てるの日記

僕は訪問看護を頼んでいる。

訪問がない時でも、他の人の訪問の合間の時間に、電話やメールで訪問看護の人とやり取りさせてもらっている。

昨日、訪問看護の人とのやり取りの中で、その人に不信感を持ち、今後その訪問看護を受けることへの不安感が出てくることがあった。

僕は、その訪問看護にというよりその人に対してある程度の信頼感と安心感を持っていた。だけど、昨日のその時にその感覚が失われていき、そしてその途端に気持ちは重たく、そして寂しい気持ちが心に溢れてきた。

昨日の夜にいろいろ買っていろいろと食べてしまったのは、きっとこのことが大きく影響してると思う。

僕はこの出来事を通して、心の安定を他人に頼ることの危うさを新ためて感じることができた。

今日、またその人と電話で話をした。

また前のように話を丁寧に聞いてくれて、失われかけた信頼感と安心感は再び大きくなっていった。

それでも、今までのものとは少し違う感じの感覚になったように思う。

話している最中に見ている方向性の違いを感じたのも、その感覚の違いを作る原因の一つになったような気がしている。

話は少し変わるけど、日ごろ周りの人と接するときの僕は、ここでこうやってコメントしている僕とは全くといっていいほど別人だ。日ごろの僕は、一言でいえば、わがままで困った幼稚園児のよう。

多重人格とか、解離性人格障害とかそういう言葉があるけども、それに似たような状態で、話し方や言葉使いも違えば、思考パターンも全然違う。能力も違う。ここでコメントしてる時の僕は右利きだけど、日ごろ周りの人と接するときの僕は、左手で文字を書き、左手でも箸を持つ。

ただ、まったく入れ替わるという感じではなくて、どちらも同時には存在していて、一方が一方をフォローしたり、見守ったりしながら存在している。

まるで親子のような関係性。

僕はこれをやりなおし、育てなおしの現れとして捉えている。

僕は物心ついた時にはもう仮面を被っていて、その仮面を被った僕が、偽りの僕が、いろんな体験をし成長してきた。

でも、仮面を被ったその時に、元々の僕は心の内に閉じこもったままになっていて、その僕はその時のまま何も成長せずに心の内にその身を潜め続けていた。

いろいろなことがあり、仮面を被った僕の方はそれなりに多くのことを学び、それなりにものごとを見つめられるようになっていった。

そして、ようやく今、閉じこもっていた元々の僕は、成長した仮面を被った僕を親として、その成長を再開しはじめた。

仮面の僕が元々の僕を、見守りながら、時にフォローを入れながら、そんな感じで新しい人生を切り開こうと歩んでいる。

そうは言っても、元々の僕はまだまだひよっこで、赤ちゃんとそう変わりない状態だから、今は歩こうとするだけで精一杯な感じです。

今日、何でこういう話をしようかと思ったかっていうと‥

何でだろうな

何でだろう‥

そうそう、多分だけど、

人生に常識なんて通用しない。

人生はそれぞれがそれぞれのオリジナルを見つけて進んでいくしかない。

どうすればいいかなんて、そんなことは教科書なんかには書いてない。

それはきっと、それぞれがそれぞれに支え合いながら見つけていくことなんだっていうことを声を大にして言いたかったからなんだと思う。

そして、僕っていう存在を知ってもらうことが、人を囚われから解放されていくきっかけになるかもしれないって感じたからなんだと思います。

ハッキリとは分からないけど、そんな感じがしています。

そんなことを思った1日

star今日よかったこと♪

日記が書けた。

ちょうど1500字ぴったしで書けた。

うどんを食べた。

朝、素うどん、昼、梅干しうどん、夜、納豆ひじきうどん。

うどんコンプを達成できた。

favorite読んでくれた人へのメッセージ

読んでくれてありがとう。

こういう自分を打ち明けることは、人目を気にする自分にとってはとても不安でいっぱいです。

ログインするとこの日記をフォローして応援できます

keyboard_arrow_up