ゆずの日記『終焉』

私達の関係は、2年経っていた。

今まで付き合ってきた人とは

喧嘩が絶えなかったけど

この関係は、いいとこ取りしたような

関係だったが、

いつまでも続く、終わりのない長い道にも思えた。

結婚も出産もできない。

しかし

子供を21で中絶してから、

わたしには、子供は育てられない。

自責の念に駆られていたのだった。

その当時の彼はバンドマンの年下彼

おろせ。

肉の塊じゃん

と言っていた。

そんなことをふと、思い出しながら

彼との約束の準備をしていたら

ラインが飛んできた

今日難しくなった、、

奥さんが、どこかへ行きたいと行ったらしい。

買い物だった。

一人でいけや。

そう思ったが

わかった、とだけラインした。

奥さんは

彼のことがまだ好きみたいだったけど

話を聞いてくうちに

もう、女としては見てないと

言っていた。

わたしは彼に対して不満がたまっていた。

こんなことして、良心は痛まないのかな、

どういう頭してんだろうか

自分のことを棚に上げて

彼の事を責め立てた。

何度も喧嘩をして

何度もヨリが戻っていた。

初めは我慢していた私は

2年間のあいだに、少しずつ、意見を言えるようになっていた。

彼は小さい子供だけ置いて

私に会いに来たことがある。

30分ほど子供だけにしたのだ。

奥さんは、不倫に気づいていて

怒り狂うときもあれば

冷静なときもあるそうだった。

子供は四人いる。

下の子はまだ5歳ほどだ

上が12歳くらい

私も、さすがに、だめだなこのままだと

思い

何度かめの、別れを切り出した。

今回は

連絡ができないように、自分からラインをブロックし削除した。

自宅も知らない、電話番号も知らない

これで、会わなくて済む。

私はホッとしたとともに、

そのあと、悲しみに暮れる。

わたしには、彼が安定剤だったのだ。

わたしには、精神の病気に罹患していて

躁鬱

統合失調症

だったのだ。

12歳にある事件に巻き込まれてから、

躁鬱になり

30のとき統合失調症と診断された。

おいおい話そうと思う。

話を戻すと、

それから数カ月経ったとき

フェイスブックにメッセージが届いた

彼からだった

わたしはもう連絡してこないでと

伝えた

それから、わたしはほどなくして、

精神科に

3ヶ月ほど入院になるのだった。

また家族に迷惑をかけてしまった。。

つづく

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