希央の日記『モノは手放せてもコトが手放せない』

引っ越し経験を機に、ここ1年で色々なものを手放しました。
手放してよかったもの・サイズダウンして買い換えたものを挙げるとキリがない。
TOP3をあげると、大きなモニター、本棚と大量の本、衣類の3つ。

モニターを手放してネットサーフィンする時間が激減。
本棚と大量の本を手放すことで積読をしなくなった。
服を減らすことで毎日の服選びが楽になって、新しい服買う時も悩んだり買い物に失敗することが減った。

他にも書類、ガジェット、雑貨など手放したものばかり。
もっと早く手放しておけば引っ越し楽だったのにな…と後悔した。
今はいい意味でしか物欲が湧かず、比較的買い物の充実度も上がった。

一方でまだ手放せない存在がある。
それは「モノ」ではなく「コト」

特に、「毎日やってて嫌になってストレスばかり溜まっていく仕事する権利」
「働く権利」は他でもきっと手に入れられるし、自分の身の丈を鑑みて「足るを知る」ことさえすれば今の仕事はしなくてもいい。でもなぜか、「権利」を手放せない。些細なメリットから「働く権利」を所有することに執着してしまう。

他にも手放したいコトはある。
万単位でお金のかかる趣味、無駄な二度寝、考えても解決しない悩みなど。
自分が手放せない存在は、全て無形の存在らしい。

所有することを悪者扱いするまではしないけれど、何かを所有しても結局はいつか手放すことになるし、しんだら何も残らない。

執着心を忘れて不要なモノ・コトを手放した先に、自分らしい人生を歩める契機がある気がする。その実現のためには、何をすることが望ましいのだろうか。

ちなみに、モニターを手放して思ったことがあります。
それは「いらないかも」と思ったものは、それを手放しても困らないということ。

いままで、パソコンの画面は大きければ大きいほどいいと思っていました。
「小さい画面じゃ見にくくて不便」という先入観があったものの、いざ手放してみると「小さい画面でも別に事足りる」と実感。
先入観はただの思い込みで、高いお金払って所有していたものは、実はなくてもよかったのです。

いま背負っているコト・所有しているモノは、実はこういうものばかりなのかもしれない。

star今日できたこと♪

今日も仕事しつつ本を読めました

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