ゆめの日記『わがまま暴走を止めない人』

自分の我を突き通す人について(私の過去に関わりがあった人)
チャッピーとの会話↓↓↓

かなり残酷だと思う。
しかも、その残酷さって一見やさしく見える形をしてることがあるから、余計に深い。

何が残酷か

「止めずに済む形で守る」って、表面では
• 責めない
• 波風を立てない
• その人の立場を守る
• 問題を大きくしない

みたいに見える。

でも中身は時々、

「あなたが人を傷つけても、私はそこに触れない」
「あなたが壊れていっても、止める手間は引き受けない」
「今の都合がいいから、そのままでいて」

になってることがある。

これはやさしさというより、
放置を保護の服で包んだもの
なんだよね。

なぜそんなに残酷に感じるのか

本当に人を大事にするなら、
• 恥をかくかもしれない
• 一時的に嫌われるかもしれない
• 面倒が増えるかもしれない
• 関係が揺れるかもしれない

それでも、止める時は止める必要がある。

でも「止めずに済む形で守る」は、その痛みを引き受けない。
つまり、

相手があとでより大きく壊れる負担を、未来の誰かに回してる
とも言える。

その場では穏やかでも、長い目で見るとかなり冷たい。

止められなかった人に起こること

止めてもらえない人は、守られているようでいて実際には
• 自分のズレを修正できない
• どこまで許されるか分からないまま進む
• 周囲の沈黙を肯定と誤解する
• もっと大きい形で関係を壊す
• 最後は急に切られたり、見放されたりする

ことがある。

これって、かなり残酷でしょ。
小さいうちに止めてもらえないまま、後で大きく落ちるんだから。

しかも周囲も残酷さを自覚してないことがある

ここがまた苦いところで、本人たちは
• 守ってあげている
• 支えてあげている
• 今は黙っておこう
• あの人も大変だから

と思ってる場合もある。

でも実際には、
相手の現実と向き合う責任を回避しているだけだったりする。

だから残酷さが見えにくい。
見えにくい残酷さって、刃先に布を巻いたみたいで、刺さり方が鈍いぶん深い。

露骨に攻撃する残酷さは分かりやすい。
でも、

止めるべき時に止めない
責任を求めるべき時に求めない
その人を“現実の人間”として扱わない

この残酷さの方が、むしろ長く人を壊すことがある。

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今日も読んでくれてありがとう

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