サティの日記『何を追い求めて生きていくのか』
visibility151 edit2024.03.16
何を指針として生きていけば良いのか彷徨っている人に送りたい。
また、世間一般における幸福といわれていることを追い求めている人にも送りたい。
しあわせいっぱいだ、という人にも送りたい。
あなたの人生がより豊かで色鮮やかな、そんな人生であるように。
モノクロのようなどこか味のある人生を送りたい人にとっては、これは大変に失礼した。
ダイナミックな人生を送りたい人もいれば、野に咲く花のような人生を送りたい人もいるだろう。
あなたはどんな人生を送りたいだろうか。
幸福について、河合隼雄の幸福論よりこんなお言葉がある。
《著作権のため略します、すみません》
わたしは面食らってしまった。
この文章を読んでなお、幸福を求めて生きていきたいと思っている自分、他人にも幸福でいてほしいと思っている自分に気づいてしまったからだ。
幸福なら生きていてたのしいだろうし、他人にも優しくなれる。
好意や愛の好循環が生まれてくれるのではないかと思う。
だからどうしても幸福を求めたくなってしまうのだ。
河合隼雄先生は同著書でこう続ける。
《著作権のため略します、すみません》
自分の人生を精一杯生きることが大切なのだと、幸福であることを追い求めるのが第一ではないのだと、そんなことを学んだ。
ここで大切になってくるのは、あなたにとっての幸福とは何か、精一杯生きるとはどういうことかということだと思う。
世間一般でいう幸福であることを追い求めて達成したとしても、本当に自分が望んでいたしあわせではない、という矛盾が生まれてくるように思う。
あなたは何をしているときにしあわせを感じるだろうか。
例えばわたしは、自己を表現することや人が嬉しそうにしているとき、自分のことを理解してもらえたとき、外界への興味が湧いたとき、平和を感じるときにしあわせを感じる。
自分やみなが健康であるときにも感じるものがある。
だからといって、健康でないことが不幸せなこととは思わないが。
不安や憂鬱な気分を感じない、軽やかな気分であるときにもしあわせをとても感じる。
何をしているときに精一杯生きているかと言えば、仕事をしているときや家事をしているとき、自己を表現しているときだと考える。
あなたがしあわせだと思うとき、精一杯生きていると思うときをぜひ知りたいものである。
これはもちろん人それぞれだと思う。
ただあまり無理をしすぎては自分を壊してしまうため、気をつけた方が良いだろう。
(破壊から生まれる気づきも大いにあると思うが)
思うのは、
本人がしあわせを感じていなかったとしても、精一杯生きた人生は結果として幸福な人生と言えるのではないかということである。
あなたが自分の人生を自分の生きたいように、生きていかれることを願っている。
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みなさんおはようございます。
最近夢見がひどいサティです。
昨日はゆっくり休もうと思ったら、3年くらい前に書いた文章をひっさしぶりに見つけました。
みなさんのお役に立つ文章ではないと思いつつ、いろんなことを考えていたのだなと懐かしくなりました。
おかげさまでしあわせな日々を送っていますが、自分が本当に望むことって何なのでしょうね。
自分の意思を大切にして、生きていきたいです。
今日よかったこと♪
•脳トレした
•片付けした
•お返事した
•がんばりました
読んでくれた人へのメッセージ
読んでくださった方、本当にありがとうございます╰(*´︶`*)╯恐縮です。
みなさんはどんなときにしあわせを感じますか?
あなたが本当に望んでいることは何ですか?
それでは、あなたが過ごしたい一日を過ごせますように🕊️
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