「大丈夫」と言い聞かせて

今日は元気だったのでコラムを1本投稿させてもらいます。

アダルトチルドレンと両親に関することを書いているので見れない方はここでストップをお願いします。

本当の「自分」に気付いたのは…

私が自分が壊れていると気付いたのは高校1年生の頃。

先日、コラムに書きましたが、心療内科に行き始めたのは耳の悪さから。紹介されたからしぶしぶ行きましたが、まさか当時こんなに酷い状況だったとは思いませんでした。

 

病院からは「あなた、もう少しで入院でしたよ」

 

きっと社会ではこれからの話からアダルトチルドレンと呼ぶんでしょう。

「過ぎたことだから忘れよう」ということにはできませんでした。

家族について

私は親戚の8割が秀才or天才の家庭に生まれました。

父、姉、叔父は薬剤師

母、叔母は看護師

従弟は地域のトップ校へ進学

他にもアメリカの大学院へ進学した英ペラジャーナリストとか。

みんな田舎生まれにしてかなり頭が良かったですし、見ての通り医療一家です。(貧しかったので頭があっても医学部に行けない人たちでした。)

そんなこんなで例外なく私も成績が悪ければ「勉強しろ」と追い詰められ、小学校の頃から「遊びに行きたい」と言っても「ダメ」と言われる生活で志あっても一瞬で折られる日々。実は私の中でこれが当たり前でつい最近成人するときまでずっと「大丈夫」と勝手に過信していました。

母はそうでもないですが、父がかなりの過保護で束縛があったのは少し関係しているかもしれませんね。

最近は夕方17:00~18:00にうつ状態になり始めて逃げると父が追いかけるもので、私が「一人にさせて」と間接的にいうと「元気だして」みたいに余計なことを言われるので要対策ですし、自分のなかでの解決策は見つかってません。

両親どうしの喧嘩は当たり前の世界

今はだいぶなくなりましたが、親同士の喧嘩は当たり前でした。だいぶ改善されたけどネグレクトも少しはあったかな。

最近はこどもの前で夫婦喧嘩をするのは「面前DV」と言うようになったみたいですね。

こんな経験をしてこの考えを持つのは少し変かもしれませんが、多少喧嘩をするのは良いと思うんです。でも四六時中、夜中でもずっと喧嘩して暴力していたのはいけなかった。しかもそれを目の前で。11歳離れた姉は完全に自分の世界に入ってたし、遊びにも行けてたから結局喧嘩を止めるのも私だったと思います。(一軒家なので多少大きな声をだしても警察は来ません。)

最終的に何を引き起こしたかというと微妙に聞こえる両親のやり取りが全て喧嘩しているように聞こえて、違うとわかっていても自分が原因だと責めるようになっていました。

更に、2人がお互いに私しかいないところで悪口を言いあうもんだから、もう逃げ場ゼロ。

そこでも自分を元気づけるために「大丈夫」。

11歳も離れてるんだから姉に頼るなんてできません。

自分の中での変化

心療内科に行き始めてやっと全てではないけど3割くらい家族に自分のことを打ち明けられるようになりました。本当は8割はいきたかったけどここにはあまり書けない事件が起こったので3割ですが、私にとっては結構上出来。

それくらいから家族の中での喧嘩もだいぶ収まりました。

私の中でも高校に入学したことをきっかけに学校の頼れる大人に助けを求めることができた。

 

でもそこでわかったのは、

歳が経つにつれて思うようになった「死にたい」という気持ちは異常だったこと。

私の「大丈夫」は大丈夫じゃなかったこと。

その言葉の内の「もうちょっと頑張ってみる」は自分の限界を無視していること。

そしてその「もうちょっと」が余計なのかもしれない。

 

こんな私に周りを頼っていいと教えてくれたのは高校3年間お互い支えあった保健室の先生と心療内科の担当の先生でした。

 

私の心療内科の先生には口癖があります。

「自分の心に手を当てて、『調子はどうですか?』と聞いてみて」

「頑張りすぎないように頑張れ」

ココトモYouTubeはじめました♪

このたび、ココトモの取り組みや想いを発信するYouTubeチャンネルをはじめました。ぜひ応援&チャンネル登録いただけると嬉しいです(*´`)

YouTubeはこちら

コメント一覧

まだコメントがありません。

コメントを投稿する

コメントを投稿するにはログインしてください。

keyboard_arrow_up