ちーの日記『障害を認めたくない私』
visibility108 edit2024.09.02
昨日ちょっとメンタルが優れなかった…
去年は9月の、シルバーウィークの頃からメンタル崩して休職した記憶があるから、まぁ去年はいろいろあり過ぎたけど、季節的なものもあったのかなと思い、去年の手帳を見た…ら、もう去年の今頃、よくこのメンタルで会社通ってたな、と思うほどネガティブな言葉ばかり…
えっと、母を亡くし、乳がんで左胸を失い、ホルモン治療の副作用が襲ってきたのが去年のこの時期…当時の主治医は「仕事休みなさい」と「持続性うつ病」の診断書を書いた…
今思うとそれが良くなかった気がするなぁ…
会社は休めても自分は休めない…家で何もできないでいると自己肯定心は下がるばかり…10月には日のほとんどをベッドで泣いて過ごしていた
マトモでは、ない
その医師の言葉に傷つき転院した先で『双極性障害』と診断を受けた…心療内科とか精神科とか通うようになって20年は経っていた…それまでずっとうつ病だと言われてきた
「遺伝的要因もありますね」と医師は言った…乳がんだって遺伝する…いや、乳がんは切ればあとはほとんど何も感じずに済むけど(傷は残る)、メンタルの病は…しんどい…
正直、「生まれてきてよかった」なんて思ったことは一度もなかった人生、むしろ「なんで産んだんだ」という思いがこみ上げてくる…が、産んだ母はもういない…
ここ数カ月ずっとむしゃくしゃしていた…障害者割引は利用するし、会社には障害者雇用で勤務しているのに、心の中は『障害者』である自分が嫌で嫌でしょうがない…同じく障害者で作業所勤務に甘んじてる友人にもイライラしていた…
折しも今、パラリンピックが開催されている…車いすや義足で笑顔で手を振る出場者たち…
なんで❓
〇歳の時病気で右足を失い…なんて選手、どうしてそんな風にスポーツに打ち込めたの❓(他に出来ることがないという見方もあるが…中学の時学年トップで名門校に合格して地元紙に載った同級生は聴覚障害だった)
どうやって『障害者』である自分を受け入れられたの❓(24時間テレビは見る気しない絶対見ない)
もう、どうしたって身体に心にまとわりつく『障害』を振りほどきたくて、でも振りほどけなくて(双極性障害に『寛解』はあっても『完全治癒』はないらしい)身悶えする…一生自分の心のご機嫌を窺って生きてくのか…
すがるように、『何かのヒントになるかも』と録画予約しといた双極性障害についての特集番組を再生した
番組中で医師が言っていた
「病気を認めることが治療のゴール」と…
そうなのだ…認め難いことも含めてこの病気なのだ…みんなそこで苦しむのかもしれない…
でも『みんなそうだから』で楽になったりはしない…昔まだエアコンのついてない教室で授業中下敷きで扇いでると「暑いのはみんな一緒だ💢」と怒る先生がいたが、みんなが暑いのは構わない、自分一人だけ涼しくなりたいのだ
障害者な自分が厭だ、一抜けしたい…でもこの人生ではそれができないらしい…それを受け入れなければいけないらしい…ぐぬぬ…
仕事は休めてもメンタルは休めない…ならクタクタになって働いて、自分の力で稼いで(自己肯定感)、考える時間を少なくしたい…身体が持ち上がる内は…
あぁ…シルバーウィークが怖いなぁ…
今日できたこと♪
⇧のような感情を抱えながら、油揚げで作った…なんだっけ…ハムチーズいなりみたいなやつ(料理名忘れた)、美味しかった…モッツァレラチーズ最高
なんだかんだ重たいからだ起こしてシャワー浴びて、引くほどたまってたドリンク剤の瓶捨てに行って、メイクして、お弁当も用意して、頑張れてる…動けてる…
読んでくれた人へのメッセージ
お読みくださり有難うございます
メンタルぐっしゃぐしゃになっても、生きていかなきゃなんないみたいです…人より悩んだり苦しんだりしやすい人がここにたどり着いてると思います…
何の慰めにもならないだろうけど、私もぐっしゃぐしゃで生きてます…
自分の心に手当てできるのは自分だけ…
生きよう😭
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