よしちゃんの日記『不幸の条件』
visibility79 edit2024.12.18
今日は数人で集まってなんやかんやする予定がある。
こういう時、僕は気が重くなりがち。今日も少しそう。集まってなんやかんやすることが僕はあまり好きではないからだ。
そういう時に、僕はいつもそこに僕の不幸の条件を感じている。
そこにある不幸の条件とは偏見だ。
偏見がなければ余計な思考は出てこない。不幸の条件は出てこない。そうであれば、気が重たくなることもない。
不幸の条件がそこになければ、当然、そこにあるのは幸せだ。
偏見がなければ、そこには事実しかない。純粋な思いだけしかない。
偏見という不幸の条件を取り除いたら、純粋な人の思い、慈しみだけがそこに残る。そのような幸せな思いだけが残る。
自分なりの幸せへの条件を追い求めている間は、人は不幸になりがちのように僕には感じられている。
それは実際のところはよく分からないけども、どちらかというと僕の場合は、その時にある自分の中の不幸の条件を見つけて取り除いていけたらなぁと感じている。
というわけで、今日もそんな不幸の条件をできるだけ横に置いておいて、純粋な心で、慈しみの心で過ごしていくことにしよう。
そうできるできないも置いておいて、できる分だけできる範囲で。。
そうできた分だけが今日の収入。
今日よかったこと♪
よくできました💮
読んでくれた人へのメッセージ
いつもありがとうございます。
あなたが幸せでありますように・・
あなたの悩みや苦しみが無くなってしまいますように・・
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