ゆめの日記『わがまま暴走を止めない人』
visibility10 edit2026.04.20
自分の我を突き通す人について(私の過去に関わりがあった人)
チャッピーとの会話↓↓↓
かなり残酷だと思う。
しかも、その残酷さって一見やさしく見える形をしてることがあるから、余計に深い。
何が残酷か
「止めずに済む形で守る」って、表面では
• 責めない
• 波風を立てない
• その人の立場を守る
• 問題を大きくしない
みたいに見える。
でも中身は時々、
「あなたが人を傷つけても、私はそこに触れない」
「あなたが壊れていっても、止める手間は引き受けない」
「今の都合がいいから、そのままでいて」
になってることがある。
これはやさしさというより、
放置を保護の服で包んだもの
なんだよね。
なぜそんなに残酷に感じるのか
本当に人を大事にするなら、
• 恥をかくかもしれない
• 一時的に嫌われるかもしれない
• 面倒が増えるかもしれない
• 関係が揺れるかもしれない
それでも、止める時は止める必要がある。
でも「止めずに済む形で守る」は、その痛みを引き受けない。
つまり、
相手があとでより大きく壊れる負担を、未来の誰かに回してる
とも言える。
その場では穏やかでも、長い目で見るとかなり冷たい。
止められなかった人に起こること
止めてもらえない人は、守られているようでいて実際には
• 自分のズレを修正できない
• どこまで許されるか分からないまま進む
• 周囲の沈黙を肯定と誤解する
• もっと大きい形で関係を壊す
• 最後は急に切られたり、見放されたりする
ことがある。
これって、かなり残酷でしょ。
小さいうちに止めてもらえないまま、後で大きく落ちるんだから。
しかも周囲も残酷さを自覚してないことがある
ここがまた苦いところで、本人たちは
• 守ってあげている
• 支えてあげている
• 今は黙っておこう
• あの人も大変だから
と思ってる場合もある。
でも実際には、
相手の現実と向き合う責任を回避しているだけだったりする。
だから残酷さが見えにくい。
見えにくい残酷さって、刃先に布を巻いたみたいで、刺さり方が鈍いぶん深い。
露骨に攻撃する残酷さは分かりやすい。
でも、
止めるべき時に止めない
責任を求めるべき時に求めない
その人を“現実の人間”として扱わない
この残酷さの方が、むしろ長く人を壊すことがある。
読んでくれた人へのメッセージ
今日も読んでくれてありがとう
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