銀ノ月の日記『今こそ成長の時』
visibility226 edit2023.11.12
*今日は色々と滅茶苦茶です、ご容赦ください。*
今日は自己肯定感が低くなっていくのをまざまざと実感する1日でした。
私はバイトやボランティア活動で、中学生や高校生に勉強を教える活動をしています。私は文系なので主に英語を教えているのですが、数学を教えることもあります。今日も中学生の勉強をお手伝いさせてもらいました。
・・・ムズカシイ!!!分からん!!!
よくこんな問題を解いているものだとこっちが感心するほどに難しい。模試の解き直しということだったが、大学生の今解いても半分取れないのではないかと思いました。そのため解き方がわからず困っている生徒に教えることが出来ず、一緒に首をかしげてしまう始末。こんなことは私にはよくあるのですが、今日は県内のトップ校とも呼べる高校生が体験に来ていたこともあり、一入情けない思いをしました。
これが学力的な自己肯定感の低下の話。ただ、それよりも「心」のレベルの低さからくる、自分に対する自己肯定感の低下の方が私にとって深刻だった。
(以下の内容は、鼻で笑いながらでも読んでください)
恥ずかしい話、私は謎の自信家だった。周りに哲学的なことを考える友達がいなかったためか、自分で人間が生きる目的を見つけ出した気になって満足気だったり、こんな思考回路を持っているのは自分だけだと勘違いしていた。しかし、自分よりも何枚も上をいくような考え方を持っている人と友達になったり、ココトモのような素敵な場所で多種多様な考え方をする人と出会った。凄いなぁ、こんな考え方あったのか、と思った。
ここまではいい。ただ、そんな人たちと自分とを無意識にも「比較」してしまっている自分がいた。当然、考え方に正解はないのだから優劣もクソもないのは分かっていた。だが、分かっていたのは「頭」だけだった。「心」は全然分かっちゃいなかった。
どうやら私の心は阿呆の子らしい。頭では納得していても、いつまでも比べてしまうことをやめられなかった。癖づいているのかもしれない。勉強や考え方の悪癖は、頭だったら意識して矯正することが出来るかもしれない。ただ、心はどうなのだろうか。
こういうことは前にもあった。仲の良かった親戚のお葬式の時、死について頭では理解できていたつもりだったのに涙が止まらなかった。心と頭(思考)は別なんだと初めて気づいた瞬間だった。
書いているうちに何が言いたいのか分からなくなってきたが、とにかく今日は頭で思い描いていた自分の心というものが如何に自分の理想とかけ離れているものかということを痛感した1日だった。ただ、これに気づけただけ今日は良しとしたい。この醜い現状を受け入れ昇華するのにどれぐらいの時間を要するかは定かではないが、いつかココトモでの出会いを「純粋に」楽しめるように変わる努力をしようと思う。
今日よかったこと♪
・自分の心内をありのままに書こうと思い、文体も内容も滅茶苦茶になってしまった。
・不快に思われた方、大変申し訳ありませんでした。
読んでくれた人へのメッセージ
今日も1日お疲れさまでした。
「比べる」とありますが、決して皆様のことを見下していたわけではございません。むしろその逆で、自分にはなかった考え方にたくさん出会って、頭ではすごい、面白いとわかっているのですが、心ではどうしても「悔しい」という謎の比較感情が出てきてしまい、いつも劣等感に悩まされてしまうことを書こうとしました。
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