
生きる意味
visibility2176 edit2019.05.10
※2019年5月10日の投稿です。
今年で25歳になります、福岡在住の男性です。
とにかく何か吐き出しておかないと、自分自分でいられなくなりそうになったので、ここに投稿します。
はなからコメントを頂けるとも思ってませんし、おそらく運営の方が削除されると思いますので、ただのキチガイの独り言だと思って流して頂いて結構です。
かなりの長文になりますので、それでもよろしければどうかお読みください。
ここ最近、俺は一体何なのか分からなくなってきました。
生まれつき目の障害も持っていて、両目ともあまりよく見えていません。
ろくな家庭環境で育っては来ず、常に人の悪意に晒されて生きてきました。
小学生の頃、束縛、罰則、体罰、虐待といった劣悪な家庭環境に嫌気がさしていた俺は、悪い少年たちとつるんで色々な人に沢山の嫌がらせをしてきました。
まるでそれを娯楽のように感じていたんでしょうね。
人が傷つく姿を見てその時はスッキリしていたんです。
でも、段々とそんな自分が嫌になってきて、次第に誰とも関わらず、自分の世界に閉じこもってひたすら自由帳に創作で物語を書き綴っていました。
当時流行っていたゲームやアニメのキャラクターたちをそのままオリジナルの世界に引き込む、つまり二次創作のようなことをやっていました。
辛いことも、悲しいことも、その世界では自由にコントロールできるから、作者の自分自身もその世界に浸れば、もう何も怖くなかった。
そのはずでした。
しかし、自由の利かない毎日が苦痛で仕方なく感じていた数年後、小学5年生になったある日、俺は3階の教室のベランダからコンクリートを眺めていました。
物凄く距離が近く感じて、『このまま落ちたらあっという間かな』なんて考えて……
手すりを乗り越えてそのまま身を任せようとしたその時、おそらく生徒たちが呼んだのか、駆けつけた先生によって俺は取り押さえられました。
「なんでこんなことしたんや?!」って物凄い剣幕で怒られて、俺は吐き漏らしたんです。
「今の家庭が辛い」と。
先生は「ごめんな、そればっかりはどうにもしてやれん。けどな、死んだらあんたが一生懸命に書いてる自由帳も、書けへんくなるで? それでええんか?」と説得されて、俺はずっとその場で泣いていました。
それ以来、俺のことを気味悪がったのか、誰も俺に寄り付かなくなり、俺は孤独になりました。
やがて小学6年生になって、親が離婚して家庭環境が変わり、福岡に戻ってきてようやく自由になれたと思いましたが、その頃にはもう人とろくなコミュニケーションも取れなくなっていました。
でも、母と兄、祖父母と5人で暮らす生活は、とても温かいもので、その時は気にしていませんでした。貧乏ぐらしでしたが、不自由はなかった。
でも中学生に上がって、色々な人たちからいじめられるようになって、初めて人の痛みを知った俺は、小学生の頃の自分のやってきたことが恐ろしくなって、自分が憎くて憎くて仕方なくなってきました。
その人たちの顔と名前が鮮明に思い出され、その度に罪悪感に苛まれました。
色々な人からの罵詈雑言を浴びて、自分は要らない存在なのだと思い始めると、もうこのまま独りでいいと思うようになったんです。
大きな転機が訪れたのは高校生に上がった入学式の日です。
独りで帰路を歩こうとしていると、ある男子生徒が俺に話しかけてきました。
まるで小中学生みたいに無邪気で、明るい少年でした。
しかし、その人も俺と同じように生まれつきの障害を持っていました。足の障害です。
でも、彼と少しずつ話をしていくうちに段々仲良くなって、初めて友人に恵まれたと実感しました。
それからの毎日は楽しかったです。色々なところに遊びに行って、沢山の思い出を作りました。
でも、学年が上がるにつれて、俺は将来のことが不安になりました。
その時俺はすでに知っていたからです。
いかに今の社会がとても厳しく、冷酷なものであるかを。
弱肉強食で、お金や力を持っている人が優位に立てることを。
そして、この世のあらゆる不条理に屈した人は一気に社会から切り離されることを。
人は平気で嘘をつき、人を騙し、奪い合うことを。
