うみの日記『18日目:うすーいうすーい希死念慮』

今日は、お昼から就労移行支援がありました。
しばらく、シャワーを浴びてなかったので、なんとか踏ん張って、午前中の通所ぎりぎりにシャワーを浴び、なんとか通所することができました。
何もしたくないなっていう気持ちも強かったですが、踏ん張りました。

通所時、訓練日報に『昨夜、ぼんやりと希死念慮とODをしたい気持ちがあって、今もそんな気持ちがあります』と書いて、見てもらったところ、面談になりました。
訓練中もかなりだるさがあったので、面談ができて良かったなと思います。

今日は動画で『死にたいと思っている人へ』みたいな動画を見ていて、少し安らぐというか、安心する気持ちで見ていました。
はたして本当に、希死念慮があるんだろうか?と疑問に思いながらも、そういった動画に共感し、癒されている感覚があるということは、うすーくうすーく自分で隠してしまっている希死念慮があるんだと感じました。

僕は一度、自殺未遂をして緊急入院になったことがあります。
その時は、かなり本当に死にたい気持ちが強く、どうしてもその頃の自分と比べてしまいます。
あのころに比べたら、そんなに死にたくないかもしれないとか、そんなにしんどくないのでは?と自分の辛い気持ちに鈍感になってしまっている感じがします。
また、それとは逆に過敏すぎるところもあって、社会に出ていく事に対して、大きな恐怖心を抱いてしまっていて、なかなか、前に踏み出せない自分がいます。

辛いです。
子どもの頃に認知が歪んでしまったことで、こんなにも苦労するのがとても辛く思います。

自分は一般的なコミュニケーション能力を身につけられていない、他人を不快にする、といった自己評価があり、強い劣等感を感じます。
また、社会に出ても、コミュニケーション能力の無さから、迷惑をかけてしまうと思うし、迷惑に思った人から攻撃されるかもしれないという気持ちで、とても怖いです。
周囲の人は、きっと、そんなことないよって言ってくれるのだろうけれど、僕にはどうしてもそう思えてしまうのです。
実家にいた学生の頃、両親と上手くコミュニケーションが取れなかった人間が、社会でうまくいくはずがないと決めつけてしまっています。
この認知が正確ではないことは頭ではなんとなく理解しているつもりなのですが、気持ちがついていかない感覚があります。

どん底というわけではありませんが、しんどいです。
何かに依存したり、辛さを忘れられる何かにすがりたい気持ちです。
仕事もしていないのに、こんなに精神的にやられてしまっていることを思うと、自立して生きていく自信が無いです。

僕は社会不適合者(過剰に周囲に合わせ過ぎて体調を崩す人間)だと思います。
外に出れば、迷惑になってしまうので、ずっと引きこもっていた方が安全だと思います。

何で、こんなふうになってしまったんだろう。
どうしたらよかったんだろう。
なんで、いつも逃げてしまうんだろう。

star今日よかったこと♪

・日記が書けた
・食事を食べた
・彼女に会えた
・就労移行支援に行けた
・シャワーを浴びれた

favorite読んでくれた人へのメッセージ

鬱々とした長文を読んで頂き、本当にありがとうございます。
読んでくれたあなたに、幸せが降り注ぎますように。

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