ちーの日記『読書の話。』
visibility97 edit2024.04.05
昨日の出勤前、『キメツ学園!』のコミックス最終巻を手に書店のレジに並び、『次にこんなワクワクした気持ちで本を手にレジに並ぶのはいつになるかな…』と寂しく思った。
今の私に『読書』なんて心と時間のゆとりはほぼない。紙の本を置くスペースもない。そして本は高い。情報はネットで最新が手に入る。昨日NHKつけっぱなしにしてたら、キャプテン翼の雑誌連載が終了したと繰り返し報じていたよ(そんなに重要なニュースなのかNHKよ)。これからはWebでの連載❓になるとか。
アナログ派の友の趣味は読書(紙)。一緒に書店に立ち寄ると、息をするように平積みにされた本を指さし、「これ読んだ。これも読んだ。これ面白かった」と子供のように報告してくる。
「これ買おうかどうか迷ってる」と言った本を、「ごめんやっぱ買う」と書店に引き返し、「良かったまだあった」と分厚い2000円位するハードカバーの本を「文庫本になるまで待てなくて」と買って、翌朝「昨日買った本面白かったよ」と報告のメールを送ってくる。古本で買えばいいのに…ゆっくり読めばいいのに…と私は彼女との感覚のズレを感じる。まぁ彼女の家は大きそうだから(お母様の趣味が菊の栽培)スぺパとか考える必要はないんだろうけど本棚どうなってるのか気になる。
私にも本を浴びるように読んでいた時期があった。うつ病と診断されたばかりの頃、父に「運動すりゃ治る!」(わぁ昭和初期感覚)とスポーツクラブに通わされて、『ただ歩いてるだけなんて時間が勿体ない』(出たタイパ)と、有酸素運動をしながら本を読んでいた。駅前のブックオフ(つぶれた)で100円の文庫本を片っ端から買って、汗びっしょりになりながら読んでいた。常連のお爺ちゃんに「よっ、二宮金次郎」とからかわれた。
読んでたのは芸能人のエッセイとかノンフィクションが多かった。創作よりも、誰かの感情を直に感じたかったんだと思う。そしてまだ若かった私は『この人が私ぐらいの頃にはこんな事をしていた』と自分と比べていたりした。…去年寺山修司の歳を追い越した事に気付いた時は結構なショックを受けたよ。
そう、私の好きになる作家は前にも書いたと思うが短命だ。自殺するか無茶するか。大好きだったルポライターはうつ病の薬を焼酎で飲んで肝臓やられて亡くなった。そりゃそうだろ。今書架に並んでる作者で長生きされてるのは美輪明宏様と夏木マリ様くらいしか浮かばない。Ubereatsでいいんじゃない❓くらいの気持ちじゃないと長生きしないのか。
古くは中原中也、太宰治、三島由紀夫、平成年間だと飯島愛ちゃん大好きだったよ。
刹那の輝きに心惹かれるのかなぁ…。
令和になってから、文字だけの本ってそういや買ってないや。鬼滅のスピンオフ小説くらいだ。イラストの描き方系の本は数冊買ったが、ほぼ買った時だけ読んでほったらかしで積んである。邪魔とすら思う。知りたいことはほぼネット上で手に入る時代。友にYoutubeのメイク動画を見せたら「動くからわかりやすい!」と感嘆していた。
雑誌はみんな豪華な付録をつけていて、その分値段がかなりお高くなっている。何度も言うが、バッグとかポーチとかそんなにいらない。本じゃないがオザケン様とスチャダラのブギー・バック30周年ライブも『Tシャツ(サイズ2XL)付き』とあって『それ着ないから行かない』と思った私だ。
でも、いつかまたワクワクしながら本を手に、レジに並ぶ日が来たらいいなぁ。通販で届くのを待てずに、発売日の出勤前に書店に並ぶ日が来たら。それはどんな作品なのかなぁ。
今日よかったこと♪
存在すら忘れていたストッキングを破らずに履けた(ドンキで安売りされてた脆いやつ、という記憶だけはあった)。そしてペットボトルを捨てに行った。上着、何着ようか迷った末にそれなりの最適解を見つけた。しわくちゃのカーディガンだけど。薄着の季節、ポケットの有無は重要です。シャツにVネックニットにチェックスカートをドルマンスリーブのカーデでカジュアルダウン。良し。
読んでくれた人へのメッセージ
お読みくださり有難うございます。書き切れなかったけど近代史も大好きです。鬼滅好きにつながってるなぁ。知的好奇心、大事にしていきたいです。人間いつまでも成長期だから。悩むし。読書感想文は紹介文だけ読んで中パラっと見てセリフ拾って『こんなセリフがあるけれど私はこう思った』で済ませたいい加減な奴です(そのくせ一時期読書メーカーの投稿にハマっていた)。好きなとき、好きな本読みましょ。心が欲しがってれば。
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