ああははの日記『むかしから』

昔からどうしてこうも、人の迷惑なんかを考えられないのかと思う。人の気持ちを考えられない、塾へ通わせてもらってるありがたさなんかも不器用なもんでさ ただたまに会釈したりばあちゃんの好きな回転焼きを買ってあげることだけしかできてなくて、たとえ相手がどれだけ欠けていて自分の嫌だなあと思うところがあってもところどころは好きで向き合い続けるというのは難しい。価値観の違いはむずかしい。価値観と常識をたまに同一視する。これを期限内に提出しなければ常識外だろう、それも所詮主観なのかもしれない、客観なのかもしれない、世に出ていないのだからあたりまえ、かなあ
小学生のころ親父のことをキライだ!といってから、ずっとどこか壁や蟠りを自分自身が作っているように感じる。人前で見せたくなかった眼鏡姿、親父やばあちゃんにはつい隠してしまって愛想が悪いと言われた。身内だからといって限らない、外の人に見せても最初は羞恥の塊が襲ってきて。思えば名前も呼べていない。掲示板や他人にはおかんとか親父とかかけてしまうのに、本人がいない所では呼べてしまうのに、友達にもそうで。本人のいない所でばかり名前が呼べて、そんな変なやつで。難儀だと思う、自分のこと。
酒飲んでぶつぶつ愚痴を吐く親父に声をかけてもこっちの話で割り切られる。なにか力になりたいなあ、人の世話が好きだねって嫌いな先生に言われた。世話や面倒みは苦手なんだけれど、、こうなににでも情をかけてしまうところはある。そう思う。

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