てるの日記
visibility132 edit2023.07.13
今日はどんな日だったかな・・
これからのことを考えたりしたなぁ。
これまでのことを思い出して、そして、これからのことを考えて・・
その事で福祉課の人に相談したり、訪問看護の人に相談したり、そんなことがあったなぁ。
相談する中で、あんまり聞こうとしてくれてないなとか、ちゃんと聞こうとしてくれてるなとか、考えてくれてるフリをしているなとか、一生懸命考えてくれてるなとか、その都度、その都度、相手の態度を感じます。
考えてくれてても、考えてくれてはいるけど、こっちの気持ちは見てなくて、自分の考えだけを言ってるなとか、そういうことも感じます。
ココトモで、僕も誰かの相談にコメントしたりすることがあるけども、自分のコメントを読み返したり、相手から返ってきた返事を読みながら、自分自身の態度をその都度、その都度振り返ったりしています。
そんなこんなで、今日も自分の悩みを話したり、相手の悩みを聞いたりしながら過ごしていたんだけれども、そういう中で感じたことがありました。
それは、悩みの本質は、成長することにあるのかもなっていうことでした。
だから、相談っていうことの本懐も、成長することにあるのだろうなと感じたわけでごさいます。
誰かの相談を聞いて、いろいろとやりとりしたあとに、感謝の気持ちを伝えられたりすることもよくあります。
そして、相談をして、寄り添ってもらったり新しい視点をもらったりしたときに、その人はそれまでとは少し違った自分になることがあるのではと感じています。
その違った自分が日常に戻り、悩んでいた出来事にあたり、それを乗り越えていく。
相談して、一時気持ちが楽になっただけだと、変わらない自分が事にあたり、同じことを繰り返す。
一方、相談に乗った側は、そのやりとりの中で自分自身のアラが見え、相手にきちんと寄り添えてないなとか、自分の考えを優先してるなとか、決めつけや思い込みがあったなとか、そういったことを見つけることがあると思います。
最後に楽になりました、元気が出ました、ありがとうと伝えられることがあったとしても、そのやりとりの中で自分のアラを教えてもらった気持ちになっていて、こちらこそありがとう、お互い様ですという気になることもよくあります。
そのように、誰かが悩み、相談したりされたりする中で、問題ごとが乗り越えられるようなとき、そこにはどちらもの成長があるように感じています。
人の人生というものは、悩みを繰り返し続ける人生なのかなと感じることがよくあります。
しかし、それは裏を返せば、人の成長を促し続けるストーリーとも言えるでしょう。
悩みをどうにかなくしたい、楽になりたい、もし、そう考えるなら、人は自分という枠を取り壊して、成長することを望む必要があるのかもしれません。
なぜ人は自分と向き合う必要が出てくるのか、自分と向き合うしかなくなるのか、それは、自分の殻をうち壊して、卵から雛が孵るように、新しい自分へと成長することが、本当に悩みを無くし、楽になるための唯一の方向なのかもしれないからかもなと感じました。
悩むこと、相談に乗ってもらうこと、相談に乗ること、今日の出来事を通じて、そんなことを感じました。
そんなことを感じた1日。
今日よかったこと♪
相談できた
相談に乗れた
日記が書けた
これからのことを見つめられた
これからの姿勢が少し変わったように感じられた
それは、昨日、とある素敵なコラムを読ませてもらえたことも大きかった
ここでみんなの相談を聞かせてもらえたこともね
ありがとうございます
とっても支えられています
読んでくれた人へのメッセージ
読んでくれてありがとう
ありがとう、オリゴ糖
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