お風呂が住処の日記『さようなら2023年(一部デトックス)』

…とんでもない1年だった。

これ以上どうなったら状況が悪くなるんだと嘆き、来年こそは良くなってほしいと願った2022年。淡い期待は打ち砕かれ、次から次へとノンストップで悲劇が訪れた今年🎭

「人生が殺しに来てる。」
何度そう感じたことか。実際にそうだったのだと思う。和解不能レベルで自分を裏切り続けていた、もはや制御不能な恨み憎しみが全て自分自身に向けられていた。

いくら祈ろうが厄祓いしようが何も効かない。出来ることは全てやった。行動すればするほど可能性を潰され悲劇が増えていくだけだった。趣味も仕事も友人もまともな生活さえも失った。そして、そこから逃げても、追い討ちをかけるように最悪のタイミングで病気になったり、逃げた先で全く同じパターンで更に酷い目にあった。

ついに私は音を上げ、初めて親に甘えようとした。どんな形でもいい、愛に飢えていた。結果、こちらの要求を過大解釈しパニックに陥った両親から人格否定を浴びせられた。全くそんな素振りも見せず7年間ひたすらひとりでデトックスしてきた私。不信感と恐怖を打ち破って初めて親に頼ることができた私。その結果がこれ。もはや我慢の限界だった。

と、言うより珍しくその日は親の前で酔っていた。ブチギレた。思わず本音を見せてしまった。自分でも予想外だった。もう制御不能だった。いい親ぶった顔して母が引き留めに来たけどそもそもの元凶この人なんで。縁を切るならこれが最初で最後のチャンスだと思った。

その後、私の決意を揺るがすように新居の給湯器が壊れ、母から騒音が辛いなら息抜きに別荘に行ったら、鍵はパパから借りてあげるから、と甘い誘惑が来た。私はブレなかった。ちょっと考えるよと濁し、それでも擦り寄ってくるのでいずれ全ての連絡手段をブロックした。

お風呂がない期間を夫と2人で乗り切り、数十万の出費にも耐えた。そして、風呂場が使えない期間に風呂場が安地と気付いた。最初は惨めな気持ちでいっぱいだったが、不思議と実家と縁が切れて気持ちはスッキリしていた。この時期に複雑性PTSD(未診断)の療法を片っ端からやった。毎日毎日儀式のように死にものぐるいで、希死念慮に襲われる度に数時間で終わるからと言い聞かせ耐えた。まさに人生のどん底に居たと思う。

しばらくひとりで自分と向き合った後、人に話せるまでに回復したのか、カウンセリングやココトモで自分の本音を話し出した。恐怖はあったけれど、幸い優しい人ばかりで、初めて居場所を見つけた気がした。似た悩みを持つ人達を見て、ひとりじゃないんだと思えた。そして、私は私で居ていいんだ。尊重されていいんだ。自分と向き合いながらここに存在してていいんだ。人が居る中でも自分を優先して良いんだ。そこで自己受容が加速したように思う。

もちろん以前にも書いた、自分を責める声を殺せた事実も大きい。たくさんの小さな気付きとそれらをじっくり整理する時間と場所を確保できたのも。そして何より、何もできない私を支え続けてくれた夫も。

夫はどうも感情的なサポートが苦手で、私は結果的に内面については自力で何とかここまで来た感覚が強い。助けて欲しかったのが本音だけど、今思えば、それは信頼だったのだろう。決して私のパーソナルスペースを犯さず、私が自力で立ち上がって自分なりに前を向くのを待ってくれていたのだ。過干渉でも過保護でもなく、これが健全な人の距離の取り方なのだと理解するのに少し時間がかかった。

そして今ここ、お風呂場。
惨めでも自分の道を信じると決めた。
もう決して自分を裏切らない。

star今日よかったこと♪

失ったものがね、大きいんだけどね。
色んな病気もして、後遺症も残って、小さくなったけど腫瘍も出来ちゃって、挙げ句の果てに歯も欠けた。
心も体もボロボロだけどさ、今が一番だよ。

来年はいい年になる🎍🇯🇵

favorite読んでくれた人へのメッセージ

皆さま、2023年大変お疲れ様でした🙌
こんなおかしな私の日記を読んで頂き誠にありがとうございました🙇‍♀️
2024年、ぶっ放しましょう🎉✨✨✨

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