ちーの日記『アナログな時間』
visibility326 edit2024.03.24
昨日の朝、友からメールが来て、私はわがままを言いました。
『天気悪いし急だし、夜映画だけど、それまで会いたい』と。
友からの返事は『いいよ。2時に駅で待ってます』でした。
ノーメイクでボサボサの髪を帽子で隠して駅に行きました。どんな顔して会ったらいいんだとか思いながら。
何度も書くけど私には家族がいない。映画館のあるショッピングモールに行くのは常に徒歩ですが、彼女はシャトルバスに乗る気満々でした。彼女にはご両親も3人の弟さんもいらっしゃる。何の躊躇いもないのだ。私は、『家族連れ』に接するのが極度に辛い。家族でいた楽しかった頃を思い出すと卑屈になってしまう。悔しくなってしまう。
バスに乗ると目の前には赤ちゃんを抱いた若い夫婦。辛かった。どうせ、どうせその幸せもいつか壊れるんだよ。そんな事考えてた。
ショッピングモールに着いて、まずGUに向かった。ネットで調べておいたスカートと靴2足を買った。そしてこれもネットで知った『桔梗信玄餅コラボ』のチョコクロを食べにサンマルクへ。
前にも書いたが友はアナログ人間でスマホにも最低限のアプリしか入れておらず現金派。セルフレジでサクサク支払いを済ませ、アプリとレシートでお買物券をもらい、またキャッシュレス決済でお金を払う。そんな私を見て友は
「すごいねぇ。もうお金払ったの❓」
とか言う。
思えば先日財布を新調したが、財布を出した場面は友がマツキヨで化粧水を買った時鬼滅のシールを貰ってくれて(実弥さんだった!)、それをしまう時だけだ。
ここのところ、服を買うのはメルカリか楽天、店舗に出向いても予め決めておいた物しか買わない。飲み物はスーパーでペットボトルで買ったものをレンチン。
とにかく『無駄を省く』。タイパ、コスパ、スぺパ全て重視の時間を過ごしていた。
そうして手に入れたのはゆとりではなくて、ギチギチに縛られた生活だった。それでいいと思っていた。
昨日は、買う予定のない服を手に取ってみたり(買わなかったけど)、友の買い物に付き合ったり、存分に『無駄』をした。映画が始まるまで友が付き合ってくれたので、ダラダラとショッピングモール内を散策した。こんなこと、一人じゃ絶対しない。気付けば親子連れも若者の団体も気にならなくなっていた。
夕飯は久々にマックに行った。モバイルオーダーも友は知らなかったようで、「すごいね。もうお金は払ったの❓」なんて言っていた。そして、もう50にもなるのに「てりやき初めて食べた!食わず嫌いしてた!美味しいねぇ!」なんて言うのだ。
映画の開場前に友と別れた。軽くハイタッチして。久々に触れる、人肌だった。
心が軽くなった私は劇場の最前列中央で、一日を思い出しながら久々の鬼滅映画(4度目)を観た。ネットで知ったいろんな人の『見どころ』をすべて見れたと思う。『みつりちゃんの隊服』には思いがけないアニオリが追加されていて、声を出して笑ってしまった。
帰りは土曜の夜の街を家まで一人歩いた。若者の酔っ払いが騒いでいた。私にだってあんな時代はあった。時代は流れる。得るものもあれば失うものもあって、失うものの方が多いと思う。友は親御さんの株主優待券で家族でTDLに行くと言っていたが「親が高齢だから乗れないアトラクションがある」と言っていた。
今しかできないことを今やっておきたい。と思う。思ってしまう。だからこそタイパとかに囚われて心にゆとりがなくなる。
私にしかできないことがしたいと思う。そして自然に他人とマウントの取り合いをしてしまう。(文字数)
今日よかったこと♪
朝早く目が覚めて、でもベッドでぬくぬく過ごした。まだ未練があったけど、でもちゃんとベッドから出れた。偉い。今日は食料品の買い出しに行って、あとはゆったり過ごそうね。
明日また会社に行くの不安だけど、あそこが私の『居場所』。大丈夫だよ。
読んでくれた人へのメッセージ
お読みくださり有難うございます。自分らしく生きたいと思うと、無理をすることになってしまうことに気付きました。どうすればいいんだろう。どうすれば自分を守れるんだろう。永遠のテーマなのかな。まぁ、もうちょっと効率悪く生きていくのもいいのかなと思いました。昔の自分はもっと無駄してた。削ぎ落した分、やせ細った気がします。心が。
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