色々なニュースや記事を見て、俺は知っていました。
だから怖かった。
このまま卒業したら、また独りになってしまうのかなって。
そして高校三年生から始まった就活に俺は失敗し、就職先を見つけられないまま高校を卒業しました。
次の転機が訪れたのはその翌月のことでした。
俺の祖母が自室で首吊り自殺をしました。
祖母もまた、足の障害で苦しんでいて、鬱になっていたそうです。
手術に失敗し、一生足の痛みに苛まれることや、誰もその苦しみを理解できなかったことに絶望した祖母は、遺書に『孫たちのことをよろしくお願いします』と残し、逝ってしまいました。
その時になって初めて、俺は祖母の自殺の動機を母から聞かされたんです。そして俺は手術に失敗した医師や祖母を厄介者扱いした人たちを恨むに恨みました。
どんなにお金や力を手にしていても、助けられない命があることを嘲笑いました。
時が経って、俺は学生の頃に通っていたゲームセンターの店員として働き始めました。
そこで先輩たちにとても親切にして頂きました。
でも、ある日祖父に食道癌が見つかり、祖父は入院することになってしまいました。
発見が遅く、年齢も年齢だったため、もう手術は出来ず、このまま死を待つのみとなっていたそうです。
俺たちは弱り果てていく祖父を最後のその瞬間まで看取りました。
それから俺は一生懸命考えました。
自分が今何が出来るのかを。
自分だからこそ出来ることが何なのかを。
『創作』をしようと願ったんです。
自分が何よりも力を発揮できたのは『創作』だったから。
『創作』だけでなく、歌や声劇の活動をしてみたいと思った。
それで誰かの力になれたらいいなと願って……
そこから数年間同人活動を続けて、卒業後も仲良くしていた例の友人とカラオケに行った日のことです。
友人のちょっとした行動によって、その友人が繋がっていたとある女性と俺は繋がることになりました。
それから友人とその女性と俺の三人で毎日のように通話して楽しく過ごしていました。
その女性はとある精神的な問題を抱えていましたが、俺と友人で支えつつ、関係を深めていきました。
しかし、ここ最近になって、その関係はがらりと変わることになりました。
友人とその女性が恋仲になり、ご家族と挨拶を交わしたそうです。
その時、俺の頭の中で色々な考えが走り始めました。
お世話になっていた先輩には子供が生まれ、この友人はついに心の底から愛し合える人を見つけて、周りの人たちはどんどん前に進んでいくのに、俺はいったい何をしているんだろうって。
好きな人も出来ず、創作活動も進展せず、ただ日常に甘えて……
家族や周りの人たちの負担になって……
また独りになるのが怖くて、俺はその友人とその彼女と何度も衝突して揉めました。
彼らは口を揃えて『俺のことを大事に思ってるよ』『嫌いになったりしないよ』と言ってくれますが、俺はそれを信じることが出来ないんです。
信じたくても何故かできないんです。
周りの人たちはいつも俺のことを邪険に思ってるんじゃないかとか、自分がいない方がみんなにとって幸せなんじゃないかとか、一度それが頭に出てくるともう溢れ出して止まらないんです。
昔からずっとそうでした。
常に悪いことばかりが頭に駆け巡って苦しむんです。
大好きなはずのその友人や彼女のことまで憎み始めている自分が怖くて怖くて仕方なかった。
なんでこんな卑屈な考え方しかできないんだろうと思うと、自分に対してイライライライラしてたまらなくなりました。
やがて仕事中にも胸の中でもやもやとした冷たい感じがするようになって、創作活動も出来なくなってしまいました。
仕事から帰ってシャワー浴びながら独り言を叫んで、ご飯を食べて寝る。
そんな日々をずっと送るようになりました。
突然気分が良くなったかと思うと急に憂鬱になったりして、いよいよ自分はおかしくなったのだと思いました。
今この瞬間でもイライラしてたまらないんです。
自分なんていなくなってしまえばよかったと思い始めて、昨日は職務中にスタッフが休憩でいなくなったタイミングを見計らって傍にあったカッターナイフで左手の甲を10数回ほど切りつけました。
その時初めて心の病で苦しむ人の気持ちが分かったような気がしました。
