました。