死にたいほどの暗闇の中での光を見つけ方

「死にたいほど苦しい」ときって、心の中が真っ暗で、どこを見ても出口がないように感じるものです。

そんな状態で「前を向こう」「希望を持とう」と言われても、余計につらくなるだけですよね。

心に光が差す瞬間は、「考え方を変える」ことで無理に明るくなるのではなく、まずは「自分の苦しみをそのまま認める」ことから始まると感じます。

「もう限界」と感じている自分は壊れているのではなく、ちゃんと生きようとしている証拠。

死にたい、と思っていても、あなたの心は痛みを感じ取れるほどまっすぐです。

どれだけ心が病んでいる、と感じても、それは心が優しく、素直であることの証。

心を捨てて悪に走らず、自分の中に苦しみを留め続けるあなたは尊いのです。

苦しいのは、生きたい気持ちと、傷ついた気持ちがぶつかっているから。

「死にたい」と思うこと自体が、”生きることに真剣”だからこそ出てくるサインです。

まず、そんな”純粋な心”を持つあなたに、ちょっぴりでもいいから自信を持ってほしい。

光は”希望”ではなく、”理解されること”から差し込むこともある。

誰かに理解される瞬間、「そんなに苦しかったんだね」「それはつらかったね」と言われるだけで、ほんの少し世界が変わることがあります。

光は、自分の中に無理やり灯すものではなく、誰かの言葉や存在から分けてもらうこともできるんです。

苦しさの中で分けて貰った光は、少しずつでも大切に大きくして、あなたが大丈夫になったときに、他の苦しむ誰かに分けてあげてください。

それが出来るあなたは、優しさの火を紡ぐことが出来る聖火ランナーなのです。

「明日を生きる理由」がなくても、「今日を終える理由」があればいい。

大きな夢や目的がなくても大丈夫。

まわりがどれだけ楽しそうで、夢を語っていても、”生きる”という視点では、優劣はありませんから。

今日という日が辛かったなら、「今日は泣いて終わってもいい」「好きな音楽だけ聴こう」「夜だけは静かに生き延びよう」。

それで十分です。

光は、”少しだけ生き延びた先”で見えてくることがあります。

それまで耐えるのではなく、すでに耐えてきたあなたを、こっそり褒めてあげてください。

自分を責めない。生きづらさはあなたのせいじゃない。

社会や学校、家族のあり方が、あなたを追い詰めてきた面もきっとある。

それは「あなたが弱いから」ではなく、「あなたの優しさや繊細さが、荒い世界に合わなかった」だけ。

弱肉強食の世界に嫌悪するあなたは、利を貪るだけの多くの強者より、ずっと強き人です。

本当の心の在り方“が自然と分かっている、実はすごい人。

人を苦しめるくらいなら、自分が苦しんだ方がいい。

たとえ意図せずとも、それを選択したあなたは、それだけで本当にすごい。

だから、あなたの心を、好きになってあげてくださいね。

あなたは、ひとりではないのだから。

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