フリューゲルの日記『友達とは「鏡」』
visibility50 edit2026.05.11
ココトモ創設者であるゾノさんの日記が公開され、「友達として相談にのる」という理念の解説が行われた
「ココトモにおける友達」とは、「一人ぼっちで悩みを抱え続けてきた人が求める友達」であり、「相談者が安心して委ねられる存在」とのことだ
これを読んだとき「それは友達というより『お母さん』では?」と感じた
私の考える「母性」とは「上の存在」であり、聖母マリアとか阿弥陀如来に近い
母は自分のことを全てお見通しでそれを共感、理解してくれる存在であると考える
言わば「自分に都合のいい存在」である
逆に「父性」とは規範、道徳を教え、自立を促す上の存在で「自分に都合の悪い存在」である
(他にも「親性」と言うのもあるが、今回は言及しない)
「最初の受け答えとして」母性的に対応するのはわかるのだが、ずっと母性を要求されると「友達として相談」の趣旨か逸脱してくる
友達はお母さんではないからだ
私はお母さんにはなれないし、お母さんのように優しくない
私は友達とは「鏡に映る自分」だと考える
自分の顔を自力で見ることができないように、自分の意識、価値観、態度、問題を他人を通して初めて知ることができる
自分のことを最も理解していないのは「自分自身」なのだ
友達は自分の姿を客観的に写し出す鏡だとするならば、自分の美しさも醜さも忌憚なく見せてくるのだ
「世界で一番美しいのは誰?」と問うた時「それはお后様です」と応える鏡は友達ではないのだ
私が鏡だったら、
「確かに一番は白雪姫らしいけど、それがなんぼのもんなんですかねぇ?」
「美しいものは世の中いっぱいあるけど、それらにも価値はないってことですかねぇ?」
と応える
もし鏡に映る自分なんか見たくないというのであれば、友達に相談するのはやめたほうがいい
鏡は本来「敵ではないが味方でもない」からだ
もしそれが障害によるものなら医師に、憂さ晴らしならば神様か白紙に、他人を信じられないなら推しなどの理想の人に悩みを委ねるほうが安全である
ココトモが悩み相談の全てでは決してないし、自分に合った相手は選ぶべきだ
ただどんな選択をしても、このことだけは覚えておいてほしい
悩みの先に待っている最後の相手は必ず「自分自身」なんだ
読んでくれた人へのメッセージ
イラストをもっとさぼりたい
際限がないからだ
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