まるこの日記『幸せは誰かの不幸の上に成り立つ』

「幸せは誰かの不幸の上に成り立つ」

この思考を持ったのは小学生のころ。
再婚したいと言う母に、私は嫌だと言った。
両親が離婚したばかりだったし、母を奪われるような気がして嫌だった。
そんな私に「お母さんは幸せになっちゃいけないの?」と母は言った。
その時、私の望む幸せは母にとって不幸で、母の望む幸せは私にとって不幸なのだと思った。

その後母は帰って来なくなり、子供が出来てなし崩しに再婚したと祖母から聞いた。
祖母に「本当にごめんね。許してあげてね。」と言われた。
当時私はひとつ上の兄と2人で暮らしていた。
週に何度か祖母か母が、様子見がてらお金を持ってくるような日々だった。
この日々は、母の幸せの代償だと思った。

だから、私は「幸せは誰かの不幸の上に成り立つ」という思考を持っているけど、「自分が幸せになることで誰かを不幸にしてしまう」と心配しなかった。
「自分が幸せ」である時、「不幸な誰か」を気にしないものだと思っていたから。
母が私を見なかったのと同じ。
奪われる側になったら負け。

今なら、幸せってそんなに単純じゃないって分かる。
誰かから幸せを奪ったとしても、自分が幸せなれるとは限らない。
私と兄を置いて行った母が幸せだったのかは分からない。

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