銀ノ月の日記『鏡花水月#081〈漢字de哲学 2/3〉』

皆さん、こんばんは。銀ノ月です🌙
今週も本当にお疲れさまでした…!(最近暑い日が続いていますので、🍹か🍺を差し入れさせて頂きますね😌)

本題に入らせていただく前に…素敵なコメントをくださる方々、毎度毎度お返事が遅くなってしまい、本当に申し訳ございませんでしたm(__)m
無理をしないことを心掛けている為これからも遅くなってしまうことが多々あるかと思われますが、頂いたコメントは全てありがたく拝見させて頂いております。
必ずお返事は致しますので、どうか温かい目で気長にお待ち頂けると幸いです🍀

それでは本題です。
今日も今日とて、とある2つの漢字から考えたことを綴らせて頂こうと思います。

【今回のテーマ】「努」と「怒」

2つに共通するのは「奴」という部分で、どうやらこれは「奴隷」を意味するのだとか。
そして2つを違いたらしめているのは「力」と「心」ですね。

……やはり自力ではこのぐらいしか思い浮かばなかったので調べてみましたが、面白いお話に出逢えました。
例の如く、規約違反にならないようにザックリと紹介させて頂くと…

「奴」、つまり奴隷や罪人といった人達が「力」を入れて一生懸命世間からの風当たりに耐え忍びながら頑張る(つまり「努」力する)、そして「心」が限界になった時に湧き上がる感情が「怒」り、とのことでした。(これを知った時は「ほぇ~」となりましたね…)

「怒」について。
どうでもいいことですが、私は怒ることが出来ない人間です。(「怒らない」のではありません。「怒れない」のです)
私の友人曰く「怒らないに越したことなくない?」とのことですが、それはごもっともです。
ですが「怒らない」は怒ることが出来る上でそれを選択しない行動であり、「怒れない」は怒ることが出来ないので、困ったものです。

原因は何となく分かっています。
私の中の「怒鳴られることに対する恐怖・嫌悪感」と「人の嫌がることをしてはいけないという教え」が複雑に絡み合ってしまい、しかもそれを放置していたためにいつの間にか「怒れない」人間になっていました。

誤解のないようにお伝えすると、誰かに怒りをぶつけたいわけではありませんし、怒鳴るなんてもってのほかです。
あと、すぐに怒れるようになりたいとも特に思っていません。
ただ、生きていく上でいつの日か「怒る」ことも必要になると漠然と感じています。
それはリアルでも、ココトモでも、これからの出逢いにおいても言えることです。
何でもかんでも「全肯定」するのは、時に「怒鳴る」よりも残酷なことかもしれませんね…。

ここまで綴って「怒る」と「叱る」の違いを何処かで教わったことを思い出しました。
まるで見せしめかのようにクラスメイトをみんなの前で怒鳴り散らした(しかも理由が理不尽)先生の顔は悪い意味で今でも覚えていますが、叱ることで大切なことを教えてくださった先生の顔はいい意味で忘れることはないでしょう😌

star今日できたこと♪

・今日もココトモで日記を投稿できた
・掲示板にて活動できた
・久々にプレイする「ど〇ぶつの森」は楽しい

favorite読んでくれた人へのメッセージ

今日も読んでくださり、本当にありがとうございます🙇
今日も一段と暑いですね💦皆さんも、熱中症にだけはご注意くださいませ😌
それでは、皆さんにとって良き週末になりますように🍀

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