ちーの日記『『不良』はどこに行ったの。』
visibility63 edit2024.04.10
私の世代はヤンキーとギャルの転換期でした。高校に入った時、私たちのスカート丈は膝上。3年生のスカートは私たちの3倍くらいありそうなマキシ丈(中にはプリーツをアイロンで伸ばしてフレアスカートにしてる先輩もいた…)。本当に端境期。一応校則では膝丈だったんだけどね。
ヤンキーもギャルもいなくなった(地方ではまだいるらしいが)今、『不良』を外見で判断することは難しい。茶髪もミニスカもファッションだし、ロングスカートなんてむしろ保守的。
『ちっちゃな頃から悪ガキで15で不良と呼ばれたよ ナイフみたいに尖っては触る者皆傷つけた(ギザギザハートの子守歌/チェッカーズ)』
『大人に背を向けて死に物狂いで生きる(不良/男闘呼組)』
彼らは他者を攻撃するから、怖れられた。問題視された。
最近では『キレる子』すら話題にならなくなった。
今、『いい子』の枠からはみ出て問題視される、少年少女はどこにいるのかったら、私の触れてきた情報では『トー横キッズ』くらいか。家出をして歌舞伎町に集まりリスカしたりストゼロで市販薬をODする子たち。その攻撃性は明らかに自分に向いている。大人のせいではなく自分を責めている。痛々しい。
生きる事に迷った時、失望した時、人の心に攻撃性が生まれると思う。その攻撃性を今は自分に向けている人が多いと思う(昨日駅のホームで知らないおっさんに「ぅらぁ!」と威嚇されたが)。内に向けたエネルギーが爆発したら、それは『自爆』を引き起こすのではないだろうか。
子どもは、抱えきれない思いを大人のせいにしていいと思う。それが自然な事なんだよ。この世界にあなたを生み出したのは大人なんだから。生きづらい世の中を作ったのは大人なんだから。
強く生きろとは思わないし私だって強く生きれない。陰キャが陽キャになる必要もない。どっちにも優劣なんてない。
私も弱い。弱いから虚勢を張る事もある。私は他者を愛し赦すことができないから孤独を選んだ。それだって生き方だ。寂しいけど、誰かを傷つけるよりいいと思うようにしてる。
『多様性の時代』という言葉は有難いような有難くないような。多様性多様性というせいで、選択肢が多すぎて迷ってる人が多くないか❓ 自分と異質な人たちを受け入れられず苦しんでる人がいるのではないか❓
昔なんか聞いた、『増えすぎると集団自殺するネズミ』と同じ道を人間が辿ってるような気がする。
「むしゃくしゃしてやった」犯罪は赦されることではないけれど、「むしゃくしゃ」を内に向けるのはやはり危険だよ。
私は最近とてもむしゃくしゃしている。『クッソ💢』と何度心で呟いたか。あー、金髪にしようかな。革ジャン着ようかな。本気でブリーチ剤について調べようとしてる。笑いたくば笑え。春だから明るい髪色にしたいんだよ。ええぃクソったれな世の中めぇ(パンク精神)。
『見えない自由が欲しくて見えない銃を撃ちまくる 本当の声を聞かせておくれよ(TRAIN TRAIN/ザ・ブルーハーツ)』
今日よかったこと♪
毎日の脱力感というか疲労感はなんだろうね。でも今朝ちゃんと起きた。それだけで偉い。昨日、企画もののイラストを仕上げて提出した。お疲れ様。プレッシャー半端なかったね。あとは野となれ山となれ。今日はブラっとスーパー行ってバナナを買おう。10円でも安いといいね(昨日買い忘れたのはドンマイだ)。
読んでくれた人へのメッセージ
お読みくださり有難うございます。誰かに傷つけられた時、責めるのは自分じゃなくて相手ですよ。あなたが悪いんじゃない。攻撃してきた相手が悪いんです。戦ってください。反抗するのもコミュニケーションです。受け入れられずキレてしまうことはコミュ障なんかじゃない。我慢しないでください。心だけが不良な人、潜在的な不良、きっと多くいるはず。それはとても不自然で不健康だとBBAは思います。若い人たち。
※ログインするとこの日記をフォローして応援できます