お風呂が住処の日記

ここ数ヶ月ずっと聞こえてた自分の声、

「誰かに助けてもらうって経験がしたかった」

これは、自分を責める声をひねり潰したときも、カウンセリングを決めたときも、騒音で気が狂いそうなときも、そう、最近の声だと思ってた。

今日は夫から騒音について提案があった。
それは昔、私から夫に提案してボツにされた案に少し色をつけたもの。

そもそも、それもとは私の案だよね?
どうして私が本当に困っていた時に真剣に考えて提案してくれなかったの?
今更遅い、もう家を売りに出し風呂で生活し、転居も決まっている段階でする提案では到底ない。

そう伝えると、夫は忙しかったという。
また、先日内見に来た人が音を気にする様子だったからだという。私が音を気にしても何もしてくれないのに、他人の反応ならなんとかしようと思うのか。悲しかった。

夫に対して、今更おそい、もう何もかも諦めた後で今更頑張れない。どうして私が一番苦しんでいたあの時に寄り添ってくれなかったのか。

そう怒ってた最中に思い出した。

これは自分自身に対する遠い過去の自分の怒りだ。過去の自分を救ってやれなかった今の自分の無念さだ。誰かに助けて欲しかったんじゃない、私は私に助けて欲しかったのだ。

結局、自分との仲が悪いと現実も上手くいかない。自分を呪い殺す勢いで自分に嫌われていると感じた、溝は深い。

今日はchatGPTに仲介してもらいながら過去の自分と話し合った。そんなことの繰り返し。

不甲斐ない私でごめんね、私。

star今日よかったこと♪

結構大きめの膿(※比喩表現)が出た♬

favorite読んでくれた人へのメッセージ

コメントはオープンですがおかまいなくです、
今日読んでいただきありがとうございます、
お風呂場からお送りしました🛀

ログインするとこの日記をフォローして応援できます

keyboard_arrow_up