言葉の呪い
visibility25 edit2025.08.07
どうも雪灯です。今回もcandleにて書いたものを加筆修正して再アップしていきたいと思います。
さて、かなり前にTwitterでアンケートを取らせて頂きました。今回からは1番票数が多かったテーマでブログを書いていこうと思います。
テーマは「言葉」です。
このブログを書くにあたって、ココトモで私が随分昔に書いたブログの内容も引用しながら書くことにします。似通った文章になっているのはそのせいです。その点はご了承くださいね。
言葉の持つ意味
随分と昔。かつて活動していたティーンズプレイスにて、私は自分で勝手に『言葉シリーズ』と称して、いろいろな言葉について考えてブログに書いていました。
『大丈夫』って言うけど本当に『大丈夫』って意味で使っているのか??
『頑張れ』って言うけど本当にそうやって応援していていいのか??
当時の私にとって『大丈夫』という言葉は全然大丈夫ではない状況を隠すために使う言葉でした。『頑張れ』という言葉でたくさんたくさん追い込まれました。そんなふうに、言葉って使いようによっては結構酷いものなのかもしれないとちょっと怖くなることが、今でも私にはあります。ひとつの言葉の裏には、いろんな意味や事情が隠れているものだと思うからです。
温もりと呪縛
これをよりはっきりと痛感するようになったのは、Twitterでたくさんの言葉を目にしたからです。
誰にもわかって貰えない気持ちが、Twitterにはたくさんたくさん溢れています。いいことがあった、という気持ちがほっこりするツイートもたくさん見かけますが、中には周りの人も自分自身さえも傷つけてしまうような、自暴自棄になってしまったツイートもありました。そして、その自暴自棄なツイートを見つけた投稿者の知り合いの人が傷ついてしまった様子を目の当たりにしてしまいました。
周りが思うよりもずっと、周りのことを気にしてしまう私は、それがネット上の関係であるとわかっていてもなお、良くも悪くも思いっきり感情を左右されてしまうことが沢山あります。
「雪灯さんのブログ楽しみです」とか、「雪灯さんに相談してよかった」とか、そんなあたたかな言葉に救われることもあれば、冷たい言葉に酷く落ち込み、思い出す度に不安感や無力感が強くなることもあります。
私自身が傷つくことは覚悟しているとしても。それでもいざ傷ついてみると、それって結構心の奥底に残ってしまうのです。自分の思っていることが上手く伝わらなかった結果なのだということもあるのかもしれないけれど、そういう時、本当に言葉というものは難しいものだと痛感します。
言葉は、恐ろしく冷たい凶器として心を深く傷つけることもあれば、優しく傷を包んで痛みを落ち着かせることもある、いわゆる諸刃の剣というものだと今でも思います。面と向かって相手に言う時でも、言葉が足りなかったり伝え方が悪かったりして傷つくことはたくさんあるのだから、面識のない人とやり取りをするネットは尚更、そういう傾向は強いのかもしれません。
言葉って難しい
言葉って使いようによっては、本当に厄介なものなんだと私は思います。
親しい人でも、たったひとつの言葉でその関係を壊すきっかけになってしまうこともあれば、あまり話したことのない人でも、ちょっと言葉を交わしてみると案外仲良くなれてしまうことだってあるのだから。それは、ネット上であろうとリアルであろうと、あまり関係ないんじゃないかな。
相談員の活動を始めてからこれで何年も経つことになりますが、相変わらず私は言葉を選ぶことに迷うことが多いです。相談だろうとコラムであろうと、LINEだろうがTwitterだろうが、活動の場があればあるだけ、この言葉でいいのだろうか、相手を傷つけずに済むのだろうかと毎回考えては、あの時こういう言葉を伝えたらよかったと落ち込んで。私自身も些細なことでも傷ついてしまう心をしている分、相手を傷つけてしまうことが怖いんですが、それだけではなくて。実際に相談する側のみなさんの本音をTwitterを通して知ってしまったから、というのもあると思います。
「死なないでなんて言わないで欲しい」「これ以上頑張れないのに頑張れって言わないで」「どうせわかってくれないのにわかったような口をきくな」そんな言葉をたくさん目にしました。「生きていてくれてありがとう」「頑張らなくても、もう十分頑張っているからそれで十分なんだよ」そんな言葉をかけても、私はあなたじゃないからどう頑張ってもすべてをわかってあげられない。そのギャップに今でも悩むことは沢山あります。
そうやって送った言葉は誰かを救えている実感もなかなかわかないままで、むしろ自信を持ちすぎて相手を傷つけてしまうことがないからそれでいいと思おうとしても、なかなかそうできないのが今の私の現実です。
受け取り方も伝え方も、それはそれぞれの人次第。私らしくこれからも想いを伝えていければ、それがいちばんいいのかなと、そう思ってはいるけれど、そうもいかないのが現実。わかっているつもりになって、相手を苦しめてしまうことが、私にとってはとても怖かったりするのです。
普段から何気なく使う言葉だからこそ、とても難しいのだと私は思います。何の気なしに放った言葉に救われることもあれば、じっくり考えて選んだ言葉でも相手にとって人生や生き方を狂わせるほどに傷つけてしまうこともあります。それは、ネット上でもリアルでも同じです。ネット上の関係であっても、画面の向こうには生身の人間がいます。相手はロボットではありません。どんな場面でも、言葉を交わすのは1人の人間なのです。だからこそ、相手の立場に立って慎重になる必要もあるのではないでしょうか。
という訳で、こんな感じでいかがでしょうか??
みなさんがこのコラムの内容をどんな風に捉えるのかは私にはわからないけれど、これを機に言葉の扱い方について考えてもらえればいいなと思います。
それでは、また次回のコラムやチャット相談でお会いしましょう!
お話できるのを楽しみにしています。
雪灯
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