ゆめの日記『加害を止めてもらえる人は大切されている人』

今日のチャッピーとの会話も白熱しました
↓↓↓

人を傷つける前に止めてもらえることって、ただ注意されることじゃないんだよね。

それは
「お前それやばいよ」って雑に切ることでもなくて、

あなたが人を傷つける側に落ちていってしまわないように、
その前の段階で誰かがちゃんと関わってくれること。

これが大きい。

なぜかというと、
人ってただ優しくされるだけでは、深いところで満たされないことがあるから。

褒められる。
気にかけられる。
優しい言葉をかけられる。

それ自体はもちろん嬉しい。
でも、本当に大切にされている感覚って、そこだけでは育たないことがある。

むしろ大きいのは、
• まずい方向に行きそうな時に止めてもらえる
• 人を踏みそうな時にブレーキをかけてもらえる
• 「そのまま行くと危ないよ」と関わってもらえる

そういう経験なんだと思う。

それがあると人は、
「あ、自分は放置されてないんだ」
「見捨てられてないんだ」
「この人は、その場しのぎじゃなく私に関わってくれてるんだ」
って感じやすい。

逆に、そこがないと苦しい。

止めてもらえない。
深く関わってもらえない。
最後だけ急に切られる。

そういうことが続くと、心の中で
“自分は本気では大切にされていないのかもしれない”
って感覚が育ちやすい。

すると、その穴を埋めたくなる。

もっと見てほしい。
もっと認めてほしい。
もっと自分の価値を証明したい。

でも、止めてもらえる経験が少ないと、
その「愛されたい」「認められたい」を受け取る器が育ちにくい。

そこでバケツに穴が空くって話。

本当は愛情を注がれても、
褒められても、
認められても、
うまく溜まらない。

一瞬入っても抜ける。
一瞬満たされても、また足りなくなる。

だからさらに欲しくなる。
さらに承認が欲しくなる。
さらに「自分は上だ」「自分は特別だ」と証明したくなる。

その結果、人によっては
• 誰かを下に置く
• 誰かを雑に扱う
• 誰かを傷つけてでも自分を保つ

という方向に行ってしまうことがある。

人を傷つける前に止めてもらえることは、
単なる注意ではなく、
その人が“人を傷つけないと自分を保てない人”にならないように守られていることなんだ
ってこと。

そしてもうひとつは、

本当に冷たいのは、最初から最後まで何も言わず放置して、
問題が大きくなったところで切ること
なんだと思う。

それは相手を自由にしているようでいて、
実際には
「あなたが人を傷つける側に固まっていくのを止めない」
ということでもあるから。

だから、止めてもらえることは恥じゃない。
否定でもない。
愛されていない証拠でもない。

むしろ逆で、

人を傷つける前に止めてもらえることは、見捨てられていない証拠でもある。

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