Amaryllisの日記『あなたの苦しさは社会にいらないもの?』

YouTubeを見ていると、イメチェン動画で自分の辛い過去や経験を話す人がいます。そのことを声に出し、人に聴いてもらい共感のうなづきを得ることは、やはりその人たちにとって心を軽くするものなんだろうと思います。

でも、この世に生きる大半の人にとって、わたしも含めて、自分の苦しい生育歴は語れないんだと思うと、虚しい。
「苦しい経験」は社会にとっていらないものなんだと、日の目を見て少しの共感を得られて過去は変わらないにしても癒しをもらえるのは、本の登場人物とかさっきみたいにメディアに取り上げられる人ぐらいだと思う、思ってしまう。これは自分の歪んだ承認欲求なのだろうか…

自分の暗さを語れる人はそうそういません。私は、語れる友達を作るには、自分も聴くことができるフェアな関係じゃないとだめだと思うのです。相手に自分の暗さを預けることを、承認をもってしても無責任に感じてしまうのです。

1人だけ、過去に病み友と自分は呼ぶ、語れる人がいました。その人は自分が経験しなかったいじめを受け、精神疾患を診断されました。何も知らなかった自分は安易に、彼女の悩みを打ち明けたいということを受け入れたのですが、思わず返答に戸惑った経験がありました。過去を変えられないけれど、どう慰めたら傷がつかないか、迷いました。自分は今度から、自分がちゃんとした器になってから聴こうと思っています。やっぱり、考えすぎですかね。相手にとっては、打ち明けるだけで、うなづいてもらって、辛かったねって言ってもらうだけで、いいのかな。

何か変な文になっちゃった。思うことがあったらコメントください。

ココトモにいる出来るだけ全ての人が、自分の悩みを認められて、自分が普通と思ったり少しでも楽しいと思える日が来ますように。

star今日できたこと♪

読んでくれてありがとうございました。

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