ちーの日記『友と話した『アフターコロナ』』
visibility105 edit2024.04.15
昨日、友が来てくれました。前から友に見せようと思ってた写真集や古い雑誌を用意して待ってた。Youtubeでくだらない動画を観たりして笑ったし、深い話もしたりした。涙は出なかったです。
友は私の金髪を「似合うよ」と言ってくれたが、私にしちゃ不本意な色なので「誰も止めてくれなかった」と恨み節を言ってしまった。こんな色が似合うだなんて。クソ、クソ。
彼女はいつも私の事を肯定してくれる。まぁ、人を否定する方が難しいからな(私は平気で言うけど)。彼女自身、それがコンプレックスみたいで、「付き合いたくない子にまで味方だと思われて懐かれる」と言っていた。わかる。クラスに一人ポツンといる陰キャ女子にちょっといい顔したらベッタリ懐かれたときの鬱陶しさ。やめてくれってもんだ。
そんな彼女と話してて、ふと口を突いて出た事。
「コロナ禍って何だったんだろうねぇ」
うちの会社、コロナで業績悪化して半分が依願退社。私にお節介焼いていたおばさんも、お洒落なおじさんも辞めてしまった。あの人たちは私に必要な人たちだったのに。
コロナ禍が去ってポツンと『あれは何だったの❓』と立ち尽くす私たちは、親や親戚に聞いた、TVで見た、第二次大戦後の焼け跡に呆然と立ち尽くす人たちと同じではないだろうか。
無力感。時代に流され翻弄された。失ったものも多い。そして未来が見えない。『アフターコロナ』とかなんとか言って経済活動の復興を担わされる重責。
「恥ずかしながら帰ってまいりました」と、終戦を知らずジャングルで何十年も潜伏してた人が言った言葉。
「恥ずかしながら、コロナに罹る事もなく(友は罹った)生き長らえております」
そんな気分だ。あの時死んでたら、教科書の1ページだったのになぁ。会社命令で親会社の本社までワクチン打ちに行ったのとか、本当に何だったんだ。母と引き離されて死に目に遭えなかったのもコロナのせいだし。
友は「若い子たち可哀想だったよね」と言いました。青春をマスク姿で過ごした子たちと、青春を国民服、もんぺ姿で過ごした子たち。
マスクを外し(友は高齢のご両親が健在なのでマスク着用)、無理矢理何もなかったかのように『いつもの生活』に戻された私たち。でも失ったものは大きい。心、ごっそり削られた。ヒリヒリだ。爪痕は残ってないように見えて心にくっきり刻まれている。痛い。苦しい。
コロナ禍で人との距離は広がった。近くにいるようで、見えないアクリル板に隔てられてるような気持ち。買い物はほぼネットで済ますようになったし。うん。便利にはなったよ。今も在宅勤務の人も多い。でも、でもさぁ。やっぱり寂しいのだ。喪失感半端ないのだ。
コロナ禍、三密、ソーシャルディスタンス。とりあえず今の孤独感をそれらのせいにしよう。80年前の焼け跡の日本人のように。
あぁ、高度成長期は来そうもないな。原状復帰が目標だもの。
今日よかったこと♪
この頭でどんな顔して会社へ行ったらいいのやら、とスンスンしながらも起き上がって着替えて、メイクした。体重測ったら減っていた。このまま減るといいね。間食してないから。今までが食べ過ぎだったんだよ。このまま行こう。あぁ、会社行くのしんどいね。でも給料日だ。笑われても叱られても無視されてもいい。行こう。
読んでくれた人へのメッセージ
お読みくださり有難うございます。あなたにとってコロナ禍とは何でしたか❓ 毎日患者数が報告されるテレビニュース、覚えてますか❓ つい1年前入院する前に自腹2万円払ってPCR検査を受けさせられました。つい1年前です。なのになんだか忘れ去られたみたい。忘れ去りたいのかな。そうなのかな。そんな風に思います。なんだか置いてかれた気分。私だけですか❓
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