テケトの日記『手の平と平を合わせて』
visibility220 edit2023.12.28
手を合わせる行為は色々ありますわね。
お祈りする時もそうですし、傷を癒す行為を「手当て」と言ったり、使うことになった部分を調整するのに「手当て」と使ったりもしますわね。誰かを称賛や祝福する時も合わせますわ。
これから感じるのは何かしら?
祈り・癒し・調整・称賛・祝福
手を合わせることは「調整」であり、傷で乱れた部分を「調整」するので「癒し」。誰かの幸せを願う「祈り」が「調整」や「癒し」でもあるのだとすると、「幸せ」とは「調整」され「癒し」で満たされた状況なのかもしれませんわ。
それって「自分らしい姿」を意味するのかもしれませんわね。
誰かが何かをやり抜いて輝いた時、自分らしい姿でそこに立っていることを「称賛」して「祝福」する。それにはきっと憧れもあって、後に続きたくなるのではないかしら。そんな気持ちを自分には無理だと押し込めようとしなければ。
拍手が「本来の姿」に戻ろうとする意識の音色だとすれば、その音色を多くの人が響かせようとする姿は素敵ですわね。
拍手をして祈りを捧げる。それはとても自然で知らず知らずの内に自分や周りの人を癒してくれるかもしれませんわ。
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