ちーの日記『自由と生きづらさと迷いとお骨。』

 今のNHKの朝ドラが苦手だ。でも朝からCM見たくないし、米津さんの歌を聴いてからチャンネル変えてる(時計代わりにTVは欲しい)。それでも辛い。歌の前のあらすじ部分だけでも。
 何がって、あまりにも『あの時代の女性の生きづらさ』が強調されてて、ちゃんと見てなくてもセリフとかが耳に入ってくるだけでしんどい。気が滅入る。

 そして最近の若い人(言いたくなかったよこのフレーズ)の音楽を聴いてると、前にも書いたけど、男性が女々しくて辛い。

 男は女にすがらず、女は男にすがらず、夢に生きて欲しいものだ。そのくらいのさじ加減が私にはちょうどいい平成時代の音楽で育った世代。

 そんな私が母の納骨に悩んでいる。いや、答えは一つしかないのだが聞いてください。

 母は父と一緒に埋葬します。私にはこうする事しかできない。限界。精一杯。

 母方の先祖のお墓はなんとまぁ麻布十番商店街にあります。セーラームーンの舞台になった土地(原作に出てくるゲームセンタークラウンは実際はパチンコ屋)。よく従姉と「死んでから住んだってねぇ」なんて言ったもんだ。
 それが母の自慢(自分で買ったわけじゃないのに)。
 「うちのお墓は麻布十番」
 と威張っていた。
 母の妹は奔放な人で、まぁ色々あって旦那さんがいなかったし子供たちもまだ上が20代という事で、麻布十番に入った。お通夜には50人くらい来てそりゃもう愛された人だったよ。

 さて、コロナ禍を経てひとりぼっちのお葬式になってしまった母をどっちに埋葬するか。昨日麻布十番の事を思い出して(忘れてた)、頭髪が全部抜け落ちるかと思った。あんなに自慢してた場所に大好きな兄妹と納まる事が出来なくて、母は不満なんじゃなかろうか。

 でもなぁ、でもなぁ…。私にとって父と母は1ペアなんだよ。『両』親なんだよ。ベターハーフと思うんだよ。母が兄妹と過ごした時間は30年間。私の親でいてくれたのは40年を超える。私の中ではもう私の母でしかないんだよ。そして母のお骨を持ってるのは私、決めるのは私なんだよ。

 自由が恨めしい。誰かに決めつけてもらえたら楽なのに。いや、絶対的に抗えない条件があるんだけど。金銭的事由という何とも私の至らなさから来る理由なんだけどさぁ。私の至らなさ…つまりは私次第という事だ…。今思い浮かんだけど分骨ってのもあるよね…。でも私、母の体バラバラにできない(物騒)。

 父の情けなさにイラつきながらも、ほんのちょっとの父の遺骨をこっそり手元に残した母。その、垣間見えた『愛情』に、希望を持ってもいいかな。母を、父と一緒に埋葬して、「またこの人と一緒❓」と笑ってくれるかな。「やだぁ、あたし麻布十番に埋めて欲しかったのよ」って言いつつ笑って諦めてくれるかな。

 生きてるうちに聞きたかった。最適解を。せめてもう一度会いたかった。会えると思っていた。そもそもコロナさえ、コロナさえなけりゃ自宅で介護したのに。

 ずっとこの事抱えながら生きていくのかな。自分に折り合いつくのかな。

 モヤモヤしながら私は今日も私の人生を自由に生きていく。自由を持て余しながら。これが抑圧されてた時代の女性たちが望んだ自由なのかよぉ…。

star今日できたこと♪

上手に眠れなくてもちゃんと朝の支度してる。昨夜鬼滅のゲームソフトが届いて、とても楽しく遊んでたけどちゃんと時間でやめて寝た。徹夜でゲームやってた頃とは比べ物にならない自己管理能力。やればできる子。ちゃんと翌日の支度終えてからプレイしたし。ちゃんとできてるよ。偉いよ。そして実弥さんを初回プレイで1位にしてあげた🤣 推しに花持たせて偉い🤣

favorite読んでくれた人へのメッセージ

お読みくださり有難うございます。何度も書いてますが毎日選択の連続です。どこにも解答載ってません。カンニングできません。辛い。暗中模索五里霧中。でも時間は過ぎます。容赦なく。置いてかれる事なく平等に。一秒一秒進んでく。気付けばGWですよ。あんまり長い連休にならなくてホッとしてます。孤独感に苛まれるから…。あぁ、暗い結びになってしまう。とりあえず今日も生きます。みっともなくても。

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