Kikiの日記『子どもの頃に知りたかったこと』

授業参観に行ってきた👩‍🏫

なんだか、ついこの間も行った気がする。

日本語補習校なので、お馴染みの形式。

アメリカでは教室で先生に会えるイベントはあるけれど、実際の授業を見る機会はまだない。

子どもが2人いて、毎年のように授業を見学していると、気づくこともある。

教え方もクラスの雰囲気も、先生や周りの子どもたちによって、全然違うんだなぁと。

あたりまえかもしれないけれど。

私は小学生の頃、2・3・4年生と同じ女性の先生に教わっていた。

明らかに教師としての熱意に欠けていて、子どもながらに理不尽だなぁと思うことも多かった。

そんな態度がきっと丸出しだったから、先生も私のことは好きじゃなかったと思う。

今思えば、やたら不機嫌だったのは更年期のせいだったのかもしれない。

相性の悪い先生の下で過ごした3年間。

味気なかった。

5・6年の担任は自称熱血で、異常に体育が好きだった。

休み時間も班対抗でバスケやサッカーを問答無用でやらされた。

教室の隅で学級文庫を読んでいたい私には地獄だった。

マットや跳び箱の授業では、ビデオカメラで動きを撮影されてすごく嫌だった。
(今だったら、すごく問題になりそう。)

うちのクラスだけ、なぜか長縄のダブルダッチが必修だった。

八の字さえ苦手なのに、どうして二本の縄を潜り抜けないといけないのか…疑問しかなかった。

私の得意だった書写や読書感想文はまるで評価されず、運動神経の良い子たちだけが優遇される学級だった。

運動嫌いが加速した。

小学校の6年間のうち、5年間はそんな感じ。

おまけに、公立なのに小中一貫校のような環境だった。

私立の中学に進学したのは確か2人。

時折入ってくる転入生の他には、9年間変わり映えしない同級生たち。

私は小学3〜4年生くらいで飽き飽きしていた😞

いつまでこれが続くんだろう…と。

あの頃は、小さな教室と家庭が世界の全てのようなものだった。

それが「普通」で「絶対」で、他の価値観など知る術もなかった。

はみ出たら叱られて、従わせられて。

本当に窮屈だったなぁと思う。

高校に進学した時、あまりにも自分が世間知らずなことを知った。

井の中の蛙、どころか、金魚鉢の金魚みたいに思えた。

なんなら、お祭りのあのビニールの袋の中から、歪んだ景色を長らく観ていたような。

大学では、全国から集まってきた学生や、留学経験のある人や帰国生も多く、さらに様々な背景を持つ人たちに出会って圧倒された。

ますます自分がちっぽけに感じられた。

進学や就職で大きく環境が変わる度に、金魚鉢→水槽→プール→海…🌊

そんな風に、少しずつ世界が広がっていくような気がした。

でも、広がったと思っていても、まだまだごく一部なんだろうなぁ。

小2の国語の授業と、小6の算数の授業を一緒に受けながら、そんなことを思った。

きっちりした先生、うっかりした先生、威厳のある先生、優し過ぎていじられ気味の先生、ユーモアたっぷりの先生、淡々とした先生。

悪い先生なんかいなくて、ただ合う合わないの問題なのだろう。

指導要綱は同じでも、先生の数だけクラスの雰囲気がある。

今の場所がしっくりこなかったとしても、自分はだめだとか、この先の人生もずっとこうなのかとか、思わないでほしいなぁ。

星の数ほどある居場所のひとつ。

永遠には続かない。

別にどうってことない。

そんなことを、子どものうちに知りたかったと思う。

( 心のBGM:『ビューティフル』/ SOPHIA )

star今日よかったこと♪

・11月に入った!ウィキッド公開まであと3週間!❇️

・息子のクラスメイトの詠んだ秋の一句が面白かった😂

・頂き物の和菓子が美味し過ぎた🌰🍠

favorite読んでくれた人へのメッセージ

読んでくれてありがとうございます🪻

子どもの頃の自分に教えてあげたいことはなんですか?💭

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