誰にも聞いてもらえず、理解して貰えないというのはとても辛く、寂しいことだって。
俺は人格に障害があるのでしょうね。
しかも被害妄想が強く、自虐的になりやすいタイプ。
異常者なんですよ、俺は。
だからきっと、独りになったんですね。
周りの人たちから見放されてるんです。友人もいずれ俺のことなど忘れて楽しく過ごすでしょう。
また俺は孤独になるんですよ。
家族? 家族が俺のことなど理解出来るはずもないでしょう。
「家が暗くなるからやめて」「たったそんなことで悩んでどうするの、馬鹿じゃないの」「まだこの年齢で情けない」
こんな言葉しか返せない人たちが傍にいても、生活上の支えにはなるでしょうが、根本的な解決に何一つなり得ません。
だから家の中にいても独りなんです。
友人は良いですね、苦労の末にその恋人と結ばれたわけですから。
今でさえも俺のことを嘲笑っているのでしょう。
「大事」だとか「大好き」だとか、本心でそんなことこれっぽっちも思ってないくせに。
見放したら良いんだよ俺のことなんか。
迷惑だと思ってるでしょうから。
所詮上っ面の言葉を並べ立てられても、信じられるわけがないじゃないですか。
結局俺はそういう人間なんです。何も変われないし、誰もこの苦しみから解放してくれる人はいないんです。
助けてほしい。
誰でもいいから、俺を楽にしてほしいんです。自分が自分でいられなくなった時、俺は自分に何をしてしまうのか想像したくない。
誰か助けてください。
俺はどうしたらこの呪いのように付き纏ってくる苦しみから解放されるんでしょう?
いつもいつも繰り返して、こんな風になってしまうんです。
もう嫌なんです。楽になりたいんです。
俺も本気で誰かのことを好きになってみたいんです。
その誰かと色んな思い出を積み上げて行きたいんです。
困難はあれど、色んな苦楽を共にしたいんです。
素直な自分でいたいんです。
だから、自分が自分であるうちにこのメッセージを残しておきます。
もしこの願いが誰かに届いたなら、どうかお願いします。
あなたが大事だと感じている人がいたら、その人を愛して幸せにしてあげてください。
こんな俺の真っ黒な文章を最後まで読んでくださったあなたは、きっと心優しい人だと信じています。
このトピックがいつまで存在するかは分かりませんが、この願いが、祈りが、誰かに届きますように。
※2019年5月17日より以下追加文章
友人たちに全てを打ち明けました。
自分自身に起こっていた異変について。
でもちゃんと友人たちのことを大事に想っていることを伝えました。
そして友人たちと何とか和解することができました。
自分の中で何が起こっているのかちゃんと確かめたい。
身近な人たちやこれから出会う人たちとちゃんと向き合うためには、自分自身についてもう一度しっかり確かめようと思います。
俺の本音はただ一つだけ。
『自分に出来ることを一つずつ一生懸命にこなして、誰かの力になりたい。誰かを幸せにして、自分も幸せになりたい。それこそが俺の明日を願う気持ちであり、いや、明日を信じる意志であり、俺の生きる意味』です。
もしも、『自分自身が不幸になりたがろう』としているのなら、俺は全力で否定します。
『幸せになりたいのだ』と。
沢山人を好きになって、ちゃんと明日を掴み取るのだと。
また暴走しそうになった時は、その都度吐き出すようにしようと思います。
抑え込もうとするのではなく、自分自身にもちゃんと寄り添おうと……
※2019年8月31日より以下追加文章
あれから3ヶ月経つのだと思うと、長いようであっという間だった気がします。
今自分はリアルの仕事も創作活動もどちらも一生懸命に頑張っています。
色々な改善点もあり、もっともっと精度を高めて行きたいと思える自分がいます。
訳あってリア友とは縁を切りました。
自分が変われば価値観や考え方がそれに伴って変化していくというのは本当のようです。
しかし、そこに後悔はありません。
俺はただ、ひたすらにまえへ進んでいく。
掴み取りたい明日がそこにあると信じて進む。
だからこの傷跡となったメッセージはずっと残しておきます。
数ヶ月後、数年後の自分がどんな困難に見舞われたとしても、その時に強く願った想いや明日の形を忘れないようにするために……