銀ノ月の日記『数多ある世界の片鱗に触れた話』
visibility235 edit2023.11.14
今日も1日お疲れさまでした。
今日は2限スタートだったので、朝は2度寝をかますほど落ち着いたものになりました。
いつも通り電車を乗り継ぎ、正門の長い坂道を歩こうとしたとき、後ろから友達が声を掛けてくれました。そして私を追い抜きがてら一言「なんか感じ変わった?」
私としては「はぇ?」でしたが、恐らく彼は私の後ろ姿を見てそう感じたのでしょう。ちょうど考え事の最中だったので、そう見られたのかもしれません。
凛々しく見えたのか、はたまた誰も寄せ付けない刺々しい感じだったのか、、、
前者であると信じたいですね笑。彼に真意を聞いとけばよかったです。
そのやり取りの後また坂道を登り始めるのですが、道のわきに散らばっている落ち葉やまだ若干葉がついている木々をみて、ココトモの日記で最近よく見かける植物記事を思い出しました。私が見ているこの木にも名前がある。そこのよくわからない植え込みにも名前はあり、ポツンと咲いている花にも名前がある。そう思うや否や、私の脳内をきれいな景色が埋め尽くしました。
言葉で伝えるのは難しいのですが、私は「数多ある世界」の片鱗に触れたのではないかと思いました。私は、世界は無数にあると思っています。(何言ってんだと思われるかもしれません)地球のような大きな「世界」の中に、それぞれの人を中心として展開された「世界」が無数に存在している、そして世界と世界が混ざりあう領域で人は交流をしているのではないかと勝手に想像しています。もちろんこの他にも「動物」の世界、「植物」の世界、「物」の世界などがあるだろうし、考えだしたらキリがありません。
世界の定義を私自身定めていないので「間違っている」と言われればそれまでですが、私はこの考え方が好きです。唐突ですが、この世界には私が思っている以上の理不尽や辛いことがたくさんあります。タチが悪いなと感じるのは、優しい心の持ち主ほどこの世界で生きることに苦しんでしまうことです。もし世界が一つだけだと、その世界で生きられないと思ったとき居場所がないように感じてしまうかもしれません。
ただ、世界は一つだと誰かが証明したでしょうか?仮に証明できたとしても、その世界の中に他の世界はないと言い切れるのでしょうか?答えは「わからない」、ならいっそのこと世界は無数にあると考えよう、そのほうがきっといい!というのが私の考えです。
話が逸れてしまいました、、、そうそう、「数多ある世界」でしたね。
今回私が触れた世界は「植物の世界」のごく一部でしたが、この世界にまた遊びに行くには「観る」力を鍛える必要があると思いました。
「見る」ではなく「観る」。前者は視覚だけなのに対し、後者は五感と知識を総動員する。とてつもなく難しそうですが、これを会得することが私の数年前からの目標です!
いつかいろんな世界を観れる日が来ればいいなと思います。
【追記】
今日は世界について自分なりの見解を書かせてもらいましたが、答えは定まっておりません。「じゃあ書くなよ!」とツッコまれるのは目に見えているのですが、植物の世界の一部に触れたとき、自分の心がとても喜びで満ち溢れた気がしました。よくわからない文章になってしまいとても心苦しいですが、このことを書きたいと思ったので書かせてもらいました。
今日よかったこと♪
・日記に書いてもいいものか悩んだが、書くことを決断した。後悔はするかもしれない。
・夜道にライトなしで自転車を走行する人が複数いた。危ない。許すまじ。
読んでくれた人へのメッセージ
今日も読んでくださりありがとうございました。
私の日記は言葉足らず・表現下手で読んでてわからないことも多いと思いますが、「シャアねぇなぁ」というスタンスでこれからも読んでくださると嬉しいです。
明日も皆さんにとって、喜びに満ちた1日になりますように✨
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