よしちゃんの日記『『自分』を見つめて』
visibility61 edit2024.12.10
ここしばらくの人とのやり取りの中で、『自分』というものについて、より深く見つめることになった。
僕は今まで、『自分』という認識の存在意義を明確には感じられていなかった。そんなものは無いほうが、むしろ人は悩むことなく生きていけるのでは?とも思ったりもしていた。
でも、今回の自分を深く見つめる機会で、その存在意義がはっきりと見つかった。ハッと目の覚めるような感覚だった。
それは、自分という認識は、心を育てるためにあるということだった。そして、それ以外はない。
自分を見つめる上で、それと同時に体を見つめることも重要だった。体は体が管轄している。狭くは体は遺伝子の管轄。広くはこの世界の管轄。その管轄の中で育ち、その管轄の中で崩れる。
体は体で、体に任せていればいい。『自分』の管轄は心でしかないからだ。
体に体を任せられないのは、親が子供をコントロールしたがるようなもの。
自分は自分のやるべきことをやればいい。心を育てることをやればいい。
親が変われば子も変わる。心が変われば体も変わる。
体が変わるということは、思考や感情も変わるということ。感情や考えは、脳の管轄でしかないからだ。
そして、体が変われば、世界は変わる。体は世界の一部だからだ。
『自分』というものの存在意義を見つけるということは、体(思考や感情)に司られる側から、体を司る側になるということ。世界に司られる側から、世界を司る側になるということ。
余計なことに気を取られずに、自分の役割をしっかりとやっていけば、必ずそこに成果は現れる。それは、ごくごく当たり前の話だけども、その当たり前が僕はできていなかった。盲目的に生きてきたから。『自分』がなんだか見えなかったから。
『自分』を見つけ、なんだかありがたい気持ちになった。だから、それを自分だけのものにしないで、みんなにお裾分けできたらと思う。
今日よかったこと♪
よかったですね💮
読んでくれた人へのメッセージ
おはようございます。
幸せでありますように・・
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