
私は、「人生とはコンテンツである」と思う
visibility39 edit2025.07.23
この哲学について人と話してみたいので投稿します。
私は「人生とはコンテンツである」と考えています。
詳しく説明すると、人生とは
この世=テーマパークにおいて、
コンテンツ=アトラクションを、
寿命=フリーパスの有効期限のあいだ、どれだけ楽しむことが出来るか?というものだと考えています。
ここで言う、「楽しむ」とは、所謂「喜怒哀楽」の楽ではありません。
これをなんて言うかは分かりません。ですが、単純な楽しいという感情のことだけではなく、怒ることも哀しむことも、「楽しむ」には含まれています。
逆に、何が「楽しむ」に含まれないか?
私はそれを、「飽きる」と呼んでいます。
例えば、職場や学校で、自分以外の人でいざこざが何回も起こったとします。するとだんだん面倒くさくなってきて、最終的に、「もうめんどくさいし関わらんでおこう」って思うようになると思います。これは「飽き」です。
だけど最初の数回、心を痛めたり、どうにか解決しようとしたり、気になって話を聞いたりすることもあると思います。これは、全て「楽しんで」います。
あなたは何百台も毎日見かけているであろう自動車に、何の気持ちも起こっていない。これは「飽きて」いる。
だけど初めてみる車や、様子のおかしい車などは気になるでしょう。つまり、「楽しんで」いる。
悲しいこと、嫌なこと、ムカつくこと、嬉しいこと、気になること、面白いこと。これら全てのコンテンツを私たちは「楽しんで」います。これがある限り、肉体の許す限り、私たちは生きていける。
だけど全てに「飽きた」時、私たちは例え肉体がどうであっても死んでしまうでしょう。
つまり、「人生とはコンテンツである」ということです。
あなたはどう思いますか?共感しますか?違うと思いますか?是非話を聞かせてください。