フリューゲルの日記『笑顔の本質』

昨日日記が複数下書き保存されて、しかも削除できなくて困っている

それはさておき、笑いの本質は「攻撃」だ
これを聞いて「こいつまたおかしなこと言いだしたぞ」と感じたことと思う
そのときあなたは心の中で私を「笑ってはいないだろうか?」

笑いには3種類あり「快の笑い」「社交的笑い」「緊張緩和の笑い」である

「快の笑い」とは欲求が満たされた満足感、他者に対する優越感、または「目の前で予期せぬ出来事が起きた時」の笑いである
漫才、コントを見て笑うのはこれにあたる

「社交的笑い」とは自分が相手より立場が劣っている時に、「敵意を隠してごまかす」ための笑いである
愛想笑いはこの社交的笑いにあたる

「緊張緩和の笑い」はストレスや緊張から解放され安全を感じた時に出る笑いである

この3つの笑いはすべて「攻撃した、された」が関係している
言ってしまえば笑いとは「いじめ」「いじり」なのだ
ではなぜ「いじめになる笑い」と「ならない笑い」が存在するのか
それは「相手と仲が良いかどうか」で分かれているのだ
友達同士ならいじりの敷居が下がるため多少相手を笑いものにしても許されるが、赤の他人に対して同じことのはずなのに途端に暴言となるのだ

いじめの加害者が「いじめたつもりはなかった」というのは、苦しい言い逃れだけでなく被害者のことを「本当に友達だと勘違い」していた可能性があるのだ
つまり他者との距離感がつかめずずけずけと仲良しを押し付けてくる、対人関係が致命的に下手な人なのだ
一応言っておくと、だからと言って加害者に非はないとは一言も言っていないし、肩を持つ気は一切ない

私は以前「ポジティブに生きよう」「楽しくなくても笑おう」と言われたことがいっぱいある
それを聞くたびに私は「×すぞ」と思っていた
あまりにも我慢ならなかった時は「楽しくもないのに笑えるかよ」と言ったこともある

これをいう人たちは「笑顔は攻撃」という発想自体なく「笑いを神聖視」していたのである
またその人たちは私のことを「友達だと勘違い」していたのだ
私の言葉、考えを微塵も理解できなかったくせに

当時の私ができたことは、「満面の笑みで最大限の敵意をぶつける」ことだったのかもしれない

今回の日記を見た人は、明日から他人に対してどう接するのだろうか?
もし思い悩んでいたのなら、私はその姿を想像して「ほくそ笑んでいる」ことだろう